
漠然と、80歳くらいまで生きていると思っていやしないか?
「ポンマリさん!わたし、92歳まで生きてることイメージしたこと全くなかったけど!」
とテンション高めのメッセージとともに、92歳で素敵に暮らしている方の動画のシェアがやってきた。
「北欧、暮らしの道具店」の、「うんともすんとも日和」っていうシリーズだ。
北欧、暮らしの道具店のコンテンツはどれも興味があって、惹かれまくるのだけど、「それどころではない。」というある種の囚われがあって、大好きなことなのに、優先度を下げてしまうことがよくある。
ないですか?そういうこと。これ、東京にいると、より感じるんですよね。ベトナムで日本語学校のお手伝いしていたとき、ビザの更新のために一時帰国して、1ヶ月くらいしかいない間に、「なんかしなくちゃ」っていう意識に苛まれているのを感じたことがあった。
良くも悪くも集合意識の影響を受けているなというのを感じた出来事だった。
話を戻して。
シェアしていただいた動画も、実は目に入っていた。なんとなく観なくても、素敵な動画だろうなということは想像していた。そして、「ま、今でなくていいか」と優先順位を下げてしまっていた。
暮らしにまつわるあれこれが大好きなのに、結構、脇に置いてしまいがち。
感動冷めやらぬまに、心に響いたこと、浮かんできたことを、残しておこう!と思ってnoteを開いたのに、前置き書いてる間にもう、記憶が薄れてきてしまっている。
あっという間に忘れる(^◇^;)
ということで、もう一度動画を観にいった。
たまたま今生きてて、だからこそ、朝の光は綺麗に見えるし、
案外と生きがいっていうのは、小さなところにあるんですよねぇ。
冒頭でこれを聞いたときは、「うんうん。そのキラキラな光知ってる。小さなしあわせってそこら中にあるよね。」と思った。でも、動画を眺めて、後半に同じシーンが再び出てくると、深みが違った。
そして、今氣づいたけど、生きがいが小さなところにあるとおっしゃっている。小さなしあわせとは言っていなかった。勝手に歪曲して受け取っていた。こういう氣づきがあるから、何度も同じ動画を観るのはおもしろいんだよね。
やっぱり、こうして今元気で生きていることはありがたいなぁと思いますよね。だから、大事に生きようと思うんですよ。
仏壇に手を合わせているシーンだった。わたしも毎日、仏壇に手を合わせて祈っているけれど、
大事に生きようと思ってなかったな…
毎日お祈りして、日々、生きていることに感謝をしているようで、そこまで感謝していないのかもしれない。
今日は、ゆっくりと心から祈った。
あと何年生きられるかわからないことを、考えようとしなくても、リアルに感じてしまう年齢92歳。重みが違う。漠然と、80歳くらいまでは生きられるような氣でいることを思い出す。
明日、突然命が終わることは誰にでもあり得るのに。
宇宙は、時折こうして、そのことを思い出させてくれる。

笑顔が素敵すぎる
素敵に歳を重ねて長生きされている方のことは、結構、氣になって着目するものの、自分がそこまで生きることをイメージしていなかった。
むしろ、「そんなに長生きしてなんになる?」と思っていた。
老いていくことで増えていく不自由さにばかり目がいってしまっていたけれど、でも、そういう素敵な方の情報を取っているということは、本当は、生きたいのかもしれない。
あ。いや、違うな。
あ、いや、それもあるかもしれないけども。
今、こんな風に生きられたらいいな。と思っていたんだ💡
歳を重ねて素敵に生きるのは、もちろん素敵なんだけれども、歳を重ねてからではなくて、今、こんな風に素敵に生きたいと思って、情報を取っていた。
その方たちに共通しているのは、
♢自分の好きなものに囲まれていること
♢ 案外、ミニマリストではないのだけど、ものが多くても整っているということ
♢自分が好きなこと、ものを大事にしていること
♢ 生きていることへの感謝が伝わってくること
♢家族円満でお互いリスペクトしあっていること
そんな風に生きたいんだ。
家族であってもお互いをリスペクトしていることは、結構な憧れがあって、動画の中の家族の風景も心に響いた。
その方の旦那さんは、晩年、「僕にやさしくするんじゃなくて、お母さんにやさしくしなさい。病気の僕に優しくすることは僕のためになっていなくて、お母さんに優しくしてくれることが僕はうれしいんだから」と娘さんたちに言っていたそうだ。
旦那さんのことを「ほんっとにいい人だったんですよ」って、言っているのが、本当に心からそう感じているのが伝わってきた。
わたしの母は、そうではなかったので、そういう、お互いをリスペクトしあっているパートナーシップに憧れがある。
子供の頃は、母の愚痴やら文句やらの言葉をそのままの意味として受け取っていたけれど、でも、近頃は、父が旅立って、母と暮らしていると、そこには、夫婦にしかわからない何かがあったのかもしれないなと思ったりもする。
ステキに歳を重ねているということで、もうひとつ思い出したことがある。
ちょっと前に養老先生(養老孟司さん)が、NHKのドキュメンタリーで、「この歳(88歳)になってくると、生きているのは、自分のためだけじゃなくなってくる。」と言っていたのが印象的だったのを思い出した。
歳を重ねることの素晴らしさ、おもしろさを見せてくれる先人たちがたくさんいて、ありがたいなと思う。
歳を重ねることでしか感じられないことってあるんだ。
それは、まだ半分くらいしか生きていないわたしでも感じることだ。
最後に「シぬまで絵を描き続けていたい」とおっしゃっていた。
わたしは、なんだろう…?なにかあるかな?と探ってみたら、
あった。
わたしは、「シぬまで新しい自分を知りたい。その探究を続けていたい。」
これは、ここ最近、わたしが知りたいと思っていた、わたしの根底にあるWANTだ。
そういうものが、もうすでに見つかっているわたしはしあわせものだ。
そう。
「それどころではない」なんてのは、まやかしで、もっともっと、自分の好きなことに夢中になって生きなさいよ。生きていいんだよ。
と、宇宙なの守護霊なのか、友達を通して、やさしくメッセージを届けてくれたんだな。って感じがした。
いつもすてきなシェアをありがとう。
シェアしてもらった動画はこちら
〜おまけ〜
おうちの中で、なわとびをするのもありか。と思った。なんか勝手に、なわとびは外でやるものって思っていた。
かわいいおばあちゃんになるのが夢
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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