
お好み焼きと母の面影
ホットプレートに生地を流すと、じゅわっと音がした。
その上に豚バラを敷きつめる。
しばらく置いていると夫がそわそわし始める。早く食べたいのだろう。
「いけ!上手くひっくり返せ!」
夫はなんだか妙な応援役をしてくれる。
私は慣れた手つきでひっくり返した。夫はきれいな黄金色の焼き目を見て「めっちゃ美味しそうや〜」とつぶやいた。
しばらくして豚肉もカリカリに焼けてきたのでもう一度ひっくり返し、鉄板上でオタフクソースを塗る。
ソースが鉄板に触れた瞬間、熱気と一緒に匂いが広がり、食欲がそそられる。
碁盤の目状にお好み焼きを切って、青のりとかつお節をかけ、二人で分け合って食べる。
かつお節が意思を持つかのように小躍りしている。
外はカリッ、中はトロッと焼き上がったお好み焼きはビールにも米にも合う。
夫は私のお好み焼きを初めて食べたとき、「こんな美味しいお好み焼きを食べたことがない」と言った。私は結婚したばかりのころは、ろくに包丁を握ったことがなく、料理が得意ではなかった。
けれど、お好み焼きや焼きそばを作る感覚だけはよかった。
母がよく作ってくれたからだ。
実家ではお好みソースと焼きそばソース、ウスターソース、とんかつソースの四種類は常備されていた。
母と一緒にお好み焼きのタネを作った。キャベツはこんもりとたくさんの量を切り、卵を私がぎこちなく割った。
大きなホットプレートを食卓の真ん中に置き、父や兄、私や妹はできあがる瞬間まで見守った。
お好み焼きから出る蒸気が天井に向かって昇る。部屋の中は粉ものと油の混ざった匂いでいっぱいだった。家族の顔は油でてらてらしていた。
五人家族だけど、七枚くらい焼き上げた。母がてきぱきお好み焼きを焼き、たまに父がひっくり返し、妹もひっくり返したいと言ってやってみると失敗して落ち込む。「下手くそ〜」と兄は笑って、妹はむっとしていた。
青のり好きの私は、お好み焼きにふんだんにかけて、父に「かけすぎやろ」とツッコまれたことがある。今も変わらず青のりをめちゃくちゃかける。
お好み焼きのあとは焼きそばを作って、みんなで食べた。もちろん白米も食べている。私の家族はみな大食いである。
私が中学一年生のころからだろうか。
母はお好み焼きを全く作らなくなった。いや、母が家にたまにしか帰らなくなったのだ。
当時三歳上の兄は母の幻想を壊されたと思ったせいなのか、反抗するように朝帰りを度々した。
夜、空っぽの兄の部屋を見て、いつもより広く見えた。
「絶対にお母さんを許さへん」
兄は強い言葉とは裏腹に、男の子の心の繊細さを感じた。
父は母になにも言わなかったが、私と妹には母の愚痴を言った。
「そんなに嫌いなら別れたらええやん」
私は父にそう言ったことがある。
「子どものために別れへんねんや」
なんて勝手な。全部自分たちのためだろうと当時の私は思った。
父は仕事と自分のことしかしない人だった。
とはいえ、当時は借金もあったと聞くが、家族には貧しい思いをさせなかった。ご飯はお腹いっぱい食べられたし、サンタクロースは10歳まで来ていたし、英会話の勉強がしたいと言えば、おそらく父がちまちま貯めたお金を費用にあててくれた(けどすぐに辞めた、ごめん)。
家族全員、バラバラでご飯を食べた。
おのおのが帰宅したら冷蔵庫を開けて適当にご飯を食べる。また、食べずにいたら父が外食に連れて行ってくれた。そんなに家が裕福ではないことは薄々気がついていたので、外食のごはんは後ろめたさがあった。よく連れて行ってくれた「めしや食堂」というお店はおかずを好きにとる形式だったけれど、1番安いのを選んでいた。
そんなバラバラの生活のなかで、私は母への怒りを募らせていった。
ある日、私が登校するために玄関を出た時、母がちょうど帰ってきたことがあった。
「家の悪者が帰ってきた」
私は暴言を吐いて家を出た。母がその時、どんな顔をしていたかは知らない。けれどその次の日から数日帰ってこなかったので、私のせいで二度と帰ってこないかも、と後悔したことを覚えている。
私の妹はじっと家族みんなを観察しているようだった。あまりこの家族には関わりたくないというふうにも見えた。あとから大人になってこの話をすると、「そんなこともあったな、ハハッ」とかなり楽観的なふうだった。きょうだい三人でも、全然違うものである。
当時、私は分からなかった。
家族がいるのになぜちゃんと帰ってきてくれないのかと。
食器はたまり、洗濯物は生乾きのまま放置され、家に埃がたまっていく。誰も家事をやろうとせず、二日ぶりに帰宅した母がすべて片付けていた。
父も、きょうだい三人も、全く家事をやらなかった。それは「母の仕事」であると無意識下で思っていた。
母はフルタイムでパートをしていた。
激務なこともあり、しんどい、辞めたい、といつもつぶやいていた。帰宅してからも五人家族と犬一匹の世話をしないといけない。仕事をしながら毎日三食のご飯を全員分作らなくてはいけないとは、どのくらいプレッシャーだっただろう。
母は家族から逃げたかったのだと、今なら思う。けれど、逃げ切れず、あいまいな形で家族と距離を置いたのかもしれない。
足が遠のくと、ますます帰りづらくなっただろう。
食卓の真ん中にあったホットプレートは、埃を被っても誰にも気付かれなかった。私が二十歳で実家を出たが、それまでついにホットプレートを出されることはなかった。
母は私が実家を出る時、泣いていた。
「もう、泣かんといてや」
「ごめん」
そう言いながら、涙をぬぐっていた。
隣で夫がお好み焼きを頬張っていた。油で頬をきらきらさせながら。
「ソース、ついてるで」
私がティッシュを渡すと、ありがと、と言って拭った。
「今日は焼きそばも食べる?」
「えー!ええの!食べる!」
夫は嬉しそうに言った。うちの猫にはかつお節を少しあげた。
夫が幸せそうに食べている。この人と食べるお好み焼きも、好きだなと思った。
けど、もう一度だけ、実家の家族五人でお好み焼きを食べたい。