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Photo byjolly_zinnia3265

36. 黒子――ライフスタイル(a way of living)

    人口の多い都市部のSDA教会に通う、SDA教団職員の家族は言うのです。

    「クリスチャンはライフスタイルよ」

    そして、わざわざ英語で「a way of living」と言い直す。

    一方で、地方の人口の少ない地域にあるSDA教会については、「おかしい」「気持ち悪い」などと言うのです。

    私はこれまで、この集団で育った二世の方々が自死された際、何度も葬儀に参列してきました。

    そのたびに驚いたのは、SDA教会からの参列者がほとんどいないことでした。

    同じ疑問を抱いた人と、こんな言葉を交わしたこともあります。

    「やっぱり来ないよね。こういうとき」

    残されたご遺族はSDA教会とは関係のない方々でした。教会側に伝えたいことも、さまざまにあるようでした。

    一方、教会関係者は言うのです。

    「なぜこういうことが起こったのか、わからない。なぜなんだろう」

    わかります。わかりますよ。

    そのこと自体を責めるつもりはありません。

    でも、そんなとき、そっと遺族に会いに行く人たちがいるのです。

    かつてSDA教会との関係で苦しんだ人たちです。

    誰に頼まれたわけでもなく、自ら連絡先を調べ、仕事を休んで足を運ぶ。遺族の気持ちがわかるからです。

    そういう人たちは、地方の小さなSDA教会のそばにもいます。教会には通わなくても、教会関係者の法令違反に気づけば、そっと指摘しているのです。

    それにもかかわらず、教団職員の家族が、軽い調子で「ライフスタイル」と語る。

    その言葉を聞くと、私は相当に胸くそが悪くなるのです。

    その何気ない言葉の向こうに、私が長年接してきた教会関係者たちの姿が重なるからです。

    信仰や正しさを語りながら、他者の苦しみや意思を顧みない。私は、そうした言動を繰り返し経験してきました。

    だから、穏やかな言葉を聞いても安心できないのです。

    その言葉の向こうにいる人々が、私や他の人々の意思を尊重してくれるのか。私には、それがわからないのです。

    ライフスタイル。

    a way of living.

    そうですか。生き方ですか。

    私は、誰に頼まれることもなく、仕事を休んで遺族のもとへ足を運ぶ人たちを知っています。

    一方で、同じ教団で育った人が亡くなったとき、葬儀にほとんど姿を見せない教会関係者たちも見てきました。

    私には、こうした現実を前にして語られる「ライフスタイル(a way of living)」というものが、どうにも理解しがたいのです。

     
     
    セブンスデー・アドベンチスト教会と三育学院に関係する環境で育ちました。 子どもの頃から感じていた違和感、家族と教会の境界、記録、そして回復の過程を、個人の経験として書いています。 記録・記憶・現在の解釈をできるだけ分けて残します。 NoMoreSeventh。第七日の、その先へ。

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