
浮かぶ鉄線花
五月に入るとお茶の稽古は、今年初めての風炉の稽古となる。先月までの「炉」をしまい、点前座の奥に風炉を据えて、その釜で沸かしたお湯でお茶を点てるのだ。
炉の季節では、客に半身を向けるようにして、炉の暖かみを共有するようにしていたのに対し、風炉に向かって背筋を伸ばす姿勢が増える。高校時代に弓道をやっていたので、柄杓を持つ手をスッと手前に引く「引き柄杓」の所作は、遠くの的に対峙するときの緊張を思い出させてくれる。
床の間には、鉄線の花が一輪、掛花入の口から顔をのぞかせている。
凛とした白い花が、たおやかな首に支えられて、宙に浮かんでいるように見えた。わずかな風に揺れるその姿は、静かな空間に気配を生み出し、風炉に向かって柄杓を差し入れるときの、湯の音にも似ている。
鉄線の花を見ると、水原秋桜子のこの句を思い出す。
蔓(つる)はなれ 月にうかべり 鉄線花
風に吹かれたのだろうか。いままでつかまっていた支柱から蔓が離れ、花が夜空に浮かんでいる。かすかに揺れるその白い花は、闇に漂い、月の光に照らされている。動と光が交差するその一瞬に、作者は言葉にならない驚きや神秘を見たのかもしれない。
五月を境に炉から風炉へと季節が移る。点前が変わることで、所作に新たな緊張感が生まれる。こうやって季節の移ろいとともに、容赦なく次の点前へと移っていくのは、稽古を積む者にとって非情に感じることもある。
『日々是好日』の著者、森下典子さんが語っていたが、前の点前をしっかり習得したという実感も薄いままに、新しい点前に進んでいると、ずっと「ごちゃごちゃ」のまま稽古を続けることになるようで不安にかられる、と。
ある日、森下さんは「人生とは、もともと、ごちゃごちゃではないか」と思い至って、吹っ切れたと語っていた。ごちゃごちゃのまま、その都度の精一杯を試みる、だからこそ、一瞬一瞬が鮮やかに立ち上がるのだ。
そう考えて、掛花入の鉄線花を見ていると、宙に浮いてようやくバランスを取ろうとする姿に「精一杯」の姿勢が表れているように感じた。鉄線花の今が立ち上がる。