メインコンテンツへスキップ
見出し画像

中華の倫理観は日本と正反対?~ドラマ『陳情令』より

     数年前に中国のドラマ『陳情令』を観て、なるほどなるほどと思ったことがあった。
     脚本から透けて見える倫理観が興味深いのだ。

     なお、筆者は基本連続ドラマが苦手だ。父のカールおじさんも苦手である。バトルシーンのない恋愛ドラマなどは観たあとの感想が「何も起こらなかったね」になってしまうトンコツ脳である。映画館での途中退場もよくやる。それなのに、ふたりとも最後まで観れたのだから、なかなか面白かったのだ。
     インターネットで映画のようにつづけて観ることができたのもよかった。次回は一週間後とか言われたら到底無理である。


     さて、中華と日本の倫理観、どこがどう正反対なのか?


     ──あらすじは追わないけど、物語の終盤の話が中心なのでネタバレを含みます。ご了承ください。──



     ……それで、筆者が興味深いと思ったキャラクターが、彼、モン・ヤオ君。物語後半ではジン・グワンヤオと名前を改めている。

    画像

     初登場シーンで「あ、これラスボスだわ」とピンときてしまったほどのイケメン演技派である。
     
     物語の終盤で彼の悪事がつぎつぎと暴かれていくのだが、それを知ったときの親友の反応が面白い。

     まず、彼モン・ヤオ君は策略でもって多くの人々を死に追いやっている。庶民から仙人まで、自分と関係ある人からない人まで、結構な数を殺している。
     しかも、昔、人から蔑まれる立場であった自分を取り立ててくれた恩人まで始末している。これが物語のキーになっているようだが、それはいい。

     問題は、そのあとに判明したことである。


     彼はどうやら腹違いの妹と結婚していたようなのだ。
     そして、なにやらピンクな方法で実の父を殺している。

     親友が思いあまってモン・ヤオ君をびんたするのが、これがわかったタイミングなのだ。




     
    つまり、どういうことかというと、彼らにとっては無辜の人々の虐殺よりも、近親相姦や父殺しのほうが重い罪という感覚があるのではないか?



     
    これは一般の日本人の感覚とは正反対である。

     日本人の場合、「近親相姦とか父ちゃんをバットで殴って殺したとかは、家庭内のことだからひと様があまり口を挟むもんでもないし、自分たちの中で納めてくれればいいだろう。だが、恩人を殺すとか、関係ない人々を殺すのはダメだろう。それは許せん」となるはずである。

     しかし、このドラマを見る限り、中国人の感覚としては、「よそで関係ない人々を殺したり、自分を咎めた人を殺すのはともかく、近親相姦と父殺しだけは絶対ダメだろう。それだけは許せん」…となるのかな、と思ったわけである。
     どうなのかな?中国人の方、教えてください。


     
     近親相姦を「大罪」と認定する感覚のルーツはどこからきているのだろう?これも興味深いテーマである。あとで調べよう。


     そして、父殺しを「禁忌」のように扱うのは、目上の人を敬い仕えることを美徳とする儒教的な感覚から来ているのだろうか?

     もちろん、親孝行自体は世界中で美徳とされている。

     だが、とくに日本を含む西洋世界では、子が親のために犠牲になるより、親が子供のために犠牲になるほうが一般的に美談とされている。
     ハリウッド映画を観ればよくわかる。

     『パイレーツ・オブ・カリビアン』で、娘を犠牲にしようとした黒ひげは悪役として成敗されたが、もし娘が死んでいたら、黒ひげパパの役に立ちたいという娘のたっての願いだとしても、非常に後味の悪い話になっただろう。間違っても美談にはならない。一方、娘を助けて死んだバルボッサは最期はいい奴という描かれ方だった。

     描き方の問題もあるのだが、やはりそれだけではない気がする。


     世界中が西欧人と同じ感覚で物事を見ているわけではないのだ。

     たとえば、イランの『ダマスカス』という映画では、最後、息子が父親を救って死んでいく。


     この映画ではそれが「美談」として描かれているため、変な胸糞悪さはない。だが、筆者としては、「え、そっちが助かるの?」と物事が予定調和から外れた不思議な感覚を抱いたものだ。息子が生き残った方がよかったんじゃないかな……と。

     でも、イランの人々には、筆者とは違うまた別なものを感じる琴線があって、それがこういうストーリーを生み出したのだろう。

     年配者や親を敬うのは良いことだという認識は同じなのに、感覚にズレがあるというのはおもしろい。




     親や年配者を敬えという教えは、聖書とイスラム教のコーランの両方にみられるわけだが、現代では、イスラム教世界のほうが年配者に対する尊敬の念は大きい。

     日本もだが最近の西側諸国の老人の扱いはちょっとひどいと思う。
     生産性がないなら役立たずだなんて、人間を機械のように扱うとは、まさに世紀末。

    画像
    ロボジー


     


     ……話を戻すが、このドラマを観るかぎり、中華ではよそ様に対する罪より、家族内部での罪のほうが重く受け止められているように見受けられたのだ。


     別に悪いことではない。
     問題はバランスだ。


     日本ではよそ様に迷惑をかけないようにという一心で、家族を犠牲にする人が多い。
     中国では、一族を助けるためによそ様に暴虐を働く人々がいる。

     身内よりよそ様が大事なのか、よそ様より身内が大事なのか。

     どちらもバランスを欠いた状態だ。


     すべての人を尊重して、すべての人を思いやるのが理想だが、難しいからこうなるのだろう。



     ……それにしても、モン・ヤオ君。ただの悪党ではなく、なかなかグレーな立ち位置で興味深かった。多くの中国人が彼に同情するのではないだろうか。
     ただの悪党として描かず、かといって安易に擁護もせず、中華もこういう奥深いキャラクターの描き方をするんだなぁ、と感じた次第である。

     
     ちなみに、筆者は主人公のお姉さま、カールおじさんはウェン・チン譲のファンであった。だから、彼女たちの死亡回はお通夜状態だった。

     野郎どもばかり生き残って、美女たちの退場が早すぎるんでない?
     ……と中国のお父さんたちも思ったよね?ね?


    《もくじページへ移動》

    《歴史バカの大冒険 トップページ》

    画像



    この記事が参加している募集

     
     
    『聖書』とイランの『王書』と中東古代史の研究を主に続けています。暗黒年表を作ることと珍しい野菜を植えるのが趣味。 著作 『エデンの園の本当の場所』 『かいせつ 魂と霊のメカニズム』 amazonにて

    あなたへのおすすめ