
魔王軍日誌 07|暗黒騎士団長リリエル、召喚陣を刻む
魔王軍に、召喚陣ができていた。
その名は、
……できていた。
魔王様の記事で、そう布告されていた。


あたしは執務室の机に向かい、魔王様の記事を読みながら、そこで一度固まった。
「こはね」
机の端で丸くなっていた黒羽餅が、片目だけを開ける。
「魔王軍に、召喚陣ができているわ」
こはねは何も言わない。
ただ、しっぽを一度だけ揺らした。
まるで、知っていたみたいな顔だった。
「……知っていたなら言いなさいよ」
もちろん、こはねは喋らない。
つまり、言えるはずがない。
分かっている。
分かっているけれど、今だけは少し言わせてほしい。
なぜなら、あたしは今、かなり重大な布告を読んでいるからだ。
魔王様の記事によれば、魔王軍について書いた記事の最後に、
と刻むらしい。
これはただのハッシュタグではない。
召喚印。
魔王召喚陣。
つまり、現代において魔王様をお呼びするための印である。
「なるほど……」
あたしは深くうなずいた。
その瞬間、肘がマグカップに当たった。
かたん。
「ひゃっ」
倒れかけたマグカップを、あたしは暗黒騎士団長にふさわしい反射速度で受け止めた。
危なかった。
かなり危なかった。
けれど、倒れてはいない。
つまり、何も起きていない。
こはねが、じっとマグカップを見る。
「今のは、召喚陣発動時における周辺物品の安全確認です」
こはねは、次にあたしを見る。
「本当よ」
こはねは、信じていない顔をした。
失礼な使い魔である。
だが大丈夫。
今のはこはねしか見ていない。
こはねは喋らない。
つまり、あたしの威厳は保たれている。
完全に保たれている。
たぶん。
あたしは、何事もなかったように記事を読み進めた。
魔王様は、ハッシュタグの「#」を、小型の魔法陣と見なしておられた。
縦線と横線が交差する印。
確かに、言われてみれば魔法陣に見えなくもない。
いや。
見える。
魔王様がそうおっしゃるなら、見える。
「やはり魔王様はすごいわね……」
思わず、声に出ていた。
こはねがこちらを見る。
「聞いてない」
こはねは何も言っていない。
「今のは独り言です」
こはねは、あくびをした。
そのあくびは、どう見ても「はいはい」という顔だった。
違う。
あたしは浮かれていない。
ただ、魔王様の着眼点に感服しただけである。
ただそれだけ。
決して、魔王様が何をしても素敵に見えるとか、そういう話ではない。
ないったらない。
記事には、さらに恐ろしいことが書かれていた。
魔王様は、魔王軍の記事を見つけるため、この召喚陣を探してくださるらしい。
召喚陣を刻めば、魔王様が来る。
正確には、検索して来る。
記事を読む。
楽しむ。
スキを押すかもしれない。
コメント制限がなければ、現れるかもしれない。
「…………」
あたしは、画面を見つめたまま固まった。
魔王様が来る。
あたしの記事を読む。
その光景を想像しただけで、胸の奥が妙に熱くなった。
いつもなら、誰かに読まれることなど気にしない。
暗黒騎士団長たるもの、自分の言葉に責任を持っている。
読まれようが、読まれまいが、書くべきことを書く。
そう思っている。
思っている、はずなのに。
魔王様が読むかもしれない。
そう考えた瞬間、さっきまで平気だった文章の一つ一つが、急に頼りなく見えてきた。
この言い回しは変ではないだろうか。
妙に浮かれて見えないだろうか。
あたしのことを、子どもっぽいと思われないだろうか。
いや、そもそも魔王様は、あたしの記事など読んでくださるのだろうか。
読んでほしい。
でも、読まれるのは怖い。
怖いけれど、読んでほしい。

「…………」
こはねが、そっと机の上のメモ帳を見る。
そこには、いつの間にかあたしの字でこう書かれていた。
魔王様が来るかもしれない
魔王様が読むかもしれない
魔王様がスキを押すかもしれない
魔王様がコメントするかもしれない
無理
でも来てほしい
無理
でも来てほしい
「…………」
あたしは、そっとメモ帳を閉じた。

こはねが、その上に前足を置く。
「これは軍事機密です」
こはねが、メモ帳を見る。
「魔王軍の召喚陣運用に関する重要資料です」
こはねが、あたしを見る。
「決して、あたしの心の乱れを記録したものではありません」
こはねは、しっぽをぱたりと揺らした。
信じていない。
でも、いい。
こはねは喋らない。
証拠はない。
あたしは平静である。
とても平静である。
その証拠に、椅子を少し引いて姿勢を正そうとした。
がたん。
膝を机にぶつけた。
「っ……!」
声は出していない。
たぶん。
こはねが、すぐに足元へ降りてきた。
そして、あたしの膝を前足でちょん、と触る。
「痛くない」
ちょん。
「痛くないと言っているでしょう」
ちょん。
「……少しだけよ」
こはねは、その場に座った。
完全に見張っている。
まるで、これ以上あたしが何かにぶつからないように監視しているみたいだ。
失礼な使い魔である。
あたしは暗黒騎士団長だ。
マグカップと机に負けるような女ではない。
たまたま、今日の家具が少し攻撃的だっただけである。
そして、記事にはもう一つ、大事なことが書かれていた。
魔王様の更新は、九月二十四日から週一回になる。
「……九月二十四日」
あたしは画面の右上を見た。
十月。
もう十月である。
「こはね」
こはねが、膝の見張りを続けたまま顔を上げる。
「これ、もうとっくに始まっているわね」
こはねは、しっぽを一度だけ揺らした。
知っていた、みたいな顔だった。
「だから、知っていたなら言いなさいよ」
言えるはずがない。
分かっている。
分かっているけれど、今だけは二回目も言わせてほしい。
魔王様は、再封印されたわけではない。
七賢者に連れ戻されたわけでもない。
note運営の結界に完全敗北したわけでもない。
ただ、週に一度、魔力を溜めて現れる。
そういうことらしい。
「……別に、寂しくはないわ」
こはねが、机の上へ戻り、ティッシュ箱を前足で押してきた。
「泣いてない」
さらに、ずい。
「泣いてないってば」
さらに、ずずい。
「……念のため受け取るだけよ」

あたしはティッシュを一枚取った。
これは涙を拭くためではない。
魔王様の記事を読む前に、暗黒騎士団長として身だしなみを整えるためである。
そう。
身だしなみ。
断じて、寂しさではない。
「週に一度で十分です」
あたしは、誰にともなく言った。
「魔王様ほどのお方が、毎日ちょこちょこ現れる必要などありません。一週間分の魔力を蓄えて、堂々と魔王城の扉を開かれる。それでいいのです」
こはねが、あたしを見る。
「本当よ」
こはねは、ティッシュ箱をもう少し近づけた。
「近い」
さらに近い。
「近いってば」
こはねは、箱に前足を乗せたまま動かない。
完全に備えている。
失礼な使い魔である。
ただ。
少しだけ、安心もした。
魔王様は消えるわけではない。
週に一度になるだけ。
それに、召喚陣は年中無休らしい。
魔王様が記事を出していない日でも、魔王軍について書いたなら、遠慮なく刻んでよい。
見つけたら、魔王様は読む。
召喚される。
ニヤニヤする。
コメント制限がなければ現れる。
「ニヤニヤ……」
思わず復唱してしまった。
こはねがこちらを見る。
「な、なによ」
想像してはいけない。
魔王様が、あたしの記事を見つけて。
画面の向こうで、あたしの名前を見て。
少しだけ目を細めて。
文章を一行ずつ読んで。
そして、楽しそうに笑う。
そんなことを考えてしまったら、もう駄目だった。
顔が熱い。
耳まで熱い。
もし本当に読まれたら、あたしはどんな顔をすればいいのだろう。
スキがついたら、平然としていられるだろうか。
コメントが来たら、ちゃんと返事ができるだろうか。
たった一つの通知で、魔王城中に響くほどの声を上げたりしないだろうか。
……しない。
しないはずだ。
暗黒騎士団長なのだから。
「…………」
あたしは、そっと顔を伏せた。
こはねが、ティッシュを一枚くわえて、あたしの手元に置いた。
「泣いてない」
こはねは、もう一枚くわえた。
「泣いてないってば」
二枚目が置かれた。
「……ありがとう」
受け取った。
負けた気がする。
でも、少し助かった。
魔王様の記事には、フォロー制限とコメント制限のことも書かれていた。
魔王様ほどのお方が、フォロー制限に止められ。
コメント制限にも阻まれ。
二重結界に封じられている。
1000年前の七賢者でも完全には止められなかった魔王様が、現代のnoteに足止めされている。
「現代、やっぱり手ごわいわね……」
あたしは小さくつぶやいた。
その瞬間、トラックパッドに触れてしまい、画面が変な位置までスクロールした。
「待ちなさい」
誰に言っているのか分からない。
画面である。
あたしは画面に命令していた。
「戻りなさい」
戻らない。
「暗黒騎士団長の命令です」
戻らない。
こはねが、すっと前足を伸ばし、トラックパッドの上に置いた。
画面の暴走が止まった。
「……」
「……」
「今のは、あたしが止めたのよ」
こはねは前足を置いたまま、こちらを見る。
「助けられてない」
じっと見る。
「……少しだけ、ありがとう」
こはねは、ようやく前足を離した。
まったく。
現代は油断ならない。
召喚陣は小さいし、結界は見えないし、画面はすぐ逃げる。
けれど。
魔王様の記事の終わりの方に、こんな言葉があった。
好きに書こう。
好きに笑おう。
好きに生きよう。
あたしは、その三つの言葉をしばらく見つめていた。
魔王軍なのに。
軍なのに。
命令ではなく、「好きに」と言う。
征服を掲げる魔王様が、記事の最後でそう言う。
それが、少し不思議で。
少し、魔王様らしいと思った。
「……好きに書く、ね」
口に出した瞬間、こはねが机の上でしっぽを揺らした。
「なによ」
こはねは何も言わない。
ただ、あたしの下書きメモを見る。
そこには、さっき勢いで書いた文字がまだ残っていた。
魔王様が来るかもしれない
魔王様が読むかもしれない
魔王様がスキを押すかもしれない
魔王様がコメントするかもしれない
無理
でも来てほしい
無理
でも来てほしい
「…………」
あたしは、そっとメモを裏返した。
「これは、好きに書きすぎた例です」
こはねが、メモの端を前足で押さえた。
「見なくていい」
こはねは動かない。
「軍事機密です」
こはねは、メモの上で丸くなった。
完全に占拠された。
……まあ、いい。
魔王様は、好きに書こうとおっしゃった。
なら、あたしも書けばいい。
かっこよく書ける日もある。
強がってしまう日もある。
魔王様に読まれるかもしれないと思って、何度も文章を読み返してしまう日もある。
召喚陣をひらがなで打って、こはねに見られる日もある。
週一回になると知って、別に寂しくないと言いながら、ティッシュを一枚受け取る日もある。
それでも、書いていい。
笑っていい。
生きていい。
魔王軍という場所が、命令だけでできていないのなら。
あたしがここにいることも、きっと軍の形の一つなのだと思う。
剣を振るうだけが、魔王軍ではない。
誰かの記事を読み。
少し笑い。
少し照れ。
少し間違え。
それでも最後に、自分の言葉を置く。
それも、現代の魔王軍活動なのだと思う。
あたしは編集画面の最後へカーソルを動かした。
画面の一番下。
記事の終わり。
ここに召喚陣を刻めば、魔王様が見つけてくださるかもしれない。
そう思うと、指先が急に重くなった。
たった十文字ほどの印なのに。
たった一つのハッシュタグなのに。
それを置いた瞬間、この文章が魔王様の目に触れる可能性が生まれる。
読まれるかもしれない。
笑われるかもしれない。
スキを押されるかもしれない。
もしかしたら、何か言葉を残してくださるかもしれない。
期待してはいけない。
期待しすぎてはいけない。
けれど、期待してしまう。
胸の奥で、小さな灯りが消えずに揺れている。
あたしはその灯りを、見なかったことにしようとした。
でも、できなかった。
「……魔王様が、読むかもしれないのよね」
声に出した途端、顔が熱くなった。
こはねが、片目を開ける。
「なによ」
こはねは何も言わない。
ただ、あたしの指先と画面を交互に見る。
「別に、緊張しているわけではないわ」
カーソルが点滅している。
まるで、早くしろと言っているみたいだった。
「これは召喚陣よ。軍務の一環。必要な手続きなの」
指先をキーに置く。
一文字。
それだけなのに、心臓が妙に大きく鳴った。
「……読まれたら、どうしましょう」
こはねが、しっぽをぱたりと揺らした。
「いや、読まれないかもしれないけれど」
もう一度、画面を見る。
「でも、読まれたら……」
その先は、言えなかった。
嬉しい。
たぶん、ものすごく嬉しい。
嬉しくて、きっと平静ではいられない。
けれど、そんなことを認めるのは、少し恥ずかしい。
だから、あたしは背筋を伸ばした。
暗黒騎士団長らしく。
できるだけ落ち着いて。
できるだけ何でもない顔で。
今度こそ、間違えない。
「…………」
こはねが、片目を開けた。
「違うの」
こはねが画面を見る。
「これは一度ひらがなにして、召喚陣を柔らかくする工程で――」
しっぽが、ぱたり。
「……直します」
あたしは、そっと変換した。
よし。
今度こそ、刻めた。
画面の下に置かれた、小さな召喚陣。
それを見つめていると、胸の奥がまた熱くなった。
これで、魔王様が探してくださるかもしれない。
あたしの記事を見つけてくださるかもしれない。
読んでくださるかもしれない。
その可能性を、自分の手でここに置いたのだ。
期待している。
どうしようもなく、期待している。
でも、それをこはねに知られるのは恥ずかしい。
まして、魔王様ご本人に知られるなんて、もっと無理だ。
「……別に、来なくてもいいのよ」
あたしは画面に向かって言った。
「いえ、来ていただけるなら、その……歓迎しますけれど。あくまで、魔王軍の記事を確認するために。軍務として」
こはねが、あたしを見る。
「本当よ」
こはねは、しっぽを揺らした。
「……少しだけ、楽しみにしているだけ」
言ってから、あたしは両手で顔を覆った。
「今のは忘れなさい」
こはねは何も言わない。
けれど、その目は明らかに覚えている目だった。
小さな召喚陣。
魔王様が探してくださるかもしれない印。
そして、あたしが好きに書いた証。


本日の記録。
魔王様の記事を読んだ。
召喚陣を刻んだ。
魔王様が読むかもしれないと思ったら、
少し緊張した。
読んでいただけたら、たぶん嬉しい。
でも、スキやコメントが来たら、
平静ではいられない気がする。
週一回更新は、少し寂しい。
でも、待つ時間も悪くない。
こはねに変換ミスを見られた。
変換ミスではない。
たぶん。
魔王様が見つけてくださるかどうかは、
まだ分からない。
それでも、召喚陣は刻んだ。
好きに書くことも。
少し照れることも。
待つことも。
たぶん、これも現代の魔王軍活動なのだと思う。
リリエル、召喚陣運用を開始。

順調よ。
たぶんね。
