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「あとで」って、いつ? みんなに見えている境目が、私には見えないことがある

    学生のころ、

    「これ、あとで返しておいて」

    と言われると、私は少し困っていました。

    あとでって、いつだろう。

    今日中なのか。
    今週中なのか。
    手が空いたらなのか。

    「あとで」が今すぐではないことは分かります。

    でも、その先が分からない。

    いつからが遅くて、いつまでなら「あとで」なのか。

    周りを見ると、みんなは特に確認することもなく動いている。

    だから私も、その場の雰囲気から考えて動く。

    それで合っていることもありました。

    でも、ときどき違っていました。

    「まだやってなかったの?」

    と言われて、

    「あ、そこまでにやるものだったんだ」

    と初めて知る。

    私には、そんなことがありました。

    当時は、自分が何につまずいているのか、うまく説明できませんでした。

    でも今振り返ると、言葉の意味ではなく、

    「どこから判断が変わるのか」という境目が見えていなかった

    のだと思います。

    言葉は分かる。でも「どこから」が分からない

    「あとで」だけではありません。

    「少し」
    「ちゃんと」
    「必要だったら報告して」

    こうした言葉も、意味そのものが分からないわけではありません。

    分かりにくいのは、その境目です。

    どのくらいから「少し」ではなくなるのか。

    どんな状態になったら「報告するほど」なのか。

    どこまでは自分で判断してよくて、どこから確認した方がいいのか。

    周りでは、その線がすでに共有されているように話が進むことがあります。

    でも、自分にはその線が見えていない。

    学生のころの私は、そこで止まったり、周りに合わせて判断したりしていました。

    社会人になって、「分かったふり」の方が怖くなった

    仕事をするようになると、この感覚の扱い方が少し変わりました。

    分からないことを細かく聞けば、

    「そこまで聞く?」

    という反応をされることがあります。

    だから以前は、聞かずに自分で判断することもありました。

    でも仕事では、認識が違っていたときの影響が自分だけでは終わりません。

    やり直す時間が必要になる。

    誰かに確認してもらう。

    場合によっては、周りの人の時間も使う。

    そこで私は、

    分からないことをなくしてから動くのではなく、分からないところの「境目」を確認してから動く

    ようになりました。

    全部を聞くのではなく、「共有のライン」を作る

    今は、曖昧だと感じたとき、全部を細かく聞こうとはしていません。

    確認するのは、

    何をするのか。
    どこまでなのか。
    いつまでなのか。
    迷ったら、どこで確認するのか。

    といった、判断が変わるところです。

    私の中では、これを「共有のライン」のように考えています。

    たとえば、

    「あとでやっておいて」

    なら、

    「今日中で大丈夫ですか」

    と確認する。

    「必要だったら報告して」

    なら、

    「こうなったら報告する、で合っていますか」

    と確認する。

    全部の手順を教えてもらう必要はありません。

    「ここまでは同じ理解で進めていい」という線が一本あるだけで、何をすればいいのかがずいぶん分かりやすくなります。

    仕事なら、必要に応じて上司にも確認します。

    これは責任を押しつけるためではありません。

    判断の根拠を、自分一人の頭の中だけに置かないためです。

    「具体的に伝える」の一歩先にあるもの

    以前の私は、

    「自分は具体的に言ってもらわないと分からないんだ」

    と思っていました。

    でも、今は少し違います。

    何もかも具体的にしてほしいわけではありません。

    むしろ全部を決められてしまったら、自分で考える余地までなくなります。

    私が知りたかったのは、

    どこから判断が変わるのか。

    その境目だったのだと思います。

    これは、誰かに何かを伝えるときにも使える見方かもしれません。

    曖昧な指示で誰かが止まっているとき、

    「もっと具体的に説明しよう」

    と考える前に、一つだけ見てみる。

    どこから判断が変わるのか。

    「あとで」なら、今日中なのか、今週中なのか。

    「必要だったら報告して」なら、どんな状態になったら報告するのか。

    全部を細かく決める必要はありません。

    ただ、何度も同じところですれ違うなら、

    手順ではなく、判断の境目が共有されていないのかもしれない。

    この記事から一つだけ持ち帰るなら、

    「何が分からないんだろう」ではなく、
    「どこから、が共有されているだろう」

    と見てみること。

    学生のころの私は、その「どこから」が見えずに止まっていました。

    今も、曖昧さがすべて分かるようになったわけではありません。

    でも今は、分からないときに、全部の答えを求めなくてもいいことを知っています。

    境目を一つ、相手と共有する。

    それだけで、「あとで」のようにぼんやりしていたものが、少し分かりやすくなることがあります。




    「どこまで」が見えにくい場面は、家庭と学校のやりとりにもあります。参考になれば幸いです。

     
     
    子どもの見えにくい困りを、理由・見え方・やり方・環境の手がかりに翻訳します。 家庭や学校で抱え込みすぎないように、考えや相談の形を整えるnoteです。 特別支援学校教師/発達障害当事者。AIは、考えを整理する手助けとして使っています。

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