
25. 教会を離れても、未来にまで来るのか
教会を離れれば、宗教的な人間関係も、少しずつ過去のものになっていく。
私は、そう思っていました。
ところが、大人になってからも、その関係は家族を通じて続いていました。
私が強い恐怖を感じたのは、ある教会員との出来事でした。
当初、私はその方に感謝していました。家族や家業のことで協力していただいたこともあり、意見が違っても、話し合えばよいと考えていました。
しかし、次第に理解しがたい発言を耳にするようになりました。
「宗教的な指導として、(家業の会社から)実姉を解雇した」
「悔い改めたら、相続放棄してやる」
「口約束では相続問題の解決を約束したけど、そのときに弁護士はいなかったよな?」
これらは、私が当時把握した発言です。経緯や意図には確認すべき点がありますが、私は強い違和感を覚えました。
宗教的な指導によって人を解雇するとは、どういうことでしょうか。悔い改めるかどうかで相続の判断が変わるのでしょうか。一度交わした約束について、弁護士が同席していなかったことを持ち出すのは、何のためなのでしょうか。
信仰、雇用、財産、法律。
本来は異なる基準で考えるべきことが、一つの人間関係の中で結びついているように見えました。
さらに、私がこれらの言動について教団に抗議したところ、その抗議を知った当該教会員が、私の職場に弁護士を送り、私を解雇させるという趣旨の発言をしたと、実姉から報告を受けています。実姉は、その発言について記録を残しています。
実際に弁護士が職場を訪れたり、解雇に向けた手続きが行われたりしたと確認できたわけではありません。しかし、家族を通じてそのような発言が伝えられたことに、私は強い恐怖を感じました。
子どもの頃、信仰に従わなければ恐ろしい結末が待っていると教えられました。
信仰を根拠に、自らの判断を正当化し、他人の仕事や財産、生活にまで介入しようとする人々の言動です。
宗教的な指導を理由にした解雇、悔い改めを条件とする相続上の判断。そして、教団に抗議すると、今度は私自身の職場にまで働きかけるという趣旨の発言が伝えられる。
こうした言動について、教団がどのように事実を確認し、対応しているのか、私には見えていません。
もちろん、信仰を持つ自由も、弁護士に相談する権利も尊重しています。しかし、信仰上の判断と、他人の雇用や財産に関わる権利は区別されなければなりません。
私は、誰かの信仰を否定したいのではありません。
ただ、自分の仕事を続け、家族と暮らし、これからの人生を自分自身で決めたいのです。
教会を離れても、未来にまで来るのか。
私が怖いのは、過去の教えだけではありません。
教会から離れた後も、宗教的な人間関係によって、自分や家族の未来まで左右されかねないと感じることなのです。