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Photo byyui_torizuka

ビバ!一人旅

    今や私は、推しの舞台観劇や好きなアニメイベントのためならどこへでも軽率に遠征する、フッ軽オタクだ。
    私の食指が動く催しの類は全て都会ばかりで、我が県での開催は極めて少ない。
    そのため、夜行バスや新幹線、地元路線を駆使して、東京や大阪といったコンクリートジャングルに馳せ参じては、存分にオタ活を楽しんでいる。
    しかし、元々の私は、ここまでバイタリティーに溢れたタイプではなかった。
    そう、あの時までは…。



    当時、大学四年の夏休み。
    私はゆるゆるとバイトをしながら、惰眠を貪っていた。

    刺激のない日々。
    コロナや猛暑を理由に、屋内から出ない日々。
    ぼんやりとスマホを眺めては時間が過ぎる、そんな日々。

    非生産的な過ごし方をしている自覚は、大いにあった。
    【何か】しなければ。
    ぼんやりとそう思っていた。
    しかし、その何かが思いつかない。
    でも、このままではいけない気がする。
    別に誰かに急かされたわけでもないが、心はどこか落ち着かなかった。
    思い返せば、あの時の私は無意識のうちに、現状を脱する機会を探っていたのかもしれない。

    【何か】が何なのか分からず、行動に移せないまま、数日が過ぎた。
    いつものようにネットサーフィンをしていると、尾道市の美術館にて、某カートゥーンアニメの特別展が開催中であるという情報を入手した。
    静岡や熊本まで、車で旅行に連れて行ってくれる父と、それを率先して楽しめる母の事だ。
    尾道なんて県内だし、二つ返事で連れて行ってくれるだろう。
    そう思っていそいそと打診してみたが、あいにくこの時はどうしても両親とのスケジュールが合わなかった。

    まぁいいか、とあっさり諦めるのが、いつもの私。
    しかし、この時ばかりは違った。
    展示にやたらと強い興味を引かれていたのと、行かない選択をすれば、なぜか一生後悔するような気がしたのだ。

    「この間行きたいって言った美術館さ…、1人で行ってみようかな」

    そう宣言した時、母の顔には驚きと嬉しさ、そしてほんの少しだけ寂しさも滲んでいた。
    その表情をみた瞬間、この夏ようやく【何か】ができる気がした。
    そうして私は、たった1人での日帰り旅行を計画した。

    公共交通機関での行き方を調べていると、苦手な乗り継ぎが発生することが判明した。
    経験値不足が足枷となり、途端に心が折れかける。
    しかし、当時の私は社会人の一歩手前。
    学生最後の夏休みは、人生経験を豊富にするためにあると考えた。
    思えば大学の友達は、ほとんどが一人暮らしだ。
    県外からはるばるやって来て、慣れない土地でたった一人の生活を営んでいる。
    私は彼女らに尊敬の念を抱きつつ、その一方で実家暮らし&毎日親にべったりな自分に負い目を感じていた。
    自らの足で歩き、未知と遭遇する冒険に出なければ、心身の成長は望めない。
    当然、親離れもできない。
    いつの日か迎えるであろう人生最大の船出(結婚というワードは未だに父の情緒を不安定にさせるのに十分な効力がある)の前には、多少の準備や慣れが必要だ。
    大海原へと漕ぎ出す前に、小舟で浅瀬まで出てみるのもまた一興である。
    そんな旅をするなら、今が好機。
    部活での遠征経験が豊富な弟に、土地勘のなさを馬鹿にされる日々も、今日でおさらばだ。
    君の姉は一人で尾道に行ったのだと胸を張るために、また心身の自立への一歩を図るために。
    壮大なテーマとリュックを背負い、私は早朝の電車へと乗り込んだ。



    通勤ラッシュに紛れて遊びに行く背徳感と優越感に浸りながら、優雅に車窓を眺めたりウトウトしたりを繰り返していると、電車は終点の糸崎に到着した。
    イメージトレーニングはバッチリ。
    さぁ乗り換えだ、と息巻いて立ち上がる。
    すると、ほぼ全員がすぐ向かいに止まっていた電車に乗り込んでいく。
    え?これが乗り換え?
    拍子抜けしながら流れについて行き、念のため車内アナウンスで尾道行きである事を確認すれば、あまりにも呆気ない。
    ここで初めて『連絡線』というものを知った。
    そしてそのまま、存外あっさりと尾道に着いてしまった。

    若干の拍子抜けをしたままスマホの地図アプリを片手に、目的地へと続く千光寺のロープウェイを目指す。
    普通に道に迷ったのだが、古き良き街並みや、道中で出会った猫を写真に収める等、尾道を満喫しながら何とか乗り場に着いた。
    ロープウェイに乗り込んでしまえば、美術館まではあっという間だ。
    狭い空間でイチャつくカップルを尻目に、窓に張り付いて景色を眺める。
    やがて山頂に到着し、私は意気揚々と美術館へ向かった。

    展示内容は、期待以上であった。
    アニメの歴史や制作過程、原画やクスッと笑える展示物を気が済むまで満喫したあと、ミュージアムショップで吟味したグッズを買い込む。
    ひとつの展示ばかりを見返しても、欲しいものが思ったより高くて所持金と永遠に相談していても、誰も急かさない。
    全ての過程を自由なペース配分で気ままに行動できるというのは、一人旅の醍醐味だ。
    達成感と満足感に胸を高ぶらせながらお土産をリュックに詰め込むと、私は再びロープウェイの窓に張り付きながら下山した。

    商店街をぶらついていると、名物の尾道ラーメンの看板を見つけてたちまち心が躍る。
    しかし、この時は親知らずを抜歯してから日が経っていなかった。
    何かを思いっきり頬張るという行為には臆病になっていた上、口内はまだ血の味がするため、ラーメンといった刺激物は食べられない。

    諦めて、道中で見つけたチョコレート専門店のドリンクを購入することにした。
    これぞ一人旅。
    オシャレな飲み物を片手に歩き、大学生の余裕さを見せつけようものなら、すれ違う修学旅行生の羨望の眼差しにくすぐったくなる。
    購入後、こんな猛暑の中チョコレートという選択はチョコッと違ったかなと一瞬思ったのだが、ラーメンの代打の贅沢品。
    今すぐにでも飲み干したかったが、店先でがっつくのはいささか恥ずかしい。
    また、これほどまでに魅力的なものを持ちながらすぐに飲まないというのも、なんだか大人の嗜みのように感じた。
    せっかくなら飲むにふさわしいロケーションを探そうと、少しだけ移動する。
    まるでオスカー像のように捧げ持って歩けば、手の中の冷たさが、僅かな疲労を心地良く労ってくれた。

    季節は夏。
    ほんの数分で容器に水滴がまとわりつき、手からポタポタと垂れていく。
    早く早く、冷たくて甘いものを、と身体が急かす。
    結局はごく普通の通路で立ち止まり、慌てて一口飲んだ。

    その濃厚さと芳香が、暑さでバテる寸前だった身体を一瞬で駆け巡った。
    ここまでの道中、ぬるいジュースしか口にしていなかった私の脳細胞ごと覚醒させたこの冷たいドリンクは、さながらドーピングである。
    美味しい、と口が動きかけて慌ててつぐんだ。
    これが一人旅。
    その瞬間の感動を身近な人と共有できず、何か独り言ちようものなら、すれ違う地元民の視線にいたたまれなくなる。

    歩きながら飲むのも落ち着かず、空きベンチに座る。
    道行く人達を眺めながらちびちび飲んでいると、隣に腰かけたご婦人が話しかけてきて、しばし会話を楽しんだ。
    てっきり地元の方だと思い、有益な情報を聞き出そうと思って話に耳を傾ける。
    すると、私と同じく他所から尾道を訪れていた事が判明した。
    お一人様時間を楽しむ者同士、何か引き合うものがあったのかもしれない。
    焼き立ての穴子を買って今から帰るのだ、と嬉しそうに話してくださった彼女もまた、私と同じく素敵な小旅行を楽しんでいた。
    こういう出会いやお喋りも、旅ならではだ。

    早々と目的を果たし、夏真っ只中の日差しに疲労を感じ始めたので、帰路に就くことにした。
    決して寂しくなったわけではない。
    この旅での出来事を、一刻も早く誰かに話したくなっただけだ。
    自分が納得できた時点で旅を終わらせることができるのも、一人行動の良いところである。

    少しのお土産とたくさんの体験、まだ高ぶったままの気持ちを抱えて、電車やバスに揺られること2時間。
    私は無事、愛する我が家へとたどり着いた。
    帰りを待ち構えていた母は、娘の初めての一人旅を労って冷たいジュースを入れてくれた。
    それを飲んでようやく私は「美味しい」と安心して呟いたのだった。

    またいつか、日帰り圏内でぶらりと行ってみたい。
    どこがいいかな、と考えるのはまた今度にしよう。
    とにかく母に旅路の出来事を伝えたくて、急いでジュースを飲み干した。

    まさか数年後、毎月のように1人でどこかへと旅立っては、旅費の引き落とし額で苦しみ続けることになるとは知らずに…。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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