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💟第32話 長女幸枝誕生-寺泊皇女 悲話 追想

    🟡長女幸枝ゆきえ誕生

    昭和4年(1929年)10月23日、加納福江さんが、女児を出産したとの電報を受け取った芳聖は、直ちに愛知県岡崎市牧平町大門の三浦家累代るいだいの氏神「豊富神社とよとみじんじゃ」へ奉告ほうこく参拝し、霊示を受けて「幸枝ゆきえ」と命名しました。

    この名前には、加納家に幸さきわう枝えだ、また芳聖の幼名「幸喜智こうきち」の枝えだ(金枝玉葉きんしぎょくようの金枝)という意味があります。

    (*芳聖の幼名については、幸喜知という記録もあり、いずれが正しいか牧平町の戸籍を見ないと断定できません。画数は32画の幸喜智の方が良いですね。)

    芳聖が、約束通り福江さんと協議離婚の手続きをしますと、加納幸枝は芳聖から家督相続かとくそうぞくして戸主こしゅとなり、芳聖は三浦家を再興して三浦姓に復しました。

    その後、福江さんが松田氏と再婚したため、幸枝さんは、長一さんの両親に育てられました。

    芳聖が、長女幸枝さんに初めて会ったのは、昭和12年(1937年)10月、支那事変しなじへんに応召おうしょうし出征しゅっせいする時でした。

    芳聖は、長一さんの母親に幸枝さんを京都駅に連れて来てもらって親子の初対面をしたのでした。幸枝さんは数えで9歳(小学2年)でした。

    その時の幸枝さんの印象は、昭和8年(1933年)生まれの次女によく似ていたので、芳聖は、我が子に間違いないと確信したのでした。

    幸うすき 父子ふしに恵みの 時ありて 支那事変また 神の恩寵おんちょう(超世志)

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    🟡寺泊皇女 悲話 追想

    🟠遠祖の人生の追体験

    福江さんと、長女幸枝さんについては、なぜ大御神の御子芳聖は、血を分けた親子でありながら、ひとつ屋根の下で共に暮らせないという「悲しく辛い体験」をしなければならなかったのか!という事になります。

    実は、五皇一体の八幡大明神としてこの世に派遣された芳聖の任務の一つに、遠祖の苦労を偲しのぶために、遠祖の人生を身を以って追体験するという課題がありました。

    たとえば、数えの10歳の幼年期に父親と死別するという体験もそうでした。
    🟢興国天皇(守永)・・・数えの10歳(1337年)で、父・尊良天皇と死別。
    🟢松良天皇(正良)・・・父・小松天皇が囚とらわれ、京都へ連行されたので、数えの10歳(1373年)で践祚。

    福江さんと幸枝さんの件は、芳聖の前生ぜんしょうのひとりである松良天皇が、その人生で体験した出来事の追体験でした。

    松良天皇
    元中5年(1388年)、足利義満みずから率いる15万の大軍の猛攻に遭い、富士の皇居が落城した。25歳。

    🟠寺泊皇女 悲話 追想

    松良天皇(1364年-1417年)は、富士の皇居(富士吉田市大明見付近)が攻撃された時(1388年)、数えの25歳で、新潟県長岡市寺泊へ緊急避難しましたが、その時、八乙女やおとめの女官に出来た皇女がいて、芳聖と幸枝さんのケースと同じように父娘が生別した事蹟があったというのです。

    これは、福江さんと結婚した時の芳聖の年齢(旧暦で25歳の12月)と松良天皇が寺泊に緊急避難した時の年齢が同じ数えの25歳であったことや、神界からの霊示と串呂の研究などから判明したものです。

    これは、遠祖・松良天皇の事蹟を直系の嫡孫が、540年後に追体験させられたことになります。

    また、新潟県出身の加納家は、この新潟県長岡市寺泊で松良天皇と八乙女の女官に出来た皇女の子孫であると思われることも、串呂の研究で判明しています。

    💫松良天皇が、八乙女の女官と寺泊皇女との生活を犠牲にして、内伝の天皇として皇統を優先しなければならない状況に置かれた時の苦衷くちゅうを追体験して、そのご苦労を偲しのぶ課題であったという事です。

    💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮しんぼうえんりょにより、芳聖は、遠祖 松良天皇が、内伝の皇統を優先する為、寺泊で生まれた皇女との生活を犠牲にした時の苦衷くちゅうを体験させられました。

    💟第33話 野村 鈴と再婚-運命の赤い串呂
    🟢天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録


    🔴神風串呂を学びましょう!


    🟡バックナンバー(総合)


    🟣情報拡散のお願い

    神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
    🌷この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が解明した神風串呂の紹介記事です。

    三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

    🌷串呂主宰神 天照大御神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

    ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

    2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

    🌷神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

    神風串呂の主宰神は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
    一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。


    🟡祈り
    全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。


    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
    など多数

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    串呂哲学研究ノート
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    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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