
36. 黒子――ライフスタイル(a way of living)
人口の多い都市部のSDA教会に通う、SDA教団職員の家族は言うのです。
「クリスチャンはライフスタイルよ」
そして、わざわざ英語で「a way of living」と言い直す。
一方で、地方の人口の少ない地域にあるSDA教会については、「おかしい」「気持ち悪い」などと言うのです。
私はこれまで、この集団で育った二世の方々が自死された際、何度も葬儀に参列してきました。
そのたびに驚いたのは、SDA教会からの参列者がほとんどいないことでした。
同じ疑問を抱いた人と、こんな言葉を交わしたこともあります。
「やっぱり来ないよね。こういうとき」
残されたご遺族はSDA教会とは関係のない方々でした。教会側に伝えたいことも、さまざまにあるようでした。
一方、教会関係者は言うのです。
「なぜこういうことが起こったのか、わからない。なぜなんだろう」
わかります。わかりますよ。
そのこと自体を責めるつもりはありません。
でも、そんなとき、そっと遺族に会いに行く人たちがいるのです。
かつてSDA教会との関係で苦しんだ人たちです。
誰に頼まれたわけでもなく、自ら連絡先を調べ、仕事を休んで足を運ぶ。遺族の気持ちがわかるからです。
そういう人たちは、地方の小さなSDA教会のそばにもいます。教会には通わなくても、教会関係者の法令違反に気づけば、そっと指摘しているのです。
それにもかかわらず、教団職員の家族が、軽い調子で「ライフスタイル」と語る。
その言葉を聞くと、私は相当に胸くそが悪くなるのです。
その何気ない言葉の向こうに、私が長年接してきた教会関係者たちの姿が重なるからです。
信仰や正しさを語りながら、他者の苦しみや意思を顧みない。私は、そうした言動を繰り返し経験してきました。
だから、穏やかな言葉を聞いても安心できないのです。
その言葉の向こうにいる人々が、私や他の人々の意思を尊重してくれるのか。私には、それがわからないのです。
ライフスタイル。
a way of living.
そうですか。生き方ですか。
私は、誰に頼まれることもなく、仕事を休んで遺族のもとへ足を運ぶ人たちを知っています。
一方で、同じ教団で育った人が亡くなったとき、葬儀にほとんど姿を見せない教会関係者たちも見てきました。
私には、こうした現実を前にして語られる「ライフスタイル(a way of living)」というものが、どうにも理解しがたいのです。