
21. 法律と信仰、どちらが上だったのか
小学生の頃から、私は法律と信仰のどちらが上にあるのか、大人たちの言葉と行動を観察していました。
教会では、神の言葉は人間の法律より上にあると説明されることがありました。
法律や社会の常識よりも、信仰を優先すべきだというのです。
しかし、私は不思議に思っていました。
では、信仰と法律が食い違ったとき、大人たちはどちらを優先するのでしょうか。
教会の中では、神の言葉に従うことが何よりも大切だと説かれる。
子どもが疑問を持っても、「神がそう言っている」「信仰が足りない」と説明されることがありました。
ところが、自分たちの行動について責任を問われそうになると、今度は法律の話が始まります。
法律上の責任はない。
訴訟にならないようにする。
弁護士に相談する。
さっきまで法律より上にあったはずの信仰は、どこへ行ったのでしょうか。
私は、法律を使うこと自体がおかしいと言いたいわけではありません。法律は、社会の中で人々の権利や自由を守るために必要なものです。弁護士に相談することも、当然認められる権利です。
ただ、他人には信仰を理由に従うことを求めながら、自分たちが責任を問われると、法律上の説明を持ち出して、実際に何が起きたのかという問いまで終わらせようとする。
その使い分けが、私には不思議でした。
信仰を持ち出せば、自分たちが正しいことになる。
法律を持ち出せば、自分たちには責任がないことになる。
どちらを使っても、自分たちの行動を問い直す必要がなくなってしまう。
私は長い間、どちらが上なのかを考えていました。
しかし、大人になって振り返ると、私にとっては、本当はどちらが上でもよかったのだと思います。
私が観察していたのは、法律と信仰の優劣ではありませんでした。
大人たちが、その二つをどのように使い分け、自分たちの行動を正当化しているのか、ということだったのです。
もちろん、法律上の責任がないことと、その行為が倫理的に正しいことは同じではありません。
信仰に基づいているという説明も、目の前の人を傷つけてよい理由にはなりません。
それでも、私が経験した環境では、信仰を理由に他人へ服従を求める一方、自分たちの行為については法律上の責任の有無を強調し、事実関係の検証や説明責任を後回しにすることがありました。
法律を守ることと、自分たちの行動を誠実に振り返ることは、本来、対立しないはずです。
法律と信仰のどちらが上なのか。
ずっと考えてきましたが、答えは意外に単純だったのかもしれません。
結論を先に決めておけば、法律も信仰も、その結論を説明するための道具になる。
なるほど。
それなら、どちらが上かを決める必要など、最初からなかったのでしょう。
私が見ていたのは、法律と信仰の序列ではなく、それらを使う人間の振る舞いだったのです。