
絵が下手な人を「画伯」と呼ぶ優しすぎる日本語🤣

私は、絵が下手である。
いや。
正確に言おう。
画伯である。
🤣🤣🤣
「絵が下手」と言うと、ただの悪口なのに、
「画伯ですね」
と言われると、突然ものすごい才能を持っているように聞こえる。
日本語って優しい🥺
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そもそも画伯って、褒め言葉じゃなかったの?🤣
本来「画伯」といえば、優れた画家に対する敬称。
つまり、本物のすごい人に使う言葉である。
ところが現代。
紙とペンを渡され、
「犬を描いてください」
と言われて描いたものが、
🐕 犬なのか
🐈 猫なのか
🐄 牛なのか
👽 地球外生命体なのか
専門家による鑑定が必要になった瞬間、
「画伯🤣」
と呼ばれる。
おかしい。
称号の使われ方が180度変わっている。
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絵が下手な人には2種類いる
個人的に思う。
絵が下手な人にも種類がある。
① 自分でも下手だと分かっている人
「犬描いて」
「無理😭」
これなら普通である。
問題はもう一方。
② 描いている途中までは、結構うまいと思っている人
これが画伯である。
私もこっち🤣
丸を描く。
「うん、いい感じ」
目を描く。
「おっ、かわいいじゃん」
鼻を描く。
「才能あるかもしれん」
足を描く。
「……ん?」
完成。
「なんだコレ?」
制作途中ではピカソ。
完成すると未確認生物。
なぜだ😭
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頭の中では完璧なんですよ
不思議なのは、
描きたいものはちゃんと頭の中にある。
犬なら犬が見えている。
柴犬なら柴犬も分かる。
耳は三角。
鼻は黒い。
尻尾はクルン。
完璧だ。
なのに右手を経由すると、
謎の四足歩行生物になる。
つまり原因は脳ではない。
右手だ。
お前か。
50年以上付き合ってきたが、
まさか裏切り者だったとは🥺
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「見ながら描けばいいじゃん」
言われる。
「写真を見ながら描けば?」
なるほど。
それならいける気がする。
写真を見る。
犬がいる。
紙を見る。
描く。
写真を見る。
犬がいる。
紙を見る。
何かがいる。
🤣🤣🤣
参考資料が仕事をしていない。
むしろ写真と並べたことで、
下手さが科学的に証明された。
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でも画伯の絵には強みがある
ただし、画伯にもメリットはある。
上手な人が犬を描く。
「おお、上手い!」
終了。
画伯が犬を描く。
「え、何これ?」
「犬」
「犬!?🤣」
「どこが!?」
「耳あるじゃん!」
「それ耳なの!?🤣」
会話がめちゃくちゃ続く。
そう。
上手な絵は感動を生む。
画伯の絵は、
議論を生む。
場合によっては、
論争まで生む。
これはもう現代アートなのではないだろうか。
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正解を描く必要なんてない
そもそも芸術とは何だろう。
見たものを正確に描くだけが芸術なのか?
違うはずだ。
感じたものを自由に表現する。
それも芸術である。
ならば私が犬を描いて、
見る人全員が
「カバ?」
と言ったとしても、
私は堂々と言えばいい。
「犬を描いたとは言った。犬に見えるとは言ってない」
強い。
めちゃくちゃ強い🤣
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そしてAI時代がやってきた
そんな画伯にも救世主が現れた。
AIである。
頭の中のイメージを文章で伝えれば、
AIがそれっぽい絵を作ってくれる。
ついに、
右手を経由しなくてよくなった。
長年の問題が解決した🤣
「かわいい犬。柴犬。笑顔。公園」
ポチッ。
おおおお!
私が描きたかったのはこれだよ!
つまり私は絵が下手なのではない。
出力装置に問題があっただけなのだ。
……ということにしておこう🥺
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あとがき
「絵が下手」
と言われると悲しい。
しかし、
「画伯」
と言われるとなぜか笑える。
考えてみれば、ものすごく便利な言葉である。
そして画伯の最大の才能は、
上手に描くことではない。
一枚の絵を見せただけで、
周囲から
「何これ🤣」
を引き出せること。
もしかすると、
人を笑わせられる時点で、
それはそれで立派な才能なのかもしれない。
だから今日も私は堂々と描こう。
そして完成した作品を見て言う。
「……で、これ何描いたんだっけ?🤔」