
ア・ナ・タ
「残されたメモ」というお題を見て、ある話を思い出した。
1958年、南極の昭和基地で越冬していた日本の観測隊員たちの話だ。
氷点下45度にもなる極寒の地。食糧不足や観測船のトラブルなど、命の危険と隣り合わせの日々。
当時は当然、携帯電話もメールもない。
家族との連絡手段は電報だったが、通信できる時間も限られていた。
そんな隊員たちの楽しみが、お正月に届く家族からの年賀電報。
隊員たちはそれぞれの家族から届いた電報を披露し合っていた。

家族の近況や、身体を気遣う言葉。
そんな中、一人の隊員が突然泣き出した。
奥さんから届いた電報には、たった3文字。
「ア・ナ・タ」
それだけだった。
この話を知ったとき、僕は少し考えた。
なぜ「アナタ」だったんだろう。
「あなた、大丈夫?」
「あなた、ご飯は食べてる?」
「あなた、体調は?」
「あなた、怪我してない?」
「あなた、寒くない?」
「あなた、会いたいよ」
「あなた、帰りを待ってるよ」
きっと聞きたいことも、伝えたいことも山ほどあったんじゃないだろうか。
でも、電報には文字数の制限がある。
何を伝えよう。
何を一番に聞こう。
どれか一つを選ぼうとしても、どれも大切で、どれも削れない。
そうやって考えていると、どの言葉も同じ3文字から始まっていることに気づく。
もしかしたら、その先に続く言葉が多すぎて、何も選べなかったんじゃないだろうか。
そして、すべての言葉の始まりだけを残した。
もちろん、本当に奥さんが何を考えていたのかはわからない。
ただ、僕にはそんなふうに思える。
伝えたいことが少なかったのではなく、あまりにも多かったから、たった3文字にまとめた。
言葉を短くしたからといって、そこに込められた想いまで小さくなるわけじゃない。
「アナタ」のあとには、書かれなかった何百もの言葉が続いていたのかもしれない。