メインコンテンツへスキップ
見出し画像

💟大樹寺‐地名に宿るもうひとつの顔-地文学への招待 №30

    🎀串呂哲学研究ノート 第513号

    大樹寺 ─ 徳川将軍ゆかりのこの地名には、もうひとつの顔が有る。
    神々によって刻まれた地文としての奥深い意味をご紹介します!

    💞はじめに

    私たちが暮らす町や村の名前には、地図には載らない“もうひとつの物語”が潜んでいます。古くから日本人は、土地の名をただの記号ではなく、神々からのメッセージとして受け取り、そこに宿る気配けはいや祈りを読み取ってきました。

    地名に隠れた物語をひもとく学問 ── それが「地文学」です。

    地文学を学ぶと、日常の風景が少しずつ変わって見えてきます。何気なく通り過ぎていた地名が、実は 神々の息づかい を伝える“言葉”だったと気づく瞬間が訪れるのです。

    今号は、そんな地文学の世界を、肩の力を抜いて楽しんでいただけるよう、ひとつの地名を題材に小さな旅へご案内します。

    画像

    💞大樹寺 ─ 地名に宿るもうひとつの顔

    今回取り上げるのは、愛知県岡崎市にある「大樹寺(だいじゅじ)」という地名です。 徳川将軍家とゆかりの深い浄土宗の寺院に因む地名として知られています。「大樹(たいじゅ)」という言葉には、古くから将軍という意味があり、大樹寺とは、徳川将軍家の菩提寺という意味なのです。

    大樹=将軍
    大樹寺=将軍家ゆかりの寺院

    (注)大樹=近衛大将、征夷大将軍の唐名


    しかし、地文学の視点で眺めると、この地名は、徳川将軍に関わる単なる寺院名では終わりません。

    🔴なぜこの場所に「大樹寺だいじゅじ」という地名が置かれたのか。地誌としての説明はできますが、地文学が探るのは、その“さらに奥”── なぜ、ここにその地名が“配置された”のか という精神世界の理由です。

    そして、その答えは意外なほど明快です。

    💞大樹寺は、樹高36mの大楠(巨樹)で有名な卍寺野薬師堂の串呂かんろ(くしろ)線上に位置しているから!

    地名は偶然ではなく、神々の設計図 ── すなわち 串呂かんろ(くしろ) によって配置されている。 この視点に立つと、大樹寺という地名が持つ意味が、まったく違う姿で立ち上がってきます。

    念のため、「大樹寺」を串呂哲学的、地文学的に分析して解説します。

    大樹・・・大きな樹木、巨樹、巨木
    寺・・・・寺院
    大樹寺・・大きな樹木に関係深いお寺

    💞経ヶ岳と卍寺野薬師堂を結ぶ神風串呂

    卍寺野薬師堂の大楠

    愛知県岡崎市夏山町の「卍寺野薬師堂」といえば、境内にそびえる巨大な大クスで知られています。 樹齢千年ともいわれるその姿は、まさに土地の守り神のような存在です。

    大楠の幹周りは約12m、樹高は約36m、根囲は約27メートル、根の横幅は約10mあり、愛知県指定の天然記念物となっています。

    画像
    愛知県岡崎市 寺野の大クス(寺野の大楠)


    卍寺野薬師堂の大楠おおくすは、額田町(卍寺野薬師堂の旧町名)を紹介するホーム頁に下記のように出ていました。(現在リンク切れです)

    薬師堂の屋根や村の家々を見守るかのように、それはそれは大きな枝を中央にかざし、巨大な根張りが雄大怪異で崖面に露出している。昭和43年(1968年)11月4日に愛知県の天然記念物に指定された。樹齢千年、幹囲12メートル、根囲27メートル、樹高は何と36メートルあり、根元に立てばまさに霊感を覚える。

    現在リンク切れ

    この卍寺野薬師堂の大楠は、神皇正統 第百代 大宝天皇(南朝 後醍醐天皇 五世の皇孫)が、永享10年(1438年)~享徳3年(1454年)の満16年間にわたり大般若六百巻を念書して、皇威の回復を熱祷祈願した象徴的な現象であると思われます。

    楠=木偏+南・・・南朝の象徴

    このような視点で地文を調査していたところ、第512号「卍寺野薬師堂と⛩️明治天皇陵との神風串呂」では、「楠(兵庫県赤穂郡上郡町)」が有りました。

    ⛩️天計神社あまはかりじんじゃ-吉永町加賀美/多麻-楠くすのき(兵庫県赤穂郡上郡町)-毛利長門西町もうりながとにしまち/東町ひがしまち-⛩️明治天皇陵-卍寺野薬師堂

    画像
    兵庫県赤穂郡上郡町「楠」(Google.map)
    ⛰️卍寺野薬師堂と⛩️明治天皇陵との神風串呂

    卍寺野薬師堂は、大宝天皇が十六年間にわたり大般若六百巻を念書された尊い道場ですから「この大楠に関する串呂が構築されているに相違ない!」と思われたのです。

    ⛰️経ヶ岳きょうがたけからの神風串呂

    以上のような経緯で卍寺野薬師堂の串呂を研究中、Google.map上に浮かび上がって来たのが、滋賀県高島市朽木平良の「⛰️経ヶ岳」でした。

    そのタイミングは下記のように「ここ(⛰️経ヶ岳)を起点にして串呂してみて下さい!」という感じで、⛰️経ヶ岳に招かれたのです。

    画像
    滋賀県高島市朽木平良⛰️経ヶ岳(Google.map)

    そこで、滋賀県高島市の⛰️経ヶ岳きょうがたけを起点に、卍寺野薬師堂へ向けて線を引くと ── その串呂の途中に、ぽつりと 「大樹寺」 が置かれていたのです。

    ⛰️経ヶ岳(高島市)-大樹寺(岡崎市)-卍寺野薬師堂

    偶然にしては出来すぎています。 むしろ、串呂を構成するために地名が置かれた と考える方が自然です。

    画像
    愛知県岡崎市「大樹寺」(Google.map)
    ⛰️経ヶ岳と卍寺野薬師堂との神風串呂

    岡崎市の「大樹寺」は、例によって国内唯一のユニークな地名です。しかも大樹寺地区内に、愛知環状鉄道の大門駅だいもんえきがあり、その西側には大門だいもん5丁目が隣接しています。

    ⛰️経ヶ岳-大門(岡崎市)-大樹寺(岡崎市)-卍寺野薬師堂

    大門だいもんとは、大御門おおみかど(大帝/天皇/皇居)をあらわす地名です。

    ここでは卍寺野薬師堂が大宝天皇の御座所ござしょ(行在所)であったことを示しています。また大宝天皇が天照大御神の御神諭のまにまに移住した岡崎市牧平町の地名も大門だいもんです。

    画像
    愛知県岡崎市「大樹寺」(YAHOO!JAPAN地図)
    画像
    愛知県岡崎市「大門」(Google.map)
    ⛰️経ヶ岳と卍寺野薬師堂との神風串呂

    【参照】
    💟大門(愛知県岡崎市牧平町)
    大樹寺 (岡崎市の町名) - Wikipedia
    大門駅 (愛知県) - Wikipedia

    こうして岡崎市の大樹寺は、串呂地文として配置されていることが判明したので、この線を西北方へ延長して線上に配置されている地名を調べて見ました。

    するとまことに神秘的なことに、卍大寳院たいほういん(兵庫県美方郡新温泉町久谷)、卍般若寺はんにゃじ(京都府舞鶴市富室)という二つの寺院が配置されていたのです。

    卍大寳院たいほういん-卍般若寺はんにゃじ-⛰️経ヶ岳(高島市)-大門(岡崎市)-大樹寺(岡崎市)-卍寺野薬師堂(岡崎市夏山町)

    🔴大樹寺は、大宝天皇が、寺野薬師堂で大般若六百巻を念書した偉業を称える大クスを象徴する地名であると読めます!

    画像
    高島市⛰️経ヶ岳と卍寺野薬師堂の神風串呂(Google.map/縮尺95.2万分の1)

    💞地文学的考察

    大樹寺という地名は、一般には徳川将軍家ゆかりの「卍大樹寺」に由来すると語られます。しかし、串呂が明らかになった今となっては、この地に寺院が“たまたま”建てられたのではないことが、むしろはっきりと見えてきます。

    💞結論をひと言でいえば── 大樹寺という地文は、この串呂を成立させるために“配置された”のだ、という視点です。 これこそが、地文学的考察の到達点です。

    この視点に立つと、次のような構図が浮かび上がります。

    すなわち、「⛰️経ヶ岳と卍寺野薬師堂を結ぶ線上に“大楠”を象徴する地文を築け!」という大御神のご神命にもとづき、八百万の神々が神計りを重ね、その結果として「大樹寺」という地名が置かれた ── という理解です。

    別の角度から言えば、日本史に現れる数々の出来事そのものが、神々の神計画に沿って展開し、串呂(地文)を構築してきたのではないか。

    この大胆な仮説を、私は「神風串呂史観しんぷうかんろしかん」と呼んでいます。串呂哲学の底を静かに流れる、いわばテーマソングのような思想です。

    では、地名が先なのか、現象(大楠おおくす)が先なのか。 現代的な因果律では答えの出ない問いですが、神々の世界では“どちらが先か”ではなく、すべてが同期していると考える方がふさわしいのかもしれません。

    なぜなら、地文とは── 神力 万能 無限の串呂主宰神 天照大御神が、天翔あまかけり国翔くにかけり、過去・現在・未来を自在に往還しながら構築されるものだからです。

    (同期=内容や情報を一致させること。シンクロナイズさせること。)

    🍀🍀🍀🍀🍀

    💞これは余談になりますが、三浦芳聖師のご講話の中で、「三浦家の系図に、三浦家と徳川家の先祖 三河松平氏とは大宝天皇以降のある時期に婚姻を通じて縁戚関係にあったことが記録されていた。」とお聞きしています。岡崎市の卍大樹寺は、その三河松平氏の菩提寺であります。



    🟡神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)


    🟣情報拡散のお願い

    神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
    🌷この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が解明した神風串呂の紹介記事です。

    三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

    🌷串呂主宰神 天照大御神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

    ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

    2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

    🌷神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

    神風串呂の主宰神は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
    一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。


    🟡祈り
    全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。


    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
    など多数

    ブログ
    串呂哲学研究ノート
    *******************
    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
    *******************

     
     
    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

    あなたへのおすすめ