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【緑黄日記】 責任を取るだけの簡単なお仕事

    求職中である。

    三十路に突入し、いつまでも非正規雇用のフリーターでいるわけにもいかない。そろそろ「ちゃんと」働かなくては。そう思って求人サイトを開くも、調べれば調べるほどこの世の中に自分ができそうな仕事がないことを痛感する。資格も能力も経験もないチンケな人間に正社員の椅子を用意してくれるほど、この社会に余裕はないらしい。

    どこかに私にもできる仕事はないのかしらん、と丸の内のオフィス街までやってきた。植え込みに腰を下ろして、スーツ姿の人間たちがせかせか歩いているのを眺める。皆、何かの仕事をしているらしい。しかし、何をしているのかは全然わからない。スーツか、そういえば持ってないな。しばらく散策をしてみたが、就職活動のヒントになりそうなものはひとつもなかった。求人の張り紙もなかったし。

    しばらく歩いていると、高級そうな服飾品店や貴金属店が立ち並ぶ地区にやって来た。ここは銀座か。銀座、銀座ねえ。年金を滞納させていただいている私のような貧民にはなんら関係がない街だ。

    服飾品店や貴金属店の入口にはドアマンが立っている。スーツを着た男性が客のためにドアを開ける。ドアくらい自分で開けさせろ、とは思うが、ドアを開けるだけが彼らの業務ではないのはわかる。恐らくは「警備」の役割を兼ねているのだろう。銀座のお店に強盗が入ったというのは聞く話だ。展示のために商品は表に出さなくてはならないが、その分危険度は増す。セキュリティを上げたいだけならガッチガッチの扉にすればいいだけ。しかし、それではお客さんが入りづらい。セキュリティとホスピタリティの折衷案、それが「ドアマン」なのだろう。

    ドアマンは私にできるだろうか。

    いや、無理だな。

    ドアを開けるタイミングも間違えるだろうし、お金持ちの客に頭を下げるのもできそうにない。そもそもスーツを持っていない。それに、強盗がやってきたとしても太刀打ちができないだろう。武器を持った屈強な強盗が押しいったとしても、私はただその様子をボーッと見ているだけ。そして責任を取らされてすぐにクビ。強盗を相手に「店の商品を守れ」と言うのは無茶な話だ。責任があるとすれば、このセキュリティをよしとした人間の責任。しかし、ドアマンはセキュリティの「象徴」ではある。強盗から守ってもらうために雇われている、というのは過言ではなかろう。セキュリティが破られたのであれば、このドアマンに責任の矛先が向く。人間は、社会は「誰も悪くない」という状態に耐えられないから。ドアマンの仕事は「警備」でなく「責任を取ること」と言える。

    責任を取る仕事、ねえ。

    それなら私にもできるかもしれない。

    引責辞任という言葉がある。何か問題が起きた際、そのポストにいる人間が辞めることで「責任を取る」が果たされたことになる。であれば、最初から責任を取るだけの人間を雇っておけばいいのではないか。

    例えば、不祥事を謝罪する記者会見にて社長の横に私が座っている。社長が深々と頭を下げたあと、私も深々と頭を下げる。そして翌日、私が会社を辞める。責任とは実務能力ではなく社会関係の中に発生するものだ。「この人に責任があります」と言えば、責任はその人に発生する。これくらいなら私にもできる。いや、むしろ何もできない私にこそ向いている。会社に大きく貢献している人間は辞めづらい。しかし、会社に何も貢献していない人間であればすぐ辞められる。責任を取るための機動力がある、とも言える。

    家に帰り、パソコンで求人サイトを開く。検索窓に「責任者」と入力する。

    ほら、あるじゃん。

    「安全管理責任者」「サービス提供責任者」「事業責任者」「統括責任者」など、「責任者」を冠した求人票がわんさか出てくる。世の中にはちゃんとあるのだ、責任を取るポストの求人が。中には「責任者候補」という求人もある。候補から始められるのならば、安心だ。まずは責任者候補として先輩責任者の背中を見ながら少しずつ責任の取り方を覚えていく。研修期間中は軽めの責任から任されるのかもしれない。「本日はコピー用紙の補充が遅れた件について、私が責任を取ります」みたいに。

    早速、「責任者候補」の求人票に応募する。志望動機に「責任をいっぱい取ります」と書いて送信ボタンを押した。

    早く責任を取りたい。楽しみ。



     
     
    水野らばです。 Twitter:@usoraba mail:rabamizuno@gmail.com