
なぜ、英語教材を作る私が『英語以外』のことを書くのか
このnoteでは、
英語教育とは関係のない記事も書いています。
日常のこと。夏祭り。自転車。ホームステイ。
なぜ、教材を作っている人間が、
そんなことまで書くのか。
理由は、AI です。
今は、英語教材もAIで作れます。
アプリも作れる。漫画も作れる。小説だって作れる。
私自身、この6か月間でAIを使いながら、
いろいろなものを作ってきました。
本当に便利です。
教材、アプリ、漫画、小説。
それだけを並べてみると、作品は見えるのに、
作った人間の姿がほとんど見えないことに気づきました。
そこに、人間が見えない。
誰が作ったのか。
どんな経験をしてきたのか。
誰かに怒られたこと。
失敗したこと。
笑ったこと。
悔しかったこと。
そういうものが見えない。
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でも、私は、
教材の向こうにいる人間を感じてほしい。
きれいな教材なら、AIにも作れる。
でも、私は、教材を「人間が作った証拠」として残したい。
私は、AIに負けたくないんだと思います。
取って代わられたくない。
こう書くと、AIはたぶん、
「勝ち負けとは書かず、共存と表現してみてはいかがでしょうか。」
とか言うでしょうね。
でも。
負けたくないものは、負けたくない。
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今年からAIを使用し、
いろいろ作ってみて、分かったこともあります。
AIには、速さや量では、勝てません。
そこは、負けを認めます。
でも、人間にしかできないことがある。
私が実際に生きてきたこと。
真夏に自転車で走ったこと。
生徒に誘われて祭りへ行ったこと。
留学先で失敗したこと。
仕事でやらかしたこと。
そういう泥臭い経験を教材に込めたかった。
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私の教材は、
目の前の一人を何とかしたくて作り始めました。
私が経験してきたことも、人間の熱も、そこに込めました。
けして、スマートに作られた教材ではありません。
でも、人間にしか作れない教材になりました。
だから、このnoteでは、教材をもっとよく知ってもらうため、
私の日常も書きます。
「変なやつやな。」
「こんな生活送りながら、教材作って、人に物を教えてるんや。」
そのくらいに思ってもらえたら、それでいい。
その上で教材を読んでもらえたら、少し違って見える気がします。
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5年後かもしれない。10年後かもしれない。
人間の思いまで、AIがすべて表現できる日が来るかもしれません。
でも。
今ではない。
だから、その日が来るまでは。
教材に込める人間の熱だけは、負けないようにしたいと思います。
でも。
もし、その日が来たら。
また、AIを追い越してやるから。
(そのころ、私、生きてるかどうか知らんけど。)