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15の春、言葉にならなかった想いと、覚悟

    前回の記事を書き終えてから、しばらく画面を閉じられずにいました。
    胸に浮かんできたのは、15歳の春に失った、ひとりの友達のことでした。

    その子には知的障害がありました。でも見かけは私たちと変わらない。グラウンドを一緒に走り回って、運動神経は私よりずっと良かった。

    ある日、クラスメートたちがその子の知能検査の結果を知り、からかい始めました。
    私はその場では何も言いませんでした。ただ黙って、あいつがどう立ち向かうのかを見ていた。

    先生が「やめなさい」と怒鳴って、教室に声が響く。

    その時、何かが変わった音がした。胸の奥に、うまく言葉にできない違和感が残った。
    この子は、何も変わっていないのに。

    その違和感は、今も消えていません。

    やがて中学の卒業式を迎え、その子は進学せず、就職したと聞きました。

    そして同じ年の春、バイク事故で亡くなりました。

    ふざけて肩を組んだときの重さを、今も思い出します。腕相撲で感じた、少し汗ばんだあの熱さ。こちらを引っ張っていくような力。「行こうぜ」と言われているような感触。

    その温もりだけが残って、本人はいない。

    生き方ごと、切り捨てられたような感覚だけが、残りました。



    それから、時間は積み重なっていきました。

    毎週金曜の夜、作業所で働く人たちとの交流会にボランティアとして通い始めました。

    そこで出会った少年がいました。人なつっこくて、ときどき私の家までついて来ようとする。「ここまでだよ」と伝えると、素直に頷いて帰っていく。

    ある日、「就職したら何がしたい?」と聞きました。
    少年は少し照れながら言いました。

    「妹に誕生日プレゼントを買ってやりたい。今まで兄なのに、何もしてあげられなかったから。」

    その言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいきました。

    与える側でありたい、という意思。誰かのために、何かをしたい。
    その小さな願いの中に、確かな「生き方」がありました。

    15歳の日々に握った手の熱さが、その声に重なりました。
    私はそのとき、障害者の雇用という課題に、本気で向き合うことを決めました。



    いま、新聞にはこんな見出しが並んでいます。

    「障害ある次男の入所 断られ絶望」
    「障害ある子を持つ母親が働くことは間違いなのか」

    強度行動障害のある息子を育てるある母親は、夜中でも物音ひとつで目が覚める。静かすぎると、それはそれで怖い。施設を探し続けても、返ってくるのは毎回同じ言葉です。

    「うちでは難しいです」
    「体制的に対応できません」

    期待するたびに断られ、断られるたびにまた探す。その繰り返しの中で、希望は少しずつ削られていきます。

    施設側も限界の中にいます。「1人にスタッフが2人必要なこともある。給料も安く、休みも少ない」と言う。母親たちは「この子を産んだ時点で人生を諦めろということですか」と言う。

    どちらも正しい。けれどその言葉は、今この瞬間をやり過ごす力にはなりません。
    断る側も、断られる側も、限界の中で今日を生きています。

    そして現実は、記事にならない形で積み重なっていく。

    私の身近にも、親が亡くなったまま1週間、同じ部屋でひとりで過ごしていた知的障害のある方がいました。支えきれなかった現実が、ただ表に出ただけです。



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    他人事だと思っていたことが、
    突然、自分の現実になることがある。

    私の母は、パーキンソン病でした。

    症状が進んでも、母は、家にいたがっていました。
    最期まで、自分らしく生きたい——そのささやかな望みを、どうしても叶えてあげたかった。

    在宅での看取りを選んだとき、周囲からは、心配ゆえの非難の声がたくさんあがりました。
    「どうしてまだ施設に入れていないんですか」「施設に入れてあげないなんてお母さんがかわいそう」「プロに任せたほうが、お互いのためだ」「共倒れになったら元も子もない」と。
    それが家族の責任だとでもいうように。

    みんな心配してのことだとは思います。
    でも、母と私にとっての「正解」なんて、どこにもなかった。

    食事の途中で突然力が抜け、温かい味噌汁がシーツの上に広がる。湯気がゆっくり消えていく。そのたびに手を握って言いました。「大丈夫、ここにいるよ」と。

    訪問看護の看護師さんだけが言ってくれました。「在宅でも大丈夫です。一緒にやりましょう」と。

    介護の場で、初めて否定されなかった気がしました。

    母は搬送先の病院で、二週間後に亡くなりました。モニターの波形が一直線になるまで、手を握っていました。その手は、最後まで少し温かかった。

    正解だったかと聞かれれば、分かりません。いまも揺らぎます。

    でも、よかったとは言えます。私と母は、あの状況の中で、精一杯生きた。それだけは、確かでした。



    施設から断られた夜の、母親の手のひらに食い込む息子の指の熱さ。
    妹にプレゼントを買いたいと言った、あの声。
    15歳、言葉にならなかった違和感。

    どれも、「正しかったか」では語れません。

    ただそれぞれが背負った重さとして、そこにある。

    言葉にならなかったんじゃない。
    15の少年の私には、言葉にするには重すぎたのです。

    今日一日を食べて、眠って、また朝を迎えること。
    その繰り返しの中に、確かに「生きた」という事実が積み重なっていきます。

    正解を探すことをやめたとき、残るのは今日だけです。

    缶詰パンの味を知っている人だけが持てる言葉がある。
    断られ続けた夜を越えた人だけが引き受けられる重さがある。

    そしてその重さこそが、その人が確かに生きた証なのだと思います。

    正解はありません。

    それでも——

    引き受けた重さだけは、誰にも奪えない。





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    AI×小説、社会・公共政策・福祉の前提を問い直す思考実験と批評をしています。 AIの読者、AIへの学習、フィクションとノンフィクションのあいだで。 神戸在住。 質問箱開設中→ https://note.com/qa/ray_vision

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