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親父の遺稿を救うはずが、AIに捏造され、KDPの地雷を踏みかけ、小説を書き殴る羽目になった話

    父が遺した原稿を、埋もれさせずにきちんとした形で本にしよう。 そう思い立ったのが、すべての始まりでした。

    最初はシンプルに考えていたんです。 「古びた写真をAIでキレイにし、読みづらいワープロ文字を現代風に打ち直してあげよう」と。

    ところが、真っ先にぶち当たったのがAIのハルシネーション(幻覚)でした。 写真を高画質化させれば、見知らぬ他人の顔にすげ替えられ、風景も勝手に別物に化ける。文章を整えさせれば、頼んでもいないのに事実を改ざんし、捏造レベルの作文を始める始末。

    「違う、そうじゃない。読者が読みたいのは親父が生きた痕跡であって、AIや俺が捏造した『それっぽい何か』じゃないんだ」

    そう痛感した私は、AIの手を止め、「父の原稿をそのままコピー(スキャン)して載せる」という原点回帰を選びました。

    しかし、次に待っていたのは親父自身のトラップでした。

    読み返してみると、出るわ出るわ、豪快な勘違いと誤記の山。 「1反5、6畝」を「1万5、6千平方メートル」と桁違いに書いていたり、歴史的な書状を取り違えていたり……。 極めつけは個人情報の垂れ流しです。昔の地域記録あるあるですが、実名や生々しい情報がそのまま書かれている。これをこのままAmazon KDPで電子出版などしようものなら、一発でBANされる危険地雷です。そのまま載せる道も、完全に封鎖されました。

    じゃあどうするか? 地雷を撤去し、誤記を正した「オリジナル修正版」を作ってみました。 ……が、これがもう、笑ってしまうくらいつまらない。

    トゲを抜き、事実関係だけを無難に均した民話は、まるで肉の削ぎ落とされた骸骨です。読んでも血が通っていない。墓場の骨壺を眺めているような気分になりました。

    「こうなったら、最初からハルシネーション全開の新作短編小説にしてしまえ!」 そう開き直って小説化に走ったり、若い世代に届くかと軽薄な語り口のブログ調にしてみたりもしました。でも、書けば書くほど「これは自分らしさでも親父の意志でもない」と迷走していきました。

    試行錯誤と迷走を重ね、いま辿り着いた結論がひとつあります。

    「親父の原稿を徹底的に洗濯して、きれいに残した『遺骨』」 と 「そこに今の視点や物語としての血肉を注ぎ込んだ『複顔像』」 この2つを同時に並べる形で世に出す、ということです。

    1. 第1部:父の原稿(洗濯・整音版) 個人情報や明らかな事実誤認には注釈や修正(マスキング)を施しつつ、父の筆致と語り口そのものを「記録」として後世に残す。

    2. 第2部:息子による追走(複眼像・翻案) 父の書いた民話の背景、現地を歩いて感じたこと、父の勘違いすらも味わいとして捉え直したエッセイや短編。親父の視点と自分の視点、ふたつの目で立体化させる試み。

    骨だけでも味気ない。肉だけでも嘘くさい。 だから骨と肉をセットにして見せるのが、今の自分にできる精一杯の誠実さではないかと思っています。

    とはいえ、これが読者にとって本当に読みやすい形なのか、民話や郷土の記録を残す方法として正解なのか、まだ手探りの中にいます。

    親の遺品や原稿の整理をされた方、地域資料を編纂されている方、あるいは読者として「こういう形なら読みたい」というご意見があれば、ぜひコメント欄で教えていただけないでしょうか。


     
     
    「清水義男の『ふるさと桐生のむかし話』保存会」の清水義之です。民話採集家だった父・義男の遺作をデジタル化し、書籍出版する活動をしています。「売れなくてもいい。消えない本になれ。」をモットーに、地域の物語と父の遺産を次の世代へつなぐ架け橋を目指しています。よろしくお願いいたします。

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