
シンギュラリティに人間が対抗するために
シンギュラリティという言葉をもうみなさんご存知だと思いますが、少し説明させてください。
シンギュラリティ(技術的特異点)は、人工知能研究の権威であり未来学者のレイ・カーツワイルが提唱したものです。
AIが人間の脳を超えることになる時点を示しています。
詳しくは、『シンギュラリティは近い』(NHK出版)を読んでみてください。
シンギュラリティなんて本当に来るのでしょうか?
そもそも人間の脳とコンピュータ(AI)の脳では根本的に仕組みが違います。人間の脳はアナログ的な回路でできていて、コンピュータの脳はデジタル的な回路でできています。アナログ的回路はデジタルに比べると処理能力が落ちるかわりに、“超並列処理”を起こす特徴があります。超並列処理とは、最大100兆回の計算を一瞬で行ってしまったり、物事と物事が予期せぬかたちでつながったり。簡単にいうと“ひらめき”だ。
コンピュータにできないひらめきをなぜ人間はできるのだろう?
それは人間がただじっと座って考えるだけじゃなく、五感を通じたインプットをしているから。
ちなみに人工知能に手(触覚)を取り付ける研究は進んでいます。実現すればAIの情報処理能力は格段に上がるといわれています。
シンギュラリティはいつか必ずやってきて、人間を脅かします。僕らの生活も変わっていくでしょう。処理能力でコンピュータに敗北した人間が、それに立ち向かう唯一の手段はひらめき。つまり機械にできない人間らしい考え方を実践するしかない。
でも、機械にできない人間らしい考え方とかひらめきなんて突然言われたってイメージはつくけれど、具体性に欠けるかもしれません。
例えば子どもの頃、クレヨンと白い画用紙さえあれば、目のまえに世界が広がったり、ねん土の塊から象が生まれてそれがあっという間にニンジンになったりしたこと。これらは物事と物事が予期せぬかたちでつながる一例だし、ひらめきとか想像力という言葉で形容することができる。
しかし、大人はある時点からクレヨンと画用紙で世界を広げられず、象がニンジンになることに論理的説明を欲してしまう。
これには生活時間の余白の有無が関係しているんじゃないだろうか。仕事や家族のための時間、SNS、Youtube、Netflixは、人間の余白時間を削る。
コンテンツであふれている現代において、余白が勝手に生まれるなんてことはない。余白は意識的につくらないかぎり生まれない。スティーブ・ジョブズやGoogleが組織的にマインドフルネス(瞑想)を行っているのも、余白づくりの一環といえる。
”やるべきこと”であふれているからこそ、”何もしない状態(余白)”をつくる必要があるし、そのような方法には価値がある。遥か昔からある瞑想が現代において脚光を浴びたのには、そういう理由があるのだろう。