
49. 例外の世界――ベジタリアンはベジタリアンであって、ベジタリアンではない
私は、SDA教会の家庭で育つ中で、食事に関して面倒なことが多々ありました。
SDA教会の関連企業に、三育フーズ株式会社という会社があります。ベジタリアン向けの食品を製造・販売しており、教会員はこれらを購入したり、贈答品として送ったりしていました。教会内でも積極的な購入が勧められていたと記憶しています。
健康でありたいという気持ちは誰にでもありますし、ベジタリアン向けの食品を選ぶこと自体を否定するつもりはありません。
面倒だったのは、周囲のSDAクリスチャンの説明の仕方でした。
「牛肉そっくりの味で、牛肉よりもよいものだから、この三育フーズのグルテンバーガーを食べなさい」
という具合です。
小学生の頃から、この説明の意味がよくわかりませんでした。そもそも肉を食べないベジタリアンの世界なのに、なぜ牛肉の味を知っていることが前提なのでしょうか。
大豆は大豆そのものの味で十分においしいのに、なぜわざわざ牛肉と比較する必要があるのでしょうか。
大豆そのものに失礼だろう。
私は、そう思っていました。
三育学院に入ってから、さらに奇妙に感じたことがありました。
当時、三育学院の食堂では三育フーズの食品を使用していないと、食堂の職員から聞いたのです。
もちろん、食堂の運営には経済性が求められます。より安価な同種の商品を調達することには合理性があります。
しかし、教会員には三育フーズの食品を積極的に勧めながら、同じSDAの関連組織である三育学院の食堂では使用していないというのです。
経済的な事情があるなら、そう説明すればよいだけです。
言っていることと、やっていることが違うのに、その違いを説明しない。
私には、そこが奇妙でした。
こうした矛盾は、家庭内でもありました。
私の家族は、実際にはそれほど厳格なベジタリアンではありませんでした。しかし、教会関係者の前ではベジタリアンとして振る舞うよう求められ、教会と関係のない親族の前では、ベジタリアンにこだわらず食事をするよう求められました。
一方で、教会とは関係のない友達の家で肉や魚を食べた日には、帰宅してから家族に文句を言われることもありました。
いちいち対応を変えるのが面倒なので、教会と関係のない親族にも「私はベジタリアンです」と説明することがありました。
すると、あとで家族から怒られるのです。
教会関係者の前ではベジタリアンでありなさいと言われ、教会と関係のない親族の前では、そう言ってはいけない。
では、私はベジタリアンなのでしょうか。それとも、そうではないのでしょうか。
結局、私が何を食べたいのか、何を食べないのかではなく、その場にいる大人たちが、私にどう振る舞ってほしいのかが基準になっていたのだと思います。
牛肉そっくりだから食べなさいと言われ、ベジタリアンとして振る舞いなさいと言われ、そのとおりに振る舞うと、今度は怒られる。
食べ物の話をしているはずなのに、いつの間にか、食べ物とは関係のない話になっていました。
私は、何を食べるかについて、自分で考え、自分で決めたかっただけなのです。