冷静に考えて、マジョリティ
私は日本で、日本国籍、日本語母語話者として生まれ育って、両親健在(年中家庭内別居だったけど)。食う寝るに不自由したことは今までない。
すごく当たり前だと思うかもしれないけれど、これらはちっとも当たり前ではない。
これまでこのnoteで、やれレズビアンだ、やれ性的マイノリティだと発信することがそれなりにあった。
しかしながら敢えて記事にしないだけで、同じくらい自分がマジョリティだと思うことが、日々の中である。
女性として生まれたことは、男性優位の構造の社会でマイノリティであるかもしれないけれど、身体への性別違和はなく、男女別の何某に心の底から困ったことは今までない。
何で男女を殊更に強調するのだろうかという疑問と、自分の存在が割り当てられた性別でないと思うことは、おそらく日常で伴う困難の質が違う気がしている。私はどちらかと言えば前者であるので、致命的な違和感はない。
五体満足で、発話や聴覚に大きな問題がなくて、両目の視力1.5をキープしている。私はそれなりに日常を楽しめる身体を得ている。
そして最近寝つきが良い。
冷静に考えて、これらはめっちゃマジョリティだ。
まだある。
私は日々自分の言葉が通じるか、相手の言葉が聞き取れるかどうかに悩む必要はない。
映画で字幕があると思ったらなくて、何を言っているのかわからず1500円を無駄にした経験もない(聴覚に障害がある友人の実話)。
これまで、マイノリティの面があるから、面白半分で記事を書いたり、日ごろの鬱憤を昇華したりしてきた。
壁打ちと思っていたnoteは、思いの外いろんな方から意見が返ってきて結構面白かった(いくつか機械っぽいのも最近散見するが…)。
もし私のことをマイノリティとしてのみ、見ている人がいたらば、それは見当違いであることをお伝えしたい。
別にマイノリティとしてだけ生を得ていない。むしろかなりのマジョリティ要素を持ち合わせていると思う。
これはどのようなマイノリティと呼ばれる人も、程度の差はあれ持ち合わせているはず。
自分のマジョリティ性に向き合うことが続いたので、書いてみた。
たまにはこういうのも書きたい。