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💟貞成親王の神風串呂⑥―史料と地文が示す“足利王統の闇”

    🎀串呂哲学研究ノート 第542号

    伏見宮家の急死事件、看聞日記の異様な記述、そして地文が描く串呂構造。 史料と地文が重なったとき、貞成親王の真の姿が浮かび上がる。
    本号では、義満・貞成 父子二代にわたる皇統簒奪の核心へ迫る。

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    兵庫県佐曽利を中心とする神風串呂(Google.Map/縮尺95.2万分の1)

    💕はじめに――貞成親王の正体

    これまで「串呂と看聞日記・椿葉記」の研究を重ねてきた結果、伏見宮 貞成親王の正体 は、次のように定義できる地点へ到達しました。

    貞成親王は足利義満の長男であり、伏見宮 栄仁親王・治仁王を毒殺して伏見宮家を背乗りし、長男・彦仁を後花園天皇として皇位に就けた人物である。 その簒奪王統(足利天皇家)は明治維新まで継承された。

    そして、この「足利天皇家」の終焉は、明治維新期に起こった「孝明天皇暗殺事件」によって象徴されます。 孝明天皇は、岩倉具視・木戸孝允・山県有朋・伊藤博文・大久保利通ら維新の主導者によって裏切られ、殺害された。

    鹿島曻『裏切られた三人の天皇』が示すこの構図は、「孝明天皇=足利天皇」であったことを裏付ける状況証拠 として極めて重要です。

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    孝明天皇、その子睦仁、そして明治天皇は、明治維新を推進した岩倉具視や木戸、
    山県、伊藤、大久保たちに暗殺され、裏切られた哀しい存在であったことを論じる。

    なぜ公家たちは孝明天皇を裏切ったのか。 その背景には、「後花園以降の皇統は足利氏が擁立した偽朝である」という口碑が、公家社会に代々伝承されていたからだと推察できます。

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    岩倉具視を中心に、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通といった錚々たる維新の元勲たち

    本号では、伏見宮 栄仁親王・治仁王毒殺事件 を取り上げ、「看聞日記」の要点を整理し、その史実が 地文(串呂)によって裏付けられていること を明らかにします。


    🟢初めての方は、下記をご覧になると理解しやすいです。

    🔶後花園天皇の神風串呂――地文が示す“足利王統”の影
    🔶天子ヶ岳が暴く“室町王権の正体”――後花園天皇の神風串呂④
    🔷貞成親王の神風串呂——“旧宮家の原点”はどこにあるのか
    🔷貞成親王の神風串呂②――御名が示す“足利長男”の証明
    🔷貞成親王の神風串呂③ーー父子二代の皇統簒奪を暴く
    🔷貞成親王の神風串呂④——治仁王急死が示す皇統簒奪の証し
    🔷貞成親王の神風串呂⑤―子宝・十四山・源太が示す「義満十四歳の受胎」


    目 次

    はじめに――貞成親王の正体
    義満 貞成 父子二代にわたる皇統簒奪の史実
    (1)皇位継承者の臨終時に侍医が来なかった
    (2)毒殺事件の犯人は貞成親王か
    (3)皇統簒奪の震源地(元凶)は足利義満
    (4)思い出してください!
    (5)結語——地文は奇跡である


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    🔶義満 貞成 父子二代にわたる皇統簒奪の史実

    (1)皇位継承者の臨終時に侍医が来なかった

    貞成親王自筆の『看聞日記』は、 栄仁親王(応永23年11月20日) 治仁王(応永24年2月11日) ――両者の臨終時に 医者が一度も来なかった と記録しています。

    皇位継承権を持つ宮家の臨終に医者が不在―― これは「異常」ではなく 事件 です。

    当時、皇位継承権を持っていたのは

    ①小川宮(13歳)
    ②栄仁親王
    ③治仁王

    の三名のみ。 称光天皇には世継ぎがなく、皇統は極度に不安定でした。

    🔷称光天皇の行状――「看聞日記」(応永23年6月19日)
    称光天皇は行状に問題が多く、後小松上皇や足利義持をたびたび悩ませたと伝わる。主なものでは、天皇は太刀や刀、弓の扱いを好んでそれをもて遊ぶ事に拘泥し、金の鞭で近臣や女官を打ち据えたため、その行状を聞いた義持が上皇に苦情を提している。(『称光天皇- Wikipedia』)

    こうした状況で 第二位・第三位の皇位継承者が同時期に急死し、医者が来ない。 この事実こそ、両者の死が 皇統簒奪のための殺害であった ことを物語ります。

    この伏見宮 栄仁親王を排除しようとする室町王権の意図は、応永5年(1398年)正月、崇光上皇が崩御したあと、後小松天皇(足利義満の次男)は、持明院統の主要な所領(長講堂領・法金剛院領・熱田社領など)を栄仁親王が継承することを認めず没収してしまったところに見ることが出来ます。

    (2)毒殺事件の犯人は貞成親王か

    『看聞日記』には、貞成親王自身が 「六年間、日夜に親しく仕え、臨終まで看病した」 と記しています。

    しかし、栄仁親王の臨終症状は ヒ素中毒の疑いが濃厚。 六年に及ぶ「看病」は、六年かけて毒殺したのは私である という婉曲表現として読めます。

    治仁王の臨終記事では、「二人きりの場面で、外より御身を損じられた」 と記されます。

    外的要因=毒。
    二人きり=犯人は貞成。

    これは極めて明確な記述です。

    当ブログが、この様に断言する根拠は、すでにご紹介した下記の串呂が有るからです。

    🔶貞成親王の神風串呂②――御名が示す“足利長男”の証明


    御名―上佐曽利(兵庫県宝塚市)―⛩️伏見松林院陵―源氏町


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    山﨑町御名と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

    🔴貞成親王は、「姓は源氏(足利氏)、名はサソリ」であると読み解けるからであります。

    この佐曽利は、毒針、毒殺、毒殺犯を示す地文です。
    毒殺の目的は、伏見宮家の背乗りです。

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    (3)皇統簒奪の震源地(元凶)は足利義満

    卍金閣寺と佐曽利の神風串呂

    佐曽利(毒針)と金閣寺(義満)を結ぶと、 その線上に 北山奥山 が現れます。

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    卍金閣寺と宝塚市佐曽利を結ぶ神風串呂(Google.Map/縮尺約23.8万分の1)

    ⛰️北山奥山(兵庫県加古川市志方町横大路)

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    卍金閣寺と宝塚市佐曽利を結ぶ神風串呂(Google.Map)

    南東部に隣接している「⛰️旗振り山」(兵庫県高砂市)は、皇統簒奪を意図した発起人(震源地=元凶)を表わします。

    ⛰️北山奥山+⛰️旗振り山
    皇統簒奪の元凶(発起人)は、北山殿(足利義満)であることをあらわしています。


    🔴しかも地文の位置が等距離間隔に配置されています!


    ⛰️北山奥山ー(ほぼ等距離)ー佐曽利ー(ほぼ等距離)ー卍金閣寺

    🔶ほぼ等距離
    ⛰️北山奥山ーー佐曽利  約39.5km
    佐曽利ーーーー卍金閣寺  約49.5km

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    卍金閣寺と宝塚市佐曽利を結ぶ神風串呂(Google.Map/縮尺約23.8万分の1)

    奥山は「奥の院または奥山のたぬき」であります。

    🔴皇統簒奪の首謀者(震源地 奥の院)は北山殿(足利義満)であると解読できるのです!

    親子二代にわたる皇統簒奪の史実が地文に刻まれていたのです!


    🔶御名―上佐曽利(兵庫県宝塚市)―⛩️伏見松林院陵―源氏町
    🔷⛰️北山奥山(加古川市)ー佐曽利ー卍北山殿 金閣寺


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    兵庫県佐曽利を中心とする神風串呂(Google.Map/縮尺95.2万分の1)

    (4)思い出してください!

    🔶北山とは義満の代名詞でした!

    第537号でご紹介した「北山」の事を思い出してください。

    ❇️⛩️元伊勢内宮ー胡麻ー大北山ー北山第卍金閣寺ー🔴伊賀市北山
    ❇️貞成親王⛩️伏見松林院陵ー🔴伊賀市北山―⛩️内宮


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    伊賀市北山を中心にリンクする二本の串呂(Google.Map)


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    🔶義満 貞成父子は皇統簒奪のたぬきでした!

    第539号でご紹介した「下弓削町奥山」の事を思い出してください。

    父子ー上弓削町/下弓削町奥山ー卍金閣寺ー貞成親王⛩️伏見松林院陵

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    京都市右京区京北上弓削町(Google.Map)
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    💕卍金閣寺と⛩️伏見松林院陵の神風串呂(Google.Map)

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    🔴義満と貞成は親子のセットでした!

    第541号で提示した「子宝」を中心とする2本の串呂を思い出して下さい。

    ❇️卍金閣寺――一式町――子宝
    ❇️⛩️伏見松林院陵ー子宝ー十四山東公園ー源太ー⛰️御正体山

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    「子宝」を中心とする貞成親王の神風串呂(Google.Map/縮尺約47.6万分の1)

    (5)結語——地文は奇跡である

    以上、栄仁親王・治仁王毒殺事件 に関する「看聞日記」の要点を整理し、その史実が 地文(串呂)によって裏付けられていること を明らかにしました。

    🔴的確なる地文が配置されているのは、一種の奇跡です。


    これは、宮家が背乗りされ、皇統が簒奪された史実を、何としても明らかにしたいという串呂主宰神・天照大御神の切実なる思いが、地文として結晶しているのです。


    🟡読者の皆様に!
    【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。

    このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。

    『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。

    神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。

    なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。

    神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。

    🟡祈り
    全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

    🟡神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)


    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言」
    「天照大御神の子育て御子三浦芳聖の教導録青春編」
    など多数

    ブログ
    串呂哲学研究ノート
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    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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