
24. 教会を離れても、職場にまで来るのか
三育学院を卒業し、教会からも距離を置くようになりました。
進学し、研究を続け、仕事をするようになりました。教会とは別の場所で、自分自身の生活を築いていったのです。
ところが、教会との関係は、そう簡単には終わりませんでした。
職場にまで、教会や献金に関する連絡が届くのです。
私は、そのことに強い違和感を覚えました。
私が働くのは、公共性の高い教育研究機関です。研究や教育には社会的な責任があり、業務と私的な宗教活動との接点は厳格に管理する必要があります。
信仰を持つことは自由です。しかし、職場の連絡先を宗教活動のために利用することは、別の問題です。
最初に問題が起きたとき、「一度のミスはある。徹底して修正する」という趣旨の説明を受けました。
私も、一度の間違いを責めるつもりはありませんでした。ただ、再発防止を確実にするため、念書をお願いしました。
すると、「しつこい」「うるさい」「前向きになれ」といった言葉が返ってきました。
私は困惑しました。
間違いを責めているのではありません。修正すると説明されたので、その約束を明確にしておきたかっただけなのです。
そして、二度目に同じことが起きました。
今度は、「自分の責任ではない」「一回目にお前がもっと強く言わなかった」「本当は嫌ではなかったのだろう」という趣旨のことを言われました。
私は、本当に恐ろしくなりました。
一回目には、再発防止を求めると「しつこい」と言われ、二回目には「もっと強く言わなかったお前が悪い」と言われる。
それでは、私はいったい、どうすればよかったのでしょうか。
子どもの頃、私は、大人たちの言葉と行動が一致しないことに何度も戸惑いました。
理由を尋ねると、質問したこと自体が問題にされる。納得できないと伝えても、こちらの態度が悪いという話になる。
今回も、同じようなことが起きていると感じました。
もちろん、教会が信徒に献金を呼びかけること自体を否定するつもりはありません。
しかし、私はすでに教会から距離を置いていました。しかも、職場という、私的な宗教活動とは明確に区別すべき場所での出来事です。
私が怖いのは、一通の連絡ではありません。再発防止を求めても、問題が繰り返されれば、後から私の側に責任があることにされてしまう、その関係のあり方です。
信仰を持つ自由があるなら、信仰から離れる自由もあるはずです。
教会を離れても、職場にまで来るのか。
私が求めていたのは、特別な対応ではありません。
一度伝えた「やめてほしい」という意思を尊重し、同じことを繰り返さないでほしい。ただ、それだけだったのです。