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右耳がダメになる前に。推しの歌声を「いい音」で記憶しておきたい。

    これは、先延ばしばかりしてきた私が、脳腫瘍の手術で右耳が聞こえなくなるという期限を切られて焦り、推しの歌声を今のうちに「いい音」で聴いて記憶しておきたい!と思ったら、推しへの愛が強過ぎてオーディオ沼に片足突っ込みそうになった話。


    冒頭:次の桜が咲くころには


    「大学病院前」駅へと続くモノレールの車内は「銀河鉄道」のようだ。皆きっと同じ駅で降りるだろう
    見渡すと妙な連帯感が漂っていたが、私はまだ周りの乗客たちと同じ境遇だとは認めたくなくて、傍観者のふりをしていた


    会社を休んで乗り込んでいることに、ちょっとした開放感と罪悪感を覚えていたが、スーツを着た若いサラリーマンを見つけて、親近感を抱いた。たぶん同志だ。

    窓の外は、こんもりと木が連なっていて、その向こうにあるはずの、広大な公園を見ようとする視線を遮ってくる。


    視界が開けて見えてきた公園が、一つ手前の駅で降りろと誘ってきた。手のひらをかざして、眩しい紫外線に降りたことを後悔しつつも、広い散歩道をゆっくり歩く未来が、ちらりとよぎった。

    いや、日傘は忘れたし、MRIの時間に遅れる訳にはいかない。あの流れ作業のように人を排出しては吸い込んでいく、分厚い金属扉の前で待機しなければならないのだ。



    こうやって半年ごとに通いだしてから、もう4年になろうとしている。

    右耳が突然聞こえ辛くなった原因が、聴神経腫瘍という脳腫瘍の一種だと分かり、通い始めたころ。

    ふと見たYoutubeの画面の中、7人の若者が歌とダンスで、他と競い合っていた。彼らはN.ssign(New Star Signの略語。のちのn.SSign。エンサイン)と、その時は呼ばれていて、7人で新しい星座を作っていく、という意味が込められていた。

    私は、彼らが勝ち上がっていき、星座になっていく過程を夢中になって追った。
    管理職登用試験の一つであるプレゼンの内容を必死に考えながら。

    勝手に仲間認定して、勝手に一緒に頑張った。
    置いていかないで。と、眩しいほど輝きを増していく星座に焦がれた。

    右耳の聴力が失われていく失望は、管理職になれるかもしれないという希望と、推しを追いかける高揚感に埋もれていく。


    星は1つだけでは星座になれない。1人でポツンとお空の星になるのは、嫌だ。



    桜がもうすぐ咲くころなのに。
    コートがまだ必要なことを面倒に思いつつ、モノレールを降り、MRIを撮り終え診察室に入ると、

    「1年以内の手術をお勧めします」
    と告げられた。

      えっ?

    半年前は10年後くらいって言われていたのですが?

    腫瘍が、この半年で急に大きくなったようだ。

    私の細胞、急に気合いを入れすぎでは。

    先生に聞いた。
    「太ったのは関係ありますか?」
    「関係ありません」

    そうですか、腫瘍の中身は脂肪じゃなかったんだ。
    関係あったら、明日から必死にダイエットに励むつもりだった。
    たぶん。


    診察室を出てモノレールに乗る。まだ昼前だ。
    朝買った残り少ない水を飲み干した。

    車内のアナウンスが、右耳では言葉として入ってこない。
    音はする。でも意味にならない。

    人が乗ってくるたびに音が混ざり合って、聞きたい声だけを取り出せなかった。

    頭の中に、ぼやけたカレンダーが浮かび上がる。
    心がピントを合わせることを面倒がっていても、手術までのスケジュールと、すべきことを考えないと。

    帰って、彼らの歌声を右耳だけで聴いてみると、高音だけがバッサリと、どこかへ消えていた。

    マスカット香るエルダーフラワーを炭酸に溶かし込んだような、あの歌声。
    深く吸い込むと体がほどけていく、その歌声の中で、私の右耳だけが、ほどけきれずに水中に取り残されているようだった。


    手術して右耳の聴覚が完全に失われるなら、それまでに少しでもいい状態で、推しの歌声を記憶しておきたい。


    最初にすべきだと思ったことがそれなのか、という自己への問いは、聞こえないふりをした。


    第一章:いろいろ後回しにしていた直視すべきこと


    その1:推しと2ショットのためには

    新年度に入って一週間が過ぎたある日。健康診断の結果を見た会社の指示で、ライザップの人とオンライン面談した。

    「目標は?」
    「推しと2ショットを撮るのに遠近感で位置を考えなくてすむ体型に戻りたいです」
    しばしトレーナーさんと見つめ合って沈黙が流れた。


    長い間、体重計に乗ってすらいなかった。病気が、太り続けていくことの言い訳にちょうど良かった。

    昔、ちょっと毒舌で陽気なご近所さんと立ち話をして帰ってきた母が、ホッとした口調で言ったのを覚えている。
    「あの人、もともと太ってたから入院しても体力がもって、良かったみたい」
    病気で痩せていったが、相変わらず元気なようだった。

    それを、都合のいい家訓として心に刻んでおいた。
    「病気になると太っていた方が生き残れる」

    なんとなく、太っていくって、私の細胞が生きていこうと元気に働いている証拠のような気がして、細胞たちに愛おしささえ感じた。
    それに、太っていってるのは、腫瘍が悪性化していない証拠だと、根拠なく信じていた。

    ただ、もう逃げていられないのかな。しゃがむと立ち上がるのに支えがいるし、スカートはまず、ウエスト全周がゴムでないと却下。

    パソコン画面の向こうへ頭を下げた。
    「3ヶ月よろしくお願いします。」

    今までの自分の価値観を裏切るような後ろめたさと、変われるかもしれないという期待感があった。

    2年前に買った携帯が目に入る。データが消えるのが怖くて、古い携帯からまだ替えていない。推し活のためのカメラと化していたけど、そろそろ替えないとな。


    その2:新人さんと、最優先のマニュアル作り

    部署に3ヶ月だけの研修生として新人が配属されてきた。
    私が担当している、会社オリジナル手帳とカレンダー作成の業務改革を検討するチームに入ってもらった。
    年末に配布される頃、彼女は3つめの研修先に行っている。

    私はといえば、配布されて使われる頃には、右耳の聴覚を失っているはずだ。これから来年のカレンダーを作る時、手術の日程を頭に置きながら見ることになるだろう。

    彼女は、ゴールデンウィークの間にある平日も、休まず出勤するという。年末年始に長い休みを取って、海外旅行へ行くため、今は休みを取らずにおきたいとのことだった。
    来年の計画が立てられる彼女が、少し眩しかった。

    私も術後に、約1ヶ月療養する必要があるため、休みは残しておいた方がいいのは分かっていたが、休暇を取得した。プライベートでいろいろやるべきことをメモ帳に羅列していたが、なんとなく、のんびりしたい気分だった。

    昨年度の評価面談が終わって、今年の目標を決めて走り出す前の束の間を、何も考えずに過ごしたかった。

    いや、正直に言おう。ゴールデンウィークの始まりに、推したちと会うチャンスがあったため、その余韻を堪能したかったからだ。
    昨日は最高だったなぁと考えながら、仕事で思い出を薄めたくはなかった。
    カメラ専用機の携帯で撮った動画を、とことん隅から隅まで眺め尽くしたかったのだ。

    ただ、2ショットは相変わらず、細い推しとの対比が見るに耐えなかったので、脳内で自分は写っていないことにした。

    しかし、まぁ、そう言いながらも、漠然と今年度の目標を考えた。マニュアル作りだ。マニュアルなんて、あって然るべきものが実はなかった。やり方は、どんどん変えていったし、基幹システムは今年からガラッと変わったし、面倒だったし。

    術後1ヶ月以内に復帰するつもりではいるけれど、新人の彼女を見て考えたのだ。もし復帰が遅れて、誰かに代理をお願いする時に、めちゃくちゃ懇切丁寧なマニュアルが必要なんじゃないだろうか、と。適当に作ろうとしていたが、私の常識は、他人の非常識だということを、すっかり忘れていた。

    まずは管理職として、きちんとマニュアル作りから取りかからないと。時間は思ったほどある訳じゃない。


    第二章:手術前にすべき先延ばししてきたこと


    その1:精密検査は2年越し

    人間ドックで2年前から肺に白い影が写っていて、精密検査を勧められていた。2年とも、その半年前に咳が酷かったので、そのせいだろうと放っておいた。

    ところが、ネットで怖い情報を見た。肺が悪いと全身麻酔ができないらしい。即座に、後頭部がゴリゴリ削られているのを、モニターで見ているという、ありえない光景が浮かんだ。
    手術前に肺は治しておいた方がいいよな。

    初診は3時間待ちという呼吸器内科に行き、受付後に外に出た。実は、無人ジムが近くにあったので、待ち時間に、ちょこっと運動しようと考えたのだ。初めての体験にウキウキと向かったが、3分の2まで行ったところで、順番が来たと呼び戻された。急いで戻ったので、大変呼吸が荒いまま先生に尋ねた。
    ちなみに喘息での受診と勘違いされたが、否定しておいた。

    「1年以内に、聴神経腫瘍の、手術を、予定していて、肺が悪いと、全身麻酔が、できないって、ネットで、見たんですが」
    「あ、全然関係ないです」

    帰りのドアを抜けようとしたら、ウォーターサーバーがあった。飲み物を買い忘れて、喉がカラカラの状態で診察を受けたのに。
    もうちょっと存在感を出しておいて欲しかった。

    せっかくやる気を出したので、駅近くの無人ジムに寄る。

    誰もいないジムで、ガッコンガッコンしていると男性が入ってきた。奥に進んでも、運動しているような音がしない。しばらくして気がついた。奥はカラオケルームだ。女性が何曲も歌っている。隣の建物からだと勘違いしていた。

    音がする方向が分からなくなっている。
    私の耳はサラウンド機能が失われているから。


    後日CT検査した結果、とりあえず肺は経過観察とした。
    2年放っておいたのに、さらに1ヶ月ちょっとでレントゲン検査、その1ヶ月後にはまたCT検査が必要とか。
    こっちも急展開だな。


    その2:頬にたっぷりついた肉のせいじゃありません

    もう一つ、放っておいたことがある。
    オフィスが移転する前に通っていた近くの歯医者。遠くなったので行ってなかった。フロスが歯に引っかかっているので、たぶんまずいことになっている予感はしていた。

    それとは別に、半年前から舌に痺れがあって、山椒を食べた後みたいになっていた。山椒好きなので、あまり気にせず、そのままにしていたら、数ヶ月前から右頬に、麻酔が切れかかったような軽い痺れを感じるようになった。右唇から右側の頭皮部分が、引っ掻いても感覚が鈍く、もどかしい。

    舌の右側面にできもののような違和感があったので、まさかここにも?と心配になり、口腔外科に行った。原因不明と言われ納得感はなかったものの、悪性腫瘍ではないようなので、とりあえずホッとした。

    右頬の痺れは、舌の痺れと無関係と言われたので、これはきっと、右耳の腫瘍が大きくなったら出てくると予告されていた麻痺の始まりなんだろうな。最近、舌を噛むことが時々あるし。

    こうなってくると、口を開け続けるのが難しくなってくる可能性を考え、歯医者には行っておくべきだと判断した。天然の麻酔がかかってるから、今だと痛みがマシなんじゃない?と歯医者に予約を入れた。
    ただ、フロスが引っかかってるのは左側なんだよな。


    その3:マンネリのショートカットをやめる時がきた

    手術を勧められた時、先生に髪は剃るのか聞いてみた。剃らない人もいるらしいが、剃った方が、手術跡もはっきり分かって、頭が掻きやすいらしい。そりゃ、そうだ。

    剃るのは右耳後ろの部分なので、私のショートヘアでも上の髪で隠せるそうだ。しかしだ。頬にかかる両横の髪は確かに長めではあるんだけど。

     少しでも、この丸々とした顔を小顔に見せるためで、その分、ボリュームを抑えるために、後ろは短いのです。このままだと、稲刈り後にひび割れた、田んぼのような後頭部を晒すことになると思います。


    美容院に行き、ちょっと早いかと思ったが、担当の人には正直に言った。
     手術で右耳後ろを剃るから、上を伸ばしたいけど、まだ時間はある。これから暑くなるし、裾が短めのボブにしていきたい。と。

    黙って聞いてくれた後に、そっと気遣うように提案してくれた、下半分を刈り上げにする案は、静かにお断りした。
     普通の会社員に刈り上げは無理です。


    推しの日本ファンクラブから、推しと特別な時間を過ごせるという夢の企画が発表された。
    エピソードを書いて応募し、採用されれば、推しが来てくれるとのこと。
    「オーディオ機器選びを私抜きでやって欲しい」と書いて送っておいた。


    第三章:願いとことだま


    ゴールデンウィーク前から日本へ来ている推したち。私が会えるチャンスは1度きり。

    推したちは、デビュー時に名前を改め、n.SSign(改名前のNew Star Signから変更したnet of Star Signの略語。エンサイン)というグループ名になった。
    「星座のつながり」という意味で、「星が集まって星座を作り、星座が集まれば無限の宇宙になるように、メンバーとファン(COSMO)が繋がればもっと大きな力を発揮できる」と、よりスケールが大きくなった。

    ファンの名前がCOSMOって、素敵な名前だ。宇宙のように果てしなく、大きな愛で応援している。私は果ての片隅から、中心部へ向かって叫んでいるだけなんだけど。彼らの成功と幸せを、精一杯願ってる。

    読書家で、中低音の優しい声を持つメンバーである、最推しのヒウォンと一対一で会える抽選には外れた。今回は、電波が悪かったのか、私とは繋がっていなかったようだ。私の誕生日にあったイベントを、涙をのんで諦めて、この機会に賭けていただけに、残念な気持ちが、より大きかった。誕生日にイベントがある機会なんて、もう2度とないかもしれない。
    「今日、誕生日なんです」「おめでとう~」と言われる一生分の価値のある幸運を諦めた。

    タイムラインに流れる楽しそうな姿を眺め続ける。ヒウォンが薦めてくれた本を読もうと予定していたのに。

    読書にはまっている彼は、本をファンにお薦めして、後日、読書会をネット上で開いてくれるのだ。読まなくても分かるように、あらすじも教えてくれる。

    今回、薦めてくれたのは、チョン・ソンラン著『千個の青』。彼は、宇宙や科学を題材にした本が好きで、音楽番組の待ち時間や移動中も、本を開いている。
    私は、『千個の青』を取り寄せではなく、手に取って買いたいと、少し遠くまで買いに行った。

    久しぶりに来た大型書店だが、人の姿は少ない。ゆったりとした気持ちで、目当ての本を探した。昼過ぎに、カフェでまったりと過ごす時間に似ているかもしれない。贅沢な時間だ。

    書店に来ると、つい本の帯やPOPに惹かれて、目的の本以外にも買い込んでしまう。案の定、全く想定外の本まで買い、待ちきれずに帰りの電車で開く羽目になった。

    私にしては、これでも行動的だったのだが、他のCOSMO(ファン)の行動力たるや。日本全国のみならず、韓国までも飛び回っている。時にはアメリカまで。

    そんなCOSMOのタイムラインに溺れ、今日も自堕落に過ごしてしまった。ヒウォンの楽しそうな声と笑顔が、離してくれないから。

    気づけば、私の体は、縦長より横長で重力に耐えうる仕様になっていた。


    推したちと会える日の当日。

    メンバーの1人と話せる抽選に当たったので、一生懸命考えた、伝えたいことを覚え込んだ。結果、3分の1も話せなかった。でも、「いつも最高の音楽をありがとうございます」の一言が言えた。

    終わって外に出て、ふわふわとした気持ちで街を歩く。
    小雨が降りそうな肌寒い中を、それでも、てくてく真っ直ぐに進んでいった。

    感謝を伝えただけで、どうしてこんな幸せな気持ちになれるんだろう。心と体が浄化されて、澄み渡る空気で満たされているみたいだ。
    言葉を、伝えたい相手に受け取ってもらえるって、すごく嬉しいものなんだな。

    もしも、綴った文章をヒウォンが読んでくれる日が来るなら。
    音として言葉をきちんと受け取れなくなっても、文章として言葉を伝えることはできる。


    第四章:手放し難い記憶と、これからの記録


    長めの休みになったら部屋を片付ける、というのは、明日からダイエットする、と同じようなものだ。
    ゴールデンウィークに入ったので、いよいよ片付ける時がやってきた。

    クローゼットの奥やら、椅子の下やら、至るところにCDが入った段ボールを忍ばせてある。これを片付けなければ、次のCDの置き場所に非常に困ることになるだろう。

    ただ、これが難しい。手放したくないのだ。1枚たりとも。デビュー前から見守ってきて、それぞれのCDを手に取るたびに、その時の思い出が甦る。


    韓国のファンミーティングへ行って、夜中にぼっちでカンジャンケジャンを貪り食べたことも思い出した。
    その時を最後に脱退するメンバーの、切なそうにファンに向けて「COSMO」と呼びかけた声を思い出しながら、ひたすら食べたカニの醤油漬けの味。
    最後にどうしても会いたくて、英語も韓国語もできないまま、初めて1人で海外へ行った。そのちょっとした成功体験が、今も自信の灯火となっている。

    このCDには、思い出を引っ張り出すタグもついているようだ。


    ちっとも進まない片付けと並行して、noteの下書きも進めることにしたが、こちらも、なかなか進まない。
    ファンクラブのエピソード企画に当選すれば、推したちがオーディオ機器を選んでくれるかもしれないから、それまでは買えないし、体験していないことは書けない。

    少し前、推したちの韓国ファンミーティングツアーが募集されていた。オーディオ機器を買うことに決めたので、今回は行かない選択をした。
    もしも、手術で海外に行くのが困難な体になったら、という考えがよぎった。1年後に、やっぱりあの時、行っておけば良かったと後悔するだろうか。

    人生は繰り返し選択をしては進んでいく。過去は振り返らず、次の選択をするしかない。

    ただ、次の9月の定期検診で手術の日取りを決める予定になっているが、私に選択できるかは分からない。
    だから、遅くとも検診の2、3ヶ月後には手術日は決まると言われているのに、今もまだ「1年後に手術する予定」だと考えている。


    第五章:予算とは破られるためにある


    ゴールデンウィークも過ぎ、部屋も片付いていないのに、オーディオ機器を物色し始めた。

    寝室のテレビでYouTubeを見たり、音楽配信サービスで曲を聞いたりしたい。でも、右耳が難聴になってから、高音に敏感になっていて、テレビの音も不快に感じることがあるので、耳に刺さるようなものは避けたかった。

    彼らの艶やかで中毒性のあるサウンドを生かしたい。K-POPの電子音は少し抑えめに、中低音の男性ボーカルに合うと思ったスピーカーを中心に選んだ。

    そもそも、手術で右耳の聴覚が失われる前に、少しでもいい音で推しの歌声を記憶しておきたい。そう考えるようになったきっかけは、普段iPadで見ていたMusic Videoをテレビで見た時に、ずいぶんと聞こえる音が違うと気づいたからだった。

    具体的には、彼らの曲の一つ、韓国の音楽番組「Music Bank」で1位になった「Love Potion」という曲の、90年代「ニュージャックスウィング」のような特徴的な音が、テレビで初めてはっきり聞こえて、ボーカルを引き立て、より中毒性を感じた時だった。
    だから、もっといいオーディオ機器で聴くと、聞こえなかった音が聞こえるかもしれないという期待を持った。

    n.SSign(エンサイン)は、メインボーカルを担当できる歌唱力の高いメンバーが多く、多層的にコーラスが入る曲も多い。解像度の高い機器で聴いた時、それぞれの声が聞こえながらも、合わさるハーモニーが、どれくらい美しい音楽となるか知りたい。

    また、彼らのアルバムのタイトル曲でもある「Funky like me」では、韓国のレジェンドミュージシャンたちが演奏に参加しており、最初の低音のベースの1音から、グッと掴まれるようだった。この1音を重低音を鳴らすアンプとスピーカーで聴くと、どんな音になるんだろうか。

    それに、メンバーの1人に会えた時に、日本シングル曲「FEELIN' GOOD」の最初の「Oh~」という出だしの声に40分かけたと話してくれたが、その大事な音を、ちゃんと聴いておきたい。
    努力と思いが込められた全ての音を聴き逃したくなかった。

    本物の音楽を奏でる彼らのボーカルを、いい音の環境で聴き、いつかブルーノートやビルボードライブで聴くことを想像した。

    まだネット上でオーディオ機器を物色しているだけだが、いい音で聞くための予算は、あらかじめ決めた限界を軽く突破してしまった。

    今日もオーディオ機器情報や、ファンクラブのニュースを見に行っては、いつ音楽環境を整える日が来るのだろうかと、聞ける期限が短くなっていくのを頭の片隅に置きながら、待ち遠しくも、楽しみな日が過ぎる。


    第六章:近くて遠いソウル


    昨夜は、1周年の時に脱退したメンバーが夢に出てきた。
    遠い地で、車がレッカーに持って行かれて途方に暮れていたところに、友達と旅行に来ていたメンバーと偶然会うという、あり得ない夢。日本語で話しているのもおかしいけど、涙を流して「会いたかった」と言っている自分も、なんだか、おかしかった。

    これは、一昨日、韓国でファンミーティングがあって、行きたいのに行けなかったという状況が見せた夢だろう。私が最後に韓国に行ったのが、1周年の、夢で会ったメンバーが脱退したファンミーティングだったから。

    つまり、推しは推せる時に推せ。欲しいものは欲しい時に買え。やらぬ後悔よりやる後悔。という夢のお告げだろうか。

    今回のソウルのファンミーティングに行かない代わりに、その費用をオーディオ機器に充てるという決断をしたものの、やっぱり行きたかったな。ぐずぐずと後悔のモヤが、なかなか消えてくれない。
    特に、最推しのヒウォンの、中低音の優しい歌声が大好きで、いつも癒されるから直で聞きたかった。

    また行けるから。来年もあるはずだから。と自分を納得させようとしているけど、時間が経てば、この悲しみも消えてくれるんだろうか。

    仕方ない。来年の私に、ファンミーティングの楽しみは託し、今はオーディオ機器選びを楽しもう。


    終章:予約してあるコンサートがある


    ここ数年、推しの「n.SSign(エンサイン)」は、冬から春に数ヶ月かけてコンサートツアーが行われてきたが、今年は10月に一気にやるようだ。
    しかも小規模なスタンディング会場のようで、当然すでに予約済みではあるけれど、今から恐ろしい。
    2時間×昼夜2回の公演に私の足がもつのか?という恐怖だ。

    7月に入り、3ヶ月あったライザップのアドバイス期間がもうすぐ終わろうとしているが、実はこの2ヶ月はオーディオ機器選びに熱中していて、サボりにサボって体重計にも乗っていなかった。
    痩せたところで、とか、入院したら自然と痩せるんじゃ、とか、どこかで考えていたせいかも。

    まだ、太っていた方が入院時に有利という考えを捨てきれていない。
    でも、スタンディングで最後まで見ようとしたら、足を鍛えて体重を減らす必要がありそうだ。
    推し活での必要性が生存本能を上回った。

    毎回、コンサートの予約をしては、それまでに痩せようと決心するものの、ちっとも痩せない、のほほんとした私だが、上司に脳腫瘍のことを話したら泣かれてしまった。その時初めて、自分が他人から見てちょっと大変な境遇にいるのかもしれない、と気づいた。
    いやいや、開頭手術する人なんて、今この時にも、日本で何人いるんだか。

    そんな、お気楽に生きていて、もしかすると先延ばしばかりで人生を終えるかもしれないが、お腹の底では、終えてたまるか、とも思う。

    時間は刻々と過ぎていくのに、ずっと手術が1年後と考えていて、いざ、n.SSign(エンサイン)のコンサートやイベントの予定が入らなそうな時期にしようとすると、そんなに先ではなくなっちゃった。

    冬から春にかけてのスケジュールは、まだ不明だけど、大きな会場で座って見れるコンサートがあったらいいな。
    もしもファンクラブの企画が当選して、推したちがオーディオ機器を選んでくれる奇跡が起きたら最高だ。
    ダメだったとしても、推したちの声を出来るだけいい音で聴くために選び抜いたオーディオ機器で、推したちの声に酔いしれていたい。

    今はまだ、手元にないけれど。

     その音で聴けたら、きっともう、何も怖くないと思うのです。

    推しの歌声に癒されながら、次の桜が咲くころ、私はまた、あの病院へ向かう「銀河鉄道」のようなモノレールに、傍観者のふりをせずに乗っているだろう




    #創作大賞2026 #エッセイ部門 #nSSign #エンサイン #推し活 #K-POP

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    プライベートな時間は、ほぼK-POPグローバルボーイズグループ「n.SSign(エンサイン)」のことしか考えてない会社員。全ての行動はn.SSignのため、ヒウォンのため。

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