
💟牧平町大門の神風串呂
🎀串呂哲学研究ノート 特別号
🔶愛知県岡崎市牧平町大門に関する串呂のリストです。
🔶このリストが全てでは有りません。

牧平町大門とは
1、平安王朝最後の天皇(大宝天皇)蒙塵の地。
享徳3年(1455)岡崎市切越町から移住。
2、天照大御神の御神諭により、五皇一体の再現 八幡大明神降誕を待つべく用意された神定の地。内宮から経線緯線に対し45度の方角にある。
3、三浦芳聖降誕地、明治37年(1904)9月17日。
4、五軒小屋(男系相続維持対策)
5,豊富神社(白鬚大明神)を奉祀(興国天皇隠祀か)
(1)正統天皇が天の岩戸篭もりし三浦と名乗った!(№3)
蔵王山-大門-宮路山-牧平大門-寺野薬師堂・大楠-吉良見-大門-三浦山-大日岳-朝日町
(2)二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島(№4)
(ア)内宮と牧平大門との神風串呂(№4-1)
「⛩皇大神宮内宮」-「二見浦夫婦岩」-「佐久島」-「牧平町大門」
(イ)石清水八幡宮と牧平大門との神風串呂(№4-2)
「龍子」―「⛩石清水八幡宮」―「三浦芳聖降誕地」―「佐久」―「藤太夫島」―「⛩安房大神宮」
(3)「牧平大門」と「三浦名」との神風串呂 (№7)
「宗心」-「一色」-「大宝天皇蒙塵の地・牧平大門」-「天神谷」-「大久保」-「加茂」-「三浦名」
(4)尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂1(№25)
「田黒」-「神代」-「高松」-「高長」-「高松町」-「卍醍醐三宝院」-「三浦芳聖降誕地」-「観音山」-「黒田」
(5)尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂2(№26)
「高良」-「八幡」-「和気」-「竜王山」-「応神天皇御陵」-「卍一身田専修寺」-「三浦芳聖降誕地」
(6)三浦芳聖の降誕・仮寓・晩年の住所を貫く神風串呂(№42)
「正善」-「天神」-「大門」-「天王町」-「三浦芳聖降誕地」-「三浦芳聖仮寓地」-「三浦芳聖晩年の住所」
(7)天子ヶ岳と興国天皇御陵の神風串呂 (№55)
「⛩高千穂神社」-「猿田」-「牧平大門」-「興国天皇御陵」-「一色」-「天子ヶ岳」-「下加納」-「古高」-「猿田」
(8)京丸と牧平町大門との神風串呂(№99)
「由良」-「一色町」-「三浦芳聖降誕地・牧平大門」-「高松」-「京丸」-「大門」
(9)吹嵐の中、昼神・神明降誕の神風串呂 (№112)
「神明」-「日出町」-「御前崎」-「卍恵照山日曜院」-「卍楠林山安楽寺庫裏」-「蒲郡北部小学校」-「幼年時代の居住地・牧平町マカガイツ」-「三浦芳聖降誕地」-「出来山」-「産場」-「五軒小屋」-「昼神」-「吹嵐」-「神宮寺」-「川浦」-「豊川」-「日出谷」-「極楽山」-「日出町」
(10)運命の赤い糸・三浦芳聖結婚の神風串呂(№137)
「桂城」-「野村鈴出生地」-「⛩皇大神宮内宮」-「二見浦夫婦岩」-「佐久島」-「三浦芳聖降誕地」
(11)名古屋市御所町の神風串呂2(№143)
「⛩金崎神宮」ー「矢合」ー「中部国民道場」ー「三浦芳聖降誕地」
(12)光明寺(京都府長岡京市粟生)の神風串呂
「西山聖地」-「西山浄土宗総本山光明寺」-「三浦芳聖降誕地」
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🟡神風串呂とは何か
🔶神風串呂とは
神風串呂(しんぷうかんろ・カミカゼクシロ)とは、日本の国土そのものに刻まれた壮大な歴史記録であり、皇祖神・天照大御神によって構築されたと伝えられる神聖な地文学体系です。
一般には「元伊勢伝承」として語り継がれてきた天照大御神の各地巡行は、単なる遷座や巡歴ではありませんでした。それは、日本の未来を見据えて全国各地に重要な地名・聖地・神域を配置し、皇統の歴史と神意を国土に刻み込む壮大な計画であったと串呂哲学では考えます。
長い間、「元伊勢クシロ」は皇城守護のための結界であると伝えられてきました。しかし神風串呂の研究が進むにつれ、その本質は単なる守護線ではなく、皇統正史を永遠に伝えるための地文の記録体系であることが明らかになりました。
この神秘的な仕組みを、生涯をかけて解明されたのが神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師です。師は全国の地名や神社、山岳、陵墓などを丹念に調査し、それらが一定の法則によって結ばれていることを発見されました。
🔶三浦芳聖師の発見の意義
三浦芳聖師の発見の意義は、各地に点在する神社、聖地、元伊勢伝承、地名などを個別の存在としてではなく、一つの統一された法則のもとに読み解く道を開かれたことにあります。
古来より伝えられてきた伝承や史跡の多くは、それぞれ独立したものとして理解されてきました。しかし師は、それらが互いに関連し合いながら、皇統の歩みと日本の歴史を伝える壮大な体系を構成していることを見いだされたのです。
その結果、地名は単なる土地の呼称ではなく、歴史の真相や神意を後世に伝えるために国土へ刻み込まれた「地上の記録」であるとの認識が生まれました。
歴史書や古文書は戦乱や災害によって失われることがあります。しかし、国土そのものに刻み込まれた地文は容易に消滅することなく、長い歳月を超えて後世に伝えられます。
三浦芳聖師は、この地文に秘められた法則性を解明することによって、皇統正史を地理的に読み解く新たな研究の道を切り拓かれました。
さらに師の発見は、地文に秘められた歴史の法則を明らかにしただけでなく、日本という神国の成立意義と使命を改めて見つめ直す新たな視座を後世に示されたものといえるでしょう。
地名に刻まれた意味を読み解き、そこに込められた神意や歴史の真相を探究する学問が、神道皇霊学であり、串呂哲学なのです。
神風串呂は、国土を貫く地文の連関を通じて、皇統の歩みと日本の使命を後世へ伝えるために構築されたものとされています。
串呂哲学を学ぶことは、日本という国の成り立ちを新たな視点から見つめ直し、皇祖神・天照大御神の大いなる御心に触れる機会ともなるでしょう。
また、串呂主宰神である天照大御神が、長い歳月をかけて構築されたとされる神風串呂を学び、その意味を理解することは、日本民族本来の精神的な力と伝統文化の価値を再発見する道ともなるのです。
🔶皇大神宮内宮(天照大御神)の嫡皇孫について
串呂哲学では、皇大神宮内宮の御祭神である天照大御神の嫡皇孫の系統は、三浦佐久姫の子孫である三浦皇統家に伝承されていると考察されています。
この命題については、神風串呂による地文学的検証をはじめ、多角的な研究によって論究が続けられています。
神風串呂を単なる迷信や偶然として退けるのではなく、一つの研究対象として検証する姿勢は極めて重要です。
なぜなら歴史を見れば、国家の精神的支柱が失われたとき、社会は分裂し、混乱へ向かう傾向があるからです。
串呂哲学は、日本の歴史と伝統を見直し、道義と秩序を重んじる社会の再建を目指す思想として、多くの示唆を与えているのです。
🟡神皇正統家の略系図

⭕神皇正統とは、崇神天皇の御代に確立された皇室制度の中で、「三種の神器(形代)」を正しく継承する天津日嗣の天皇の系統を指します。
歴代天皇は、この神器を継承することによって皇位の正統性を示し、国家と国民の安寧を祈る祭祀を司ってきました。神皇正統とは、単なる血統のみならず、天照大御神から受け継がれてきた祭祀と使命を担う系譜を意味するものです。
🟡元伊勢伝承とは
元伊勢伝承とは、天照大御神が伊勢鎮座以前に各地を巡行されたという伝承です。
串呂哲学では、この巡行を単なる遷座の歴史ではなく、「神風クシロ構築の旅」であったと解釈します。
すなわち、各地の産土神(地霊)との結び付きを深めながら、日本全土に神風串呂を張り巡らせるための壮大な計画であったという考え方です。
また、最終的に伊勢の地が選ばれたのは、単なる鎮座地としてではなく、日本列島に展開する串呂の超重要起点、すなわち基点・根拠地としての役割を担うためであったと考えられています。
この意味において、「元伊勢クシロ」と「神風クシロ」は本質的に同一のものであると位置付けられています。
🟡実証・論証・傍証の串呂
串呂哲学の創始者・三浦芳聖師は、一つの命題を真に立証するためには、三方向からの検証が必要であると説きました。
それが「実証」「論証」「傍証」の三本の串呂です。
🔶実証の串呂
実証の串呂とは、その人物や出来事と直接関係する地文を結ぶ串呂です。
出生地、居住地、修行地、隠棲地、陵墓、顕彰碑など、実際の足跡が確認できる場所を貫くことによって、歴史的事実との結び付きを示します。
いわば「事実による証明」が実証の串呂です。
🔶論証の串呂
論証の串呂とは、地名や地形に含まれる意味が、命題の内容と論理的に一致していることを示す串呂です。
例えば、御正体山を起点とする串呂が「正体」「正統」「本体」を象徴する地文を連続して結ぶ場合、それは偶然を超えた象徴的意味を持つと考えられます。
これは「理論による証明」にあたります。
🔶傍証の串呂
傍証の串呂とは、別の地点や別の視点から引かれた補強線です。
実証や論証だけでは見落とされる可能性のある部分を補い、同じ結論へ導く複数の証拠線を形成します。
第三者証言に近い役割を担うものであり、命題の信頼性をさらに高める働きを持ちます。
🔶三本の串呂が示すもの
実証・論証・傍証。
この三本の串呂が相互に整合し、一つの結論を指し示したとき、命題はより強固なものとして立証されます。
三浦芳聖師は、この三位一体の検証法こそが串呂哲学の根幹であると説きました。
事実による確認、理論による検証、そして補強証拠による裏付け。
この三重の検証によって真相へ迫ろうとするところに、串呂哲学の大きな特色があるのです。
🟡読者の皆様に!
【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。
このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。
『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。
神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。
なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。
神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。
🟡祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。
🟡神風串呂を学びましょう!
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ76才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。
著 書
「神風串呂入門」
「ここまで解った元伊勢伝承」
「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
「神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言」
「天照大御神の子育て御子三浦芳聖の教導録青春編」
など多数
ブログ
串呂哲学研究ノート
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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