
わたしたちは何者なんだろうか?
わたしたちは何者なんだろうか?
なんで地球に生まれてきたのだろうか?
まだ、言葉にはならないそのことを、肌で感じる動画に出逢った。
このnoteは、今、その動画に触れて、感じていることを出してみたいという衝動で書いている。
なんのはなし?
普段ポンマリで見せているわたしと付き合っている人は、そう感じるかもしれない。
でも、言葉で伝わるものではなく、空氣で伝わるものなので、出してみようと思った。
言葉で伝えるプラットフォームなのにね。笑
今年の春、北の大地にも桜が咲き始めたころ、大瀧冬佳さんのダンス(舞台芸術)の札幌公演に足を運んだ。
大瀧冬佳さんは、舞台芸術家(ダンサーであり、演出家でもある)で、わたしが、こんな風に生きたいなと思うような生き方をしている方だ。
リスペクトしている方のエネルギーに触れられることは、めちゃくちゃうれしいことではあったが、でも、めちゃくちゃ怖くもあった。
舞台芸術を観るために秋田から札幌へ行き、宿泊して、まぁまぁなお金を使う。
いわゆる、生きていく上で最低限ではないことに、結構な金額を使う。
もう何年も遠のいていたことだ。
それだけの金額をちゃんと賄えるのだろうかという不安が押し寄せた。
最低限の生活をしているときは、味わうことのない感情だ。
でも、あのときの行動が、扉を開けた感じがある。
わたしの生きる歓びは、わたしとご縁ある人が、わたしとの出逢いをきっかけにブレイクスルーして、本来生きたかった道へと進む瞬間に立ち会うことだ。
それが根っこにある。
だけど、その深い歓びばかりを追い求めていた。
とはいえ、毎日散歩して、移ろいゆく季節を感じたり、花たちを愛でたり、そこらじゅうに散りばめられている、小さな喜びもちゃんと味わっていた。
でも、その間にある、日常で自分を愉しませてあげることをすっかり忘れてしまっていた。
1日目の公演を終えて、次の日の朝、札幌大通り公園を散歩していて、そのことに氣づいた。
1日目は、遠くから俯瞰する席で、2日目は、一番前の席でかぶりつきで。
せっかくなので、2日連続で観劇した。
実は、どちらの日も眠くて眠くて、記憶にあるのは断片的だ。
でも、2日目に、とあるシーンで、「さあ、こちらの世界へ」と引き込まれていく感覚があったのは覚えている。
冬佳さんたちが生きている世界だ。
その感覚で生きることを決めてきた魂に響くような創りになっているのだと思う。
札幌から帰ってきて、日常に戻って劇的に何かが変わったということではない。でも、じわじわと、たしかに変化し続けてきた。いや、結構、何度もブレイクスルーしているので、自覚はなかったが、劇的に変化してきたのかも?
約半年経った今、その公演の直後に撮影されたインタビュー動画が公開されて、言葉にしてもらうことで、よりその世界とのつながりが、わたしの中にすでにあることを感じている。
動画で話されていることを、一部ここで紹介しようかとも思ったけれど、わたしがここにあげることで、なにか薄まってしまうような感じがする。
それは、とってももったいない氣がするので、なんのはなし?とはなってるものの、なんか氣になる。って感じる人は、動画を観て直接感じてほしい。
この公演に連れて行ってくれたわたし、
ありがとう。
あのときあの空間に、
自分がいたことがうれしい。
よくぞ、踏み出してくれた。
自分で自分に感謝🙏
そう生きる(抽象的すぎるけど)と決めた魂に、ひとりでも届いたらうれしい。
同じ時代に生まれて、出逢えてよかったと感じられるあなたに出逢えますように🙏
いっしょに地球で遊んでいきましょう!