
映画の話
親しみやすさというのは感情の分かりやすさと連動しているらしい。
笑う、泣く、怒る、悲しむ。
喜怒哀楽が分かりやすい人は、親しみやすい、壁をできにくい、と思われやすいらしい。
……ということを聞いて、私は普段から、社会生活に影響しない程度に、なるべく感情を表に出すようにしている。
楽しいときはよく笑い、感動しては涙を流し、理不尽なことにはキレ散らかし、悲しいときは寂しい、とはっきり言う。
とはいっても、私はもともと、感激屋といえば聞こえはいいけれど、ポーカーフェイスができない人間なので、特に努力しなくても自然とそうなってしまう。
言い方を変えれば激しい性格ともいえるので、周りから見れば親しみやすさを通り越して扱いにくいだろうなと思う。
けれどたぶんこの先も、例えば流行りのバラードを聴いて涙するとか、一般人のスナップ写真を使ったCMに感動して泣くとか、堪えきれない怒りを抱えたときに気持ちが昂ぶって勝手に涙が出るとか、自分の意思に関係なく泣けてしまうという性質は、変えたくても変えられない部分だろうなあと諦めている。
しかし、それでは困る場面がひとつある。
映画館である。
映画館というのは、一つの劇場にたくさんの人が集まるもので、自分の座った席の両隣にも全く知らない他人が座るもので、それはつまり見ず知らずの人と、笑うポイント、泣くポイント、感動するポイントが同じとは限らないわけで。
私が初めて映画館で映画を観たのは、専門学校生のときだった。
経験するのが遅いと思われるかもしれないが、私の地元には映画館がなく、最新の映画を見るためには高速を使わなくてはならず、機会に恵まれなかった。
そのころ、巷では「世界の中心で、愛をさけぶ」が大流行していて、たまたま映画館がたくさんある街に引っ越してきた私は、当時付き合っていた恋人の誘いで観に行くことになった。
映画は大人気で、休日ともなると座る場所がやっと確保できるほどの盛況ぶり。
今まで映画といえば金ローか、公民館でアニメ映画を上映してくれたものをみんなで観るしかなかった私は、わくわくしながら席に着いた。
しかし、ここで困ったのが私の感激屋っぷりである。
とにかく、泣くとなったら徹底的に泣くのが私なのだ。
感動の映画は終盤に入り、辛い場面になった。
スクリーンでは主人公の恋人がいよいよ死の淵に立たされ、私の頬を涙が伝う。
俳優の声、効果音、大音量が響く劇場内。
私が思わず鼻をすすりそうになったとき、音が途切れた。
辺りがしんと静まり返る。
……あれ?おかしいな?
私は微動だにしないまま、しばし耳を澄ませた。
俳優たちの台詞以外、かさりとも音がしない。
途切れ途切れの台詞は大音量。
しかしその合間に、鼻をすする音がどこからも聞こえない。
えっ、もしかして。
こんなに泣ける場面なのに、私以外、誰も泣いてない……???
そっと隣の恋人を見やると、真剣な表情でスクリーンを見つめている。
反対側の客にも視線を移す。
その人も、迫真の画面に釘付けだった。
そのとき、私のバッグの中にはハンカチもティッシュも入っていた。
しかし、ファスナーを開けるにも音が鳴る。
こんなに良いシーンで、ジィィ、と音を立てるほど、私だって野暮ではない。
ところが涙と鼻水はセットである。
ティッシュも出せない。
盛大にすするわけにもいかない。
私はそのあと、自分の鼻水の行方だけが気になって、肝心のラストが何も頭に入ってこなかった。
それ以来、映画館は苦手になった。
ここではマナーとして、とにかく静かであることが求められる。
笑いたくても、笑えない。
泣きたくても、泣けない。
私は感激屋である。
中学3年生の秋、吹奏楽部の定期演奏会の打ち上げ会場で、3年間の思い出が込み上げて寂しくて、でも後輩たちが作り上げてくれた最高の余興が楽しくて、中盤から終わりまで、なんで泣いているのか自分でも分からないままずっと泣き続けていたら、翌日の朝、ぱんぱんに両目が腫れて、友人たちに大爆笑された過去を持つ。
もちろん、そんなことになったのは全部員のなかで私一人だ。
つまりそのくらい、普通の人ならちょっと泣いて済んでしまうような場面でも、私は泣いたら止まらないのである。
以来、ものすごく観たい映画に出会わない限りは、極力映画館という場所を避けてきた。
自分の好きなポイントで泣けない、笑えないというのはだいぶ辛い。
私は本を読んでいても笑うし泣く。
読書ですらそうなのに、映画なんか観たら感情が表に出ないわけがない。
映画は、私には合わない。
長いこと、ずっとそう思っていた。
先日、ルックバックという作品の実写版映画がどうしても観たくて、映画館に行った。
ルックバックはTwitterに作者の方が投稿されたときから大好きで、コミックスも買ったし、アニメ版映画も観に行ったし、そのサントラも再生回数が2,000回を超えるほどヘビロテしていて、もう絶対、観ないわけにはいかなかった。
でも、泣くことは最初から分かっている。
なので今回は対策することにした。
近くに人のいない列を確保すること。
事前にハンカチとティッシュを鞄から出しておくこと。
泣いたらさっと涙を拭い、声が出そうになったら気合いで乗り切ること。
これらが実行できればきっとあんなことにはなるまい。
万全の用意で臨んだ大好きな作品。
果たして、結果は。
泣いた。
めっちゃ泣いた。
なんなら本編に全然関係ない、予告編から泣いた。
序盤で泣いて、終盤で泣いて、せっかく用意したティッシュの袋が取り出すときにごそごそ鳴るのも嫌で、スクリーンの光で涙を拭っているのが後ろの席の人たちから見えてしまうのも嫌で、涙は垂れ流しのまま、肩を震わせながらふるふると観ていた。
映画が終わり、場内が明るくなる。
一人、また一人と席を立ち、みんなが出口へ向かっていく。
それを見ながら、ようやく私はハンカチで頬を押さえた。
鼻もかんだ。
余韻を噛み締めながら思う存分ごそごそして、すっきりして映画館をあとにした。
お手洗いで自分の顔を確認したら、目は赤くなっていなかったし、涙の跡も分からなかった。
泣いたってせいぜい、こんなものなのだ。
きっと私はずっとこうなんだろう。
変えたくたって変えられない。
変わることなんてきっとできない。
もうそれでいいか、と思うことにした。
私は感激屋で、泣き虫で、人の目を気にしてしまう小心者で、けれど、それでも泣くのを止められない。
でももしかしたら、自分で気にしているよりずっと、周りの人は気にしていないかもしれないし。
来月、「汝、星のごとく」を観に行きます。
私の涙の行方やいかに。