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💟出雲神宝事件の神風串呂-大王町と崇神天皇陵との神風串呂(3)

    🎀串呂哲学研究ノート 第469号

    はじめに

    「大王町と崇神天皇陵との神風串呂」の第3回目です。この串呂は、重要地文がたくさん串呂していますので、丁寧に深掘りしています。

    初めての方は、まず下記をご覧下さい!
    🟢崇神天皇の神風串呂

    🟡補足 崇神王権三代終焉説
    当ブログ第466号で、三代みじろ(島根県雲南市加茂町)について考察し、この三代を崇神王権が三代さんだいで終焉しゅうえんしたことを表わす地文と解釈しました。

    この件について、少し補足しておきます。

    三代(出雲市加茂町)-崇神天皇陵(行燈山古墳)-大王町(志摩市)

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    大王町と崇神天皇陵(行燈山古墳)との神風串呂(Google.map)

    🌷この件については、「応神大王は沸流ふつりゅう百済(ミチュホル)から倭国に侵攻して来た百済人である」という新仮説を展開しておられる岡崎康民先生の著書に、

    372年に「百済王が倭王に贈った」とされる七支刀は、応神大王が倭国制圧に成功したことを祝って、兄弟国の温祚おんそ百済から送られたものであろうと述べておられることから、自信を持っています。

    岡崎康民先生の著書にもとづく略年表を掲載します。

    🟡300年頃
    崇神天皇即位
    🟡318年頃
    崇神天皇崩御
    🟡369年(神功49年)
    ミチュホ(沸流百済)勢力が加羅の七国を平定して新羅に侵攻
    🟡371年
    ミチュホ(沸流百済)勢力が、倭国に侵攻し三輪王朝を滅ぼし、応神大王が倭国王となる。(崇神王権は三代約70年で消滅)
    🟡372年
    兄弟国の温祚百済から応神大王に倭国王就任を祝う七支刀の贈呈あり。
    🟡380年
    この頃、応神大王が畿内を統一

    🌺崇神王権は、三代でおよそ70年の短期政権であったということであります。この件にご興味のある方は、下記をご覧下さい。


    🟡出雲振根命いずもふるねのみことと神宝事件
    🌷さて、この串呂が下記のGoogle.mapで図示したように、出雲市や雲南市の中心部を串呂していますので、「崇神天皇と出雲国」との関連を調べましたら、案の定「出雲振根命いずもふるねみことと神宝事件」に出くわしたのです。

    出雲市中心部-雲南市中心部-崇神天皇陵-大王町(志摩市)
    🔴この串呂は偶然でしょうか!

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    出雲市のほぼ中央を串呂しています!
    大王町と崇神天皇陵との神風串呂(Google.map)

    🌷崇神大王の御代、大王は出雲大神の宮に収められていた神宝を見たいと望み、使者を派遣しました。当時、神宝を管理していた出雲振根命いずもふるねみことは筑紫国に出かけていて不在でした。

    そのため、崇神王権に従順だった弟の飯入根いいいりねが代わりに神宝を朝廷に献上しました。この行為に激怒した振根命ふるねのみことは、後に弟を殺害する計画を立て、止屋やむやの渕で弟(飯入根)を殺害しました。

    🟢(注)名前に「入」がある「飯入根」とは、依羅いり(崇神王権=入王朝いりおうちょう)側に組み込まれたことを表わしています。飯(めし)は、生きる為、生活のためにという意味です。

    根はルーツであり、出雲王権の根株(継承権)であります。振根命とは、出雲王権の継承権を振ってしまった(失った)人を表わします。

    古根命という表現なら、まさに古来から出雲王権(根)を継承してきた人を表わします。

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    島根県出雲市大津町

    🌷その後、振根命ふるねのみことは、崇神王権の方針に反抗的な殺害事件の責任を取らされる形で誅殺ちゅうさつされたばかりでなく、飯入根いいいりねの子孫が出雲国造氏いずもこくぞうしとなったとされています。

    🔴これが、神宝を奪われた出雲王国の終焉なのです!
    記紀の出雲の国譲り神話は物語(作り話)です。

    🟡崇神王権は、このようにしてアメとムチで倭国連合の切り崩しを推進して行ったことが分かりますね。

    【参照】『出雲振根- Wikipedia』

    このような痛ましい事件が起きたため、その後しばらく出雲大神の祭祀は中断してしまいました。

    🔴すると異変が起きたのです!

    丹波の国に住んでいる幼児が、子供の言葉とは思えない、神がかった歌を歌っているというのです。

    水草の中に沈んでいる玉のような石。出雲の人の祈り祭る本物の見事な鏡。力強く活力を振るう立派な御神の鏡。水底の玉。宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡。水底の宝。宝の玉。
    (宇治谷 孟 訳『日本書記(上)』講談社学術文庫)

    この時に幼児が歌っていた内容に「出雲の人が祈り祭る本物の見事な鏡」という神宝に関する歌詞が含まれており、

    この噂を聞きつけた崇神王権は、出雲大神で鏡をお祭りするようになったと伝承されています。

    【参照】
    🟢出雲振根命と神宝事件
    🟢西暦237年頃、出雲振根、誅殺される
    🟢古代出雲と『出雲神の祟り(たたり)』の謎
    🟢神原神社|卑弥呼の銅鏡を発見!?大国主命の財宝庫はここに!
    🟢止屋の渕|イズモタケルの正体とは!?斐伊川での決闘は誰と誰が行ったのか


    🟡出雲神宝事件の串呂地文

    🌷今回ご紹介する串呂線上に、上記の神宝事件に関連性があると思われる地文がいくつも串線しているのを発見しました!

     
     
    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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