
明日の服を用意しない母は、朝を甘く見ていますか
日曜日の夜、洗濯物をたたんでいると、娘がパジャマのまま二階へ上がっていきました。明日の服、決めておいたら、と声をかけようとして、やめました。階段の途中で娘が振り返り、『なに?』と聞いたので、『歯みがき忘れないでね』とだけ言いました。
月曜日の朝が慌ただしくなることは、分かっています。
気温が下がってきたこの時期は、半袖では寒い、でも厚いトレーナーだと教室で暑い、上着はランドセルに入らない、と、服を一組決めるだけで妙に時間がかかります。七歳の娘は、前の晩には何でもいいと言うのに、朝になると急に色の組み合わせが気になったり、靴下の縫い目が気になったりするんですよね。
以前は、私が全部用意していました。天気予報を見て、長袖のシャツと薄いカーディガンを重ね、靴下まで椅子の背に置く。翌朝、娘はそれを着ればいいだけです。忘れ物も減るし、家を出る時間も乱れない。母親としては、たぶんこちらのほうがよくできているように見えます。
けれどある朝、私が選んだ紺色のスカートを見て、娘が『今日はこれじゃない気分』と言いました。急いでいた私は、昨日のうちに言ってよ、と返しました。娘はしばらく黙って、それから小さく、『昨日は、今日の気分が分からなかった』と言ったんです。
そりゃそうか。
大人の私だって、夜に決めた服を朝になって変えることがあります。空の色が思ったより暗かったり、眠りが浅くて柔らかいものを着たくなったり、鏡の前に立った自分が、昨日想像した自分と少し違ったりする。そんな曖昧なことを、自分には許しているのに、子どもには段取りの悪さとして片づけていました。
それから、日曜の夜に娘の服を用意するのをやめました。正確には、私の中で候補だけ考えています。冷えそうなら羽織れるものが洗ってあるか、体育があるなら着替えやすい服が残っているか。それだけ確認して、選ぶところは娘に残す。
先日、同じ学年のお母さんが、平日の服は五組まとめて決めておくと朝が楽だと話していました。きちんと並んだ引き出しを想像して、私は素直に、すごいね、と言いました。本当にすごいんです。毎朝の小さな判断を減らす工夫として、とても賢い。ただ、その方法を聞いたあとで、自分もそうしたほうがいいのかな、と胸の奥が少しだけざわつきました。誰にも勧められていないのに、整っている家の話を聞くと、整っていない部分を急に隠したくなるんですよね。
でも、わが家にはわが家の朝があります。
もちろん、きれいな話だけではありません。朝、引き出しを開けたまま『着るものがない』と言われると、こんなにあるでしょう、と声が少し硬くなります。選んだ服がちぐはぐで、胸元から肌着が見えていると、学校で何か言われないかな、と私のほうが落ち着かない。結局口を出して、娘に『じゃあママが決めればいいじゃん』と言われる日もあります。
困ります。ちゃんと。
ただ、朝の困りごとをすべて前夜に消しておくことが、娘のためなのかは分からなくなりました。困らないように先回りするのは優しさだけれど、困って、迷って、自分で決め直せる時間まで奪うと、それは私が安心したいだけなのかもしれません。専業主婦で家にいると、家族の一日が滑らかに進むことまで仕事のように感じてしまうんです。玄関で誰も立ち止まらず、忘れ物もなく、機嫌よく出ていけば合格。そんな採点表を頼まれてもいないのに持っている。
今朝、娘は黄色い靴下に水色のスカートを合わせました。上は赤いボーダーで、私ならまず選ばない組み合わせです。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、『寒かったら、これ着てね』と薄い上着だけ渡しました。
娘は鏡を見て、満足そうに一度だけくるりと回り、ランドセルを背負いました。家を出る時間は、いつもより三分遅れ。けれど玄関の外へ出た背中は、私がきれいに整えた朝より、ほんの少し軽く見えました。
椅子の背には、昨夜から何も掛かっていません。