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Photo byjoyous_panda210

10月31日の問いー選ばなかった道は、いつ消えていくのだろう。

    ある分岐点でABCの3つの道がある時、Aを選択することでBCが消えることはよくある。たとえば私のランチには
    A.弁当を作って持っていく
    B.買って食べる
    C.外食をする
    という選択肢が朝には存在し、ぼうっとしていると弁当の選択肢が薄くなって、大体7時半くらいに消滅する。
    ランチの時間が近づくと、12時ぴったりに昼休みに入るとエレベーターが大変に混雑をして、下に降りることがままならなくなる。
    その時間帯にデスクにいるのか、いたとしてフリーなのか、いなかったとしてその打ち合わせは12時までに終わるのか、という状況の判断があり、Cだとすれば誰かと食べに行きたいのでちょうど良い人はいるかの確認、1人で食べるとして、無事にちょい先に抜け出した時に、BとCどっちにするのかを無数の関数の中で選んでいく。
    昼時だと飲食店の店先にテイクアウトが並んでいることもあり、BとCの選択肢がぎりぎりまで残ることもある。ぎりぎりまで両選択肢が消えていかない。外食したあとにお茶して帰る可能性だってある。食後にコーヒーゼリーを食べちゃうかもしれない。
    と、いつ消えるのかはなかなか難しい問題である。

    飲みに行こうぜ、と誘われて「え?どんなメンツですか?」と聞き返す人がいる。ある時どういう気持で聞いているのか教えてもらったところ、「今入っている予定より面白そう、役に立ちそうなら、先約を調整してそっちに参加する可能性がある」ということだった。私にはあんまりない概念だったのでかなりびっくりした覚えがある。先約優先ではないのかそこは。選択肢がなかなか消えない人なんだなあ。断るような先約であればそもそも入れなきゃいいのに、と身も蓋もないことをすぐに思ってしまうが、世の中の人はもっと複雑なことを考えているらしい。

    子どもは可能性の塊だ、と言われる。確かに可塑性の高い素材で、良くも悪くもどんどん変わっていくように見える。今日も娘が全校生徒の前でコントをしているのを見て、こんな日が来ることを一年前には予想もできなかった。かつて天才だった俺たちへ、というCreepyNutsの曲があるが、元可能性の塊だった私に今どれだけの可能性、道が残っているのか、あれだけあった道、私が選ばなかった道はどこに消えたんだと思うと暗澹とするのはわかる。でも二年前に私が今の仕事をしているなんて想像もしなかったし、なにげにできることが増えている気もする。そういえば一日一問もそろそろ一週間経つけれども、一週間前に思いついたことだ。子どもの頃は可能性のゴールがかなり遠くに無責任に置かれていたけれども、元可能性の塊の今日この頃は、観測可能なところにゴールイメージがあるだけなのではないか。観測技術が上がったのかもしれないし。そうだ、きっとそうだ。

    道は消えてもすぐできるから、消えた道を気にしている暇はない。



     
     
    夢のもつれのようなことを書きます。

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