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人生の“どん底”で見つけた《QOL》

    第1章:人を笑顔にしたいという熱い想い


    京都で生まれ、大阪で育った私は、父が経営するインテリア会社とは異なる夢を抱いていました。それは「人を笑顔にし、幸せにしたい」という思い。 高校時代から飲食店の開業を志し、関西学院大学商学部で経営学を学び、「外食産業の展望」という論文を提出して卒業しました。 就職も一般企業の内定を断り、外食産業最大手の株式会社すかいらーくへ入社。 店舗運営とマネジメントについて学び、やりがいを感じていましたが、ある時から、「食やサービスを通じて人を笑顔にする」ということ以上に、もっと人に喜ばれ、人生に影響を与える道が他にもあるのでは──そう思い始め、健康と医療の世界へと足を踏み入れました。

    第2章:ついに見つけた“生きがい”


    ある雑誌で見かけた記事が、私の運命を変えました。東京にある健康医学の研究機関。その理念に心を打たれ、すぐに会社に休暇をもらって研修へ。そこには、私が求めていた「東洋医学を科学する」という新しい世界がありました。 大阪に戻ると、すぐに退職を決意し、東京の研究所へ「給料はいりません、どうかここで学ばせてください」と直談判し、東京での新生活をスタートしました。 それから数年後には取締役、教授という立場をいただき、東京大学大学院医学系研究科に研究生として通いながら、病気で苦しむ方、生涯現役を目指す方に対し、全国各地で毎年100回以上の講演を重ね、多くの方々から「ありがとう」の言葉をいただくやり甲斐のある毎日。 心も生活も豊かになり、結婚して新居も構えました。 まさに人生は「順風満帆」のはずでした…あの日までは。

    第3章:突然訪れた、人生の悪夢


    ある日、妻が言いました。「胸にしこりがあるの」 私は不安を隠しながら「大丈夫、きっと乳腺症か何かだよ」と答えました。しかし検査結果、ドクターからは「乳がんです。しかも手術は簡単なものではない」とのこと。 そのショックで、病院からどうやって家に帰ったかも覚えておらず、しばらく食欲もありませんでした。 健康を伝える立場でありながら、妻を病気にさせてしまったという現実。罪悪感と無力感に打ちひしがれました。 しかし、私は自然治癒力を高める研究をしており、実際多くの方が改善し喜ばれていたので、「妻もきっと治る!」と自分に言い聞かせました。 私はあらゆる方法を実践し、妻も前向きな気持ちになり、手術や抗がん剤も使わず、2年以上良い状態を保ち、穏やかで幸せな日々を過ごしていました。

    第4章:自分の無力を知った「家族介護」

    しかし3年目の冬、風邪をこじらせたことで一気に免疫力が低下し、食欲もなくなり、体力も奪われ、妻はベッドで過ごす時間が増えていきました。 そしてある日「息が苦しい、呼吸ができないの」──そう訴えた妻に、私は狼狽するばかり。必死で電話をかけまくった先に、訪問看護師さんが来てくださり、在宅酸素を設置。ようやく呼吸は楽になりました。 翌日私は会社に相談し、在宅で仕事を続けながら、妻に寄り添う決意をしました。 私にとって、家族介護は初めての経験。 介護なんて一切教わらなかったし、30代で介護をするなんて思ってもいなかったしが、突然介護が始まったのです。 また介護だけではなく、料理も洗濯もほとんどやったことがなく、家にいても何もできない自分の無力さに打ちのめされました。 その後体調はどんどん悪化し、昼も夜もほぼ付ききりでした。 ただ週に何回か訪問看護師さんが来てくれるその1時間だけが、私の心と身体が解放され、深呼吸ができる時間でした。 そんな私は妻の身体を拭いてあげるということさえ気づかなかったんです。 訪問看護師さんが、ベッド上で妻の体を清拭し、髪を洗ってくれた時、とても気持ちよさそうに喜んでいる妻の姿を見て、気づいてあげられていなかった自分自身に罪悪感を抱き、情けなくなりました。

    第5章:若い命が消えたとき


    その後、妻の状態は悪化。
    2003年12月のある夜、妻の意識がなくなりました。慌てて救急車で病院に運ばれましたが、ドクターから「人工呼吸器をつけますか?つけなければ24時間もたないでしょう」と問われ、真っ白になりました。
    私は「自然のままで、、、お願いします」と声を絞り出して、崩れ落ちました。集中治療室で横たわる妻に「ごめんね。ごめんね。怖くないからね。今まで本当にありがとう」と何度も何度も言うと、意識のない妻の目から涙が流れ落ちました。
    そして呼吸は浅くなっていき、夜明けとともに家族に見守られながら、息を引き取りました。
    33歳でした。

    第6章:死が教えてくれた人生の意味

    私は泣きながら、天に向かって「今まで多くの人に喜ばれることをしてきたのに、どうして救ってくれなかったの?!酷すぎる!!」と叫びました。
    その後仕事に戻っても、しばらくの間、「人は何のために生まれるの?」「死ぬってどういうこと?」と自問自答を繰り返す日々が続いていましたが、ある時、突然気づいたのです!
    「死ぬことは敗北じゃない」
    「大切なのは、どれだけ長く生きたかではなく、『どのように生きたか』」だと。
    それまで私は「健康で長生き」することが、最も重要なことだと信じ、指導してきましたが、そうではなかったと気づいたのです。
    「この与えられた人生を後悔なく『生ききる!』」 それこそが最も大切だったのです。

    第7章:QOL向上が私の使命だと気づく

    「人は年老い、必ず死を迎える」。 だとしたら死を避けたり、ただ命を長らえるだけではなく、人生の質(QOL)を最大限に高め、生きる歓びを味わうべきだ! それこそが生まれてきた目的だったのだ! そのことが腑に落ちたとき、私は初めて自分の使命に気づき、QOLを高めることに人生をかけると決意したのです。 人が人生を終える時、家族や愛する人に囲まれ、「生まれてきて良かった。みんなのおかげだよ。ありがとう…」と満足しきった最幸の笑顔で旅立ってほしい。 人生の最期を後悔ではなく、充実感が味わえる、そんな“最幸のエンディング”を多くの家族に体験してほしい! そういう思いで《QOLアカデミー》は誕生しました。

    妻は、短い命の中で、人生の本質を教えてくれました。
    【真のQOL(Quality of Life)の向上をサポートする】
    これは、天国にいる前妻から授かった、私の使命なのです。


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