
20年後のアジサイ
朝起きて、肌が裂けそうな痛みに顔を歪める。
時間をかけてゆっくりと身体を起こす。
一面血だらけのシーツを見て、その場に立ち尽くす。
まるで「現場」の遺留品みたい。
「救急車を呼ぼうか」
母がポツリとつぶやく。
私は力なく首を振る。
だって「こんな状態」で外に出られるわけがない。
そこそこ精神的に追い詰められているはずなのに、人目を気にする自分がちゃんと残っている。
テレビでは、日本アカデミー賞の授賞式の様子が流れていた。
だからきっと3月の出来事だったんだろう。
脳にも心にも栄養が行き届かなかったのか、ひどく記憶があいまいなのだ。
20歳のとき、アトピーが急激に悪化した私は、大学を休学して実家に戻っていた。
来る日も来る日も、1日の大半を「掻く」ことだけに費やす日々。
頭から爪先まで、掻いていない場所はない。
掻いた後に襲ってくる痛みと後悔。
それでも掻くことがやめられない。
「理性」も「意思」も「努力」も、痒みの前にはまるで無力なのだ。
自分の容貌を直視する勇気がなくて鏡はずっと見ていない。
服を着ることもできず、外に出られない私の世界は、この部屋の中だけだった。
昼寝て、夜起きた。
皆、学校へ行って、会社へ行って、家事育児をして。
私は、会社員でも、お母さんでもない。学生とも言えない。
「所属」を失う恐怖。
太陽の光も、出勤途中のサラリーマンの後ろ姿も、高校のグラウンドから聞こえる野球部の掛け声も、何もかもが無縁で、何もかもがわずらわしい。
窓の外の世界に目を背け、布団に横たわって固く目をつむる。
多くの人が寝静まる夜でなければ、うまく心を保つことができなかった。
もうずいぶん長いこと、ぐっすりと眠った記憶がない。
少し前まで、ごくごくフツーの大学生だった。授業を受けて、友達としゃべって、バイトして。
浸出液と薬の匂いが混じった部屋で、ひとりこのまま腐っていくような感覚。
「ここから出たい」と思う。
直後に「ここから出たくない」と思う。
最後に外に出た時に見たアジサイを思い出す。
鮮やかなブルーが変色し朽ちて、誰にも見向きもされなくなっても、ただそこに在り続けるしかないアジサイ。
それでも私は大学に戻った。
学則の上限の期間めいっぱい休んで戻った。
復学してしばらくは、おでこから流れた浸出液で前髪が顔に張り付いたまま授業を受けた。当然同級生は全員年下で知った顔もいない。誰とも関わらず、黙々と、淡々と、家と大学を往復し、2年かけて大学を卒業した。
休学中、「頑張ろう」と思ったことは多分1度もない。
ただ「戻りたい」と思った。
母は、3年間、私の下宿先のアパートの家賃を払い続けた。
戻れるかどうかわからない。
無駄になるかもしれない。
医者には「社会復帰は難しいだろう」と言われていたのだから。
それでも、私の居場所を守ってくれた。
戻る場所がある、戻れると信じてくれる人がいることに、ただただ私は救われたのだ。
あれから約20年。
私はあの頃の母の年齢に差し掛かりつつある。
15年以上勤めた会社を辞めたいと思ったとき、ふと、あの頃の「所属」を失うかもしれない恐怖を思い出していた。
窓の外は雨。
鮮やかなアジサイのブルー。