
「シウマイ弁当」を考える
今日、新幹線に乗りました。
東京から新幹線でどこかへ行くとき、僕はだいたいシウマイ弁当を買います。今日も買いました。別に東京駅で駅弁売り場を隅から隅まで見て、その日の気分と相談した結果、厳正なる審査を経てシウマイ弁当に決定しているわけではありません。
新幹線に乗る。シウマイ弁当を買う。そういうことになっています。
以前にも「新幹線旅行の日の駅弁はシウマイ弁当ということになっているのです」と書きました。あれから一年以上経っていますが、特に制度改正は行われていません。
そもそもの原因はわかっています。『孤独のグルメ』と『食の軍師』です。
どちらにも、新幹線でシウマイを食べる場面があります。それを見ていた僕の中で、いつの間にか「新幹線に乗るならシウマイ」という決まりができました。刷り込みです。別に隠すような話でもありません。最初から思いっきり影響されています。
そういえば『食の軍師』というタイトルは、「蜀の軍師」にかかっているのでしょうか。長いこと知っている作品なのに、今さらそんなことが気になりました。
まあ、それは今どうでもいいです。
作品の真似で始めた習慣なら、そのうち飽きてもよさそうなものです。東京駅にはいくらでも駅弁があります。牛肉を前面に押し出したものもあれば、海鮮がぎっしり詰まったものもあります。見るからに豪華で、「旅に出ます」という顔をした弁当はいくらでも並んでいます。
それでも、結局シウマイ弁当を買います。たぶん、ちょうどいいのです。
シウマイ弁当には、名前の通りシウマイが入っています。当然です。しかし、シウマイだけの弁当ではありません。俵型のご飯があり、筍煮があり、鮪の漬け焼があり、玉子焼きやかまぼこがあり、なぜか最後にはあんずまでいます。
シウマイを一個食べて、ご飯を一俵食べる。筍をつまんで、またシウマイに戻る。魚も少し食べる。そうこうしているうちに、気づけばだいぶ減っています。
どれか一つが圧倒的に主張する弁当ではありません。名前だけ見ればシウマイが王様のはずですが、実際に食べていると、筍もかなり働いています。鮪もいます。あんずに至っては、最後までどういう立場なのかよくわかりません。
でも、全部いるほうがいいのです。
単品のシウマイを買って新幹線で食べても、たぶん同じ気分にはなりません。シウマイと、俵型のご飯と、細かいおかずが箱の中に詰まっていて、それをちょこちょこ食べるところまで含めてシウマイ弁当なのだと思います。
そして、東京からどこかへ向かう新幹線で食べるものとして、このくらいがちょうどいい。
まだ目的地には着いていません。旅先で何を食べるかは、着いてから考えればいいのです。だからといって、せっかく新幹線に乗っているのに、おにぎり一個で済ませるのも少し寂しい。
かといって、東京駅でいきなり豪華絢爛な駅弁を広げて、旅の食事の山場を使い切る必要もありません。その間にシウマイ弁当がいます。
東京を出て、これからどこかへ向かう。座席に座って、テーブルを出して、箱を開ける。車窓を見たりスマホを見たりしながら、シウマイを食べる。
食べ終わったころには、新幹線もだいぶ東京から離れています。
おそらく僕は、シウマイ弁当そのものが好きなのと同じくらい、新幹線でシウマイ弁当を食べることが好きなのだと思います。
家で食べても当然おいしいでしょう。でも、何かが違います。
久住昌之の作品を見て真似しただけのはずだったのに、何度も繰り返しているうちに、すっかり自分の習慣になってしまいました。
今日も新幹線に乗って、シウマイ弁当を食べました。そして次に東京から新幹線に乗る日も、おそらく同じことをします。特に変える理由もありません。
やはり、そういうことになっているのです。