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💟高御位山から諏訪へ!地名が語る“芳聖師の旅路”を歩く

    🎀串呂哲学研究ノート 第528号

    ⛰️高御位山から元・三浦芳聖家へ一本の線を引いてみたら、諏訪・吉永・高倉・神武……と、まるで“芳聖師の人生年表”のような地名が次々と並んでいました。串呂という精神世界のことではありますが、なぜか現実の地図の上で鮮やかな物語を描き出す――。今回は、そんな不思議な「串呂物語」をお届けします。

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    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家(諏訪2丁目)の神風串呂(Google.map)

    🌺はじめに

    奈良県御所市柏原地区の⛩️神武天皇聖蹟伝説地の串呂が、全部で七本解明され、この柏原地区こそが真の橿原宮跡であることは、充分に立証されたと見ています。

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    ⛩️神武天皇社(奈良県御所市柏原)

    【参照】神武天皇の神風串呂

    ⛰️高御位山から諏訪へ!地名が語る“芳聖師の旅路”を歩く

    さて、串呂哲学の創始者三浦芳聖師は、昭和20年(1945年)8月24日、敗戦の責任を痛感して、疎開先の豊川市萩町の仮寓の地に於いて切腹自裁を決意したその瞬間――天照大御神の御降臨を受けたのでした。

    等身大の御姿で御降臨になった天照大御神は「汝は神皇正統嫡皇孫・天津日嗣のスメラミコトであります。私に勝手に死ぬことは許しません!」という内容の空前絶後の御神諭を賜ったのです。この劇的な体験は、芳聖師の人生を大きく転換させた出来事として知られています。

    【参照】
    三浦芳聖師の昭和20年8月15日-三浦芳聖先生御降誕120周年記念

    その後、芳聖師は自らを「五皇一体の再現 八幡大明神」と位置づけ、祝詞を奏上する時も、揮毫した書にも「天照大御神の天津日嗣の御子」と名乗っておられました。

    こうした背景があるため、私は以前から「⛰️高御位山からの串呂は、芳聖師とどう関わるのだろう?」と気になっていたのです。
    (五皇…神武、応神、後嵯峨、後村上、松良の五人の天皇)

    “二つの日御子”の串呂が直交した場所
    前々号(第526号)では、二つの日御子から伸びる串呂が、元・三浦芳聖家で直交するという興味深い串呂を紹介しました。

    その対角線上のもう一ヶ所は日本海の上。つまり、地上で交わるのは芳聖師の旧宅ただ一ヶ所という、なんとも神秘的で象徴的な配置でした。

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    ほぼ直交する両 日御子と元 三浦芳聖家の神風串呂(概観) (Google.map/縮尺約192.3万分の1)

    ⛰️高御位山と元 三浦芳聖家(道場)の神風串呂

    では、⛰️高御位山から元・三浦芳聖家へ串呂を引くとどうなる?
    今回のテーマはここからです。

    ⛰️高御位山から、芳聖師の晩年の住まいであり終焉の地でもある豊川市諏訪二丁目(元・三浦芳聖家/道場兼住宅)へ向けて一本の線を引いてみました。

    すると――

    💞最初に目に飛び込んできたのは「諏訪(三重県伊賀市)」でした。🎯

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    三重県伊賀市諏訪中央を貫通(Google.map)
    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家(諏訪2丁目)の神風串呂

    「諏訪」は、芳聖師が約20年暮らした終焉の地 “諏訪二丁目” を象徴する地文です。神武天皇の串呂で言うなら「柏原」に相当する地文です。しかもその位置が、⛰️高御位山と元・三浦家のほぼ中間地点にあるのです。

    これは偶然というより、まるで「ここを見よ」と言わんばかりの配置です。

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    さらに串呂上には “芳聖師ゆかりの地名” が続々と並び、次々と象徴的な地名が現れました。

    高倉町(岡山県高梁市)
    高御座を象徴する地文

    吉永町吉永中(岡山県備前市)
    大宝天皇の忌み名「美良(よしなが)」=三浦皇統家

    神武(三重県亀山市加太)
    初代天皇の名であり、芳聖師が名乗った“五皇一体”の象徴

    これらが一直線に並ぶ様子は、まるで「芳聖師の人生を地名が語っている」
    かのようです。精神世界の象徴である串呂が、ここまで整然と“意味のある地名”を並べてくるのは、やはり驚きです。

    下記の串呂図をご覧下さい。

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    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家(諏訪2丁目)の神風串呂(Google.map)

    🌷重要地文の列挙

    🔶高倉町(岡山県高梁市)
    高御座
         ⬇️
    🔶吉永町吉永中(岡山県備前市)
    大宝天皇の忌み名(三浦皇統家)
         ⬇️
    ⭕⛰️高御位山(兵庫県加古川市志方町成井)
    起点 高御座
         ⬇️
    🔶諏訪(三重県伊賀市)
    諏訪 二串 -🔴-🔴-
         ⬇️
    🔶神武(三重県亀山市加太)
    神武天皇
         ⬇️
    ⭕元三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪2丁目)
    諏訪 二串 -🔴-🔴-
    至点 道場兼住宅

    🌺串呂概観まとめ

    串呂哲学は精神世界の象徴である――その前提は変わりません。
    しかし、今回の串呂はあまりにも“芳聖師の人生”を描きすぎています。

    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家へ伸びる一本の串呂は、まるで「芳聖師は高御座に登極した」と語りかけているかのようです。

    💟ありし日の三浦芳聖家の神風串呂

    🌺地文の解説と地図

    ❇️高倉町(たかくらちょう/岡山県高梁市)
    高御座をあらわす。

    高倉は高御座に通ずる地文です。高御座の御は尊称ですから高御座=高座(たかくら)です。
    高倉=たかくら=高座=高御座(たかみくら/御は尊称)

    【参照】高梁市高倉町は、明治22年に町村制の施行により発足した区域で、高倉町田井・高倉町飯部・高倉町大瀬八長の3地区で構成されている。この串呂では、南部の高倉町大瀬八長を貫通している。
    高倉村 (岡山県川上郡) - Wikipedia

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    高倉町(岡山県高梁市/Google.map)
    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家(諏訪2丁目)の神風串呂

    ❇️吉永町吉永中(よしながちょう よしながなか/岡山県備前市)
    吉永(よしなが)は、三浦芳聖師の遠祖 神皇正統 第百代 大宝天皇の忌み名(美良よしなが)を示すと共に、三浦皇統家をあらわす金看板です。

    吉永の同意義の地文としては「よしなが」と読める吉良、由良、吉長などがあります。

    【参照】由良(ゆら)の神風串呂

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    吉永町吉永中(岡山県備前市/Google.map)
    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家(諏訪2丁目)の神風串呂

    ⛰️高御位山(たかみくらやま/兵庫県加古川市志方町成井)
    串呂起点
    高御座をあらわす重要地文で国内唯一の地名(山岳)

    『高御位山- Wikipedia』
    高御位山
    (たかみくらやま)は、兵庫県加古川市と高砂市の市境に位置する標高304メートルの山である。別名は播磨富士。東播磨丘陵地高御位山系の連峰は播磨アルプスと呼ばれることがある。

    【参照】高御位山の神風串呂

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    高御位山(登山メディアYAMA HACK ヤマハック)


    ❇️諏訪(すわ/三重県伊賀市)
    ここでは、元 三浦芳聖家の住所(諏訪二丁目)をあらわす。
    三浦芳聖師がお元気だった当時の住所は「豊川市市田町諏訪林」でした。

    この地文が、元 三浦芳聖家の住所(諏訪二丁目)をあらわす重要地文として配置されていることは、この地文が、⛰️高御位山と元 三浦芳聖家とのほぼ中間地点にあることで推察できる。(串呂構築技法のひとつ)

    ⛰️高御位山-(ほぼ等距離) -諏訪-(ほぼ等距離) -元 三浦芳聖家

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    諏訪(三重県伊賀市/Google.map)
    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家(諏訪2丁目)の神風串呂

    ❇️神武(じんむ/三重県亀山市加太)
    神武天皇を示す地文。

    神武天皇≒三浦芳聖

    三浦芳聖師は、大宝天皇の誓願により「神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現 八幡大明神」としてこの世に派遣された方で、今世の修行の結果、霊格が向上した最晩年の頃には「神武 応神 二皇一体の再現」と名乗ることもありました。

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    神武(三重県亀山市加太/Google.map)
    ⛰️高御位山から元三浦芳聖家(諏訪2丁目)の神風串呂

    ⭕元 三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪2丁目)
    諏訪 二串 -🔴-🔴-
    串呂至点 道場兼住宅

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    20万分の1の地図を敷いて神風串呂の講義をする晩年の三浦芳聖

    🌺主要地文の列挙

    これは神風串呂という精神世界のことであるとは言え、あまりの的確さに驚きつつ、さらにこの線上の地文を調査探求して見ました。

    すると、下記の主要地文が多数配置されていました。

    この中で特筆すべきは、三浦芳聖師の遠祖・長慶院法皇(松良天皇の養父・大宝天皇の外祖父)の仙洞御所跡(豊川市森/小田渕町)が配置されていました。

    愛知県豊川市森/小田渕町は、錦門御堂と呼ばれた長慶院法皇の仙洞御所(望王理郷/王田殿)のあった所です。(青木文献)

    望王理(もうおうり)➡森(もり)
    王田殿(おうだでん)➡小田渕(おだぶち)

    【参照】長慶院法皇

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    藤原石山著『三河に於ける長慶天皇伝説考』より

    この串呂については、いずれ機会を得て詳細に調査研究したいと考えていますが、ここでは主要地文を列挙することにとどめます。🙇‍♂️

    都 三串 -🔴-🔴-🔴-
    吉永(吉良)二串 -🔴-🔴-
    一色町 二串 -🔴-🔴-
    諏訪 二串 -🔴-🔴-
    三宅 二串 -🔴-🔴-
    森 二串 -🔴-🔴-

    🔶総領町上領家(広島県庄原市)
    総支配者=スメラミコト
         ⬇️
    🔶高光(広島県神石郡神石高原町)
    天照に同じ
         ⬇️
    🔶神原(岡山県高梁市松原町)
    皇族(神尾に同じ)
         ⬇️
    🔶高倉町(岡山県高梁市)
    高御座
         ⬇️
    🔶和気町(岡山県和気郡)
    正統
         ⬇️
    🔶吉永町吉永中(岡山県備前市)
    吉永(吉良)二串 -🔴-🔴-
    大宝天皇(美良)三浦皇統家
         ⬇️
    🔶三宅(兵庫県姫路市飾磨区)
    三宅 二串 -🔴-🔴-
    皇族(宮家)
         ⬇️
    🔶御国野町御着(兵庫県姫路市)
    国家
         ⬇️
    ⭕⛰️高御位山(兵庫県加古川市志方町成井)
    起点
    高御座
         ⬇️
    🔶都台(兵庫県加古川市上荘町)
    都 三串 -🔴-🔴-🔴-
    皇都
         ⬇️
    🔶御殿山(兵庫県宝塚市)
    御所
         ⬇️
    🔶諏訪(三重県伊賀市)
    諏訪 二串 -🔴-🔴-
         ⬇️
    🔶御代(三重県伊賀市)
    天皇の治世
         ⬇️
    🔶神武(三重県亀山市加太)
    神武天皇
    五皇一体の再現 八幡大明神 芳聖
         ⬇️
    🔶三宅町(三重県鈴鹿市)
    三宅 二串 -🔴-🔴-
    皇族(宮家)
         ⬇️
    🔶御薗町(三重県鈴鹿市)
    皇族
         ⬇️
    🔶龍王の滝(京都府綴喜郡井手町多賀)
    龍王=天皇
         ⬇️
    🔶開正(愛知県西尾市一色町)
    一色町 二串 -🔴-🔴-
    正統を開く
         ⬇️
    🔶一色町(愛知県蒲郡市)
    一色町 二串 -🔴-🔴-
    重要串呂をあらわす。
         ⬇️
    🔶宝町(愛知県蒲郡市)
    三種の神器(神宝)
         ⬇️
    🔶元町(愛知県蒲郡市)
    三浦芳聖師の母(元子)
    💟三浦芳聖師の母 河合元子
         ⬇️
    🔶神明町(愛知県蒲郡市)
    天照大御神
         ⬇️
    🔶吉良町(愛知県西尾市)
    吉永(吉良)二串 -🔴-🔴-
         ⬇️
    🔶長慶院法皇の仙洞御所跡(豊川市森・小田渕町)
    森 二串 -🔴-🔴-

    【参照】
    長慶院法皇
    青木文献
         ⬇️
    ⭕元 三浦芳聖家(豊川市諏訪二丁目)
    諏訪 二串 -🔴-🔴-
    道場兼自宅
         ⬇️
    🔶都田町(静岡県浜松市浜名区)
    都 三串 -🔴-🔴-🔴-
    皇都
         ⬇️
    🔶新都田(静岡県浜松市浜名区)
    都 三串 -🔴-🔴-🔴-
    皇都
         ⬇️
    🔶森町森(静岡県周智郡)
    森 二串 -🔴-🔴-


    🟡読者の皆様に!
    【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。

    このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。

    『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。

    神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。

    なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。

    神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。

    🟡祈り
    全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

    🟡神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)


    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言」
    「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
    など多数

    ブログ
    串呂哲学研究ノート
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    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
    *******************


     
     
    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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