
『殴り殴られ詩人酒場』ep.100「いつかの少女、あの日の坊」深掘り解説
この小説を単に「昔の友達に会えてうれしかった話」と読むだけでは少しもったいないです。
この作品は、「子どもから大人になることで、人は何を失い、何を残していくのか」というところまで掘り下げて読むと、かなり奥行きが見えてきます。
1.この作品の中心にあるのは「時間」
まず注目したいのがタイトルです。
「いつかの少女、あの日の坊」
「少女」は、昔のみおちゃん。
「坊」は、昔の主人公です。
つまりタイトルには、
「今の二人」ではなく、「昔の二人」
が登場しています。
ここが重要です。
物語の中で主人公は、21歳になっています。
みおちゃんも、もう子どものころの少女ではありません。
それなのに主人公は、みおちゃんから「坊ちゃん」と呼ばれています。
これは単なる呼び名ではありません。
「坊ちゃん」と呼ばれることで、主人公は一瞬だけ、
昔の自分に戻ることができる
のです。
つまり「坊ちゃん」という言葉が、過去と現在をつなぐ橋になっています。
2.主人公は「昔に戻りたい」と思っている
主人公は、昔のみおちゃんを何度も思い出します。
昔のみおちゃんは、
足が速い
元気
活発
泥だらけになっても気にしない
お国訛りを恥ずかしがらない
そんな女の子でした。
ところが今は、
着物の裾を気にする
髪を気にする
人の目を気にする
言葉遣いまで気にする
ようになっています。
主人公は、それを見て寂しくなる。
なぜなら、
「昔のみおちゃんがいなくなってしまった」
ように感じるからです。
でも、本当に消えてしまったのでしょうか。
実は、そうではありません。
最後のほうで、みおちゃんは昔のお国訛りを使います。
主人公は、その言葉を聞いて喜びます。
つまり、
大人になって表面は変わっても、昔の自分が完全になくなったわけではない
ということです。
3.「無垢」は、この作品の重要キーワード
作品の中には、
「当時の俺たちはあまりにも無垢だったのだ」
という部分があります。
「無垢」というのは、
純粋で、まだ世の中の複雑なことに染まっていない
という意味です。
子どものころの二人は、ただ一緒に遊んでいました。
追いかけっこをする。
捕まえる。
くすぐる。
泥だらけになる。
笑う。
それだけです。
そこに、
「これは恋愛なのか?」
「周りからどう見える?」
「この人と将来どうなる?」
なんていう計算はありません。
だから主人公にとって、その時間は特別なのです。
4.ところが「大人の世界」が入り込んでくる
作品には、
「大人どもの邪よこしま」
という言葉があります。
これは、
「大人には、大人の事情や欲、計算、偏見などがある」
という意味です。
子どもだった二人には理解できなかったことが、大人になるにつれて見えてくる。
これは成長の一面です。
中学生くらいになると、
「子どものころは何も考えずに遊べたのに、今は人間関係を気にするようになった」
という感覚が少しずつわかってくる人もいるでしょう。
友達同士でも、
「これを言ったら嫌われるかな」
「周りからどう思われるかな」
と考えることがあります。
この作品では、それをもっと大きなスケールで描いています。
5.「着物」は何を表している?
ここは文学的に読むと面白いところです。
みおちゃんの着物は、単なる服装ではありません。
物語の中で着物は、
「大人としての決まり」
を象徴しているように読めます。
子どものころは、泥だらけになっても平気だった。
でも今は着物を着ている。
だから走るときにも、
「裾が乱れないように」
「汚れないように」
と気にしなければならない。
つまり、
大人になる=自由になる
とは限らない。
むしろ、
大人になることで、守らなければならないものが増える
とも考えられます。
6.だから主人公は「走らせる」
ここで「走る」という行動が重要になります。
主人公はみおちゃんの手を取って走ります。
これは単純な移動ではありません。
主人公は、
「昔みたいに走ろう」
としているのです。
昔は二人とも、何も考えずに走った。
だから今も走ってみる。
もちろん、完全には昔に戻れません。
みおちゃんは着物を着ている。
21歳の主人公は、もう子どもではありません。
周囲には巡査や記者もいる。
つまり、大人の世界は消えていません。
それでも二人は走ります。
ここが大切です。
7.「過去を取り戻す」のではなく「過去を今につなぐ」
この作品は、
「昔に戻ってしまう話」
ではありません。
そこを間違えると、この作品の面白さを逃します。
主人公は昔に戻りたい。
でも、本当に昔へ戻ることはできません。
時間は戻らないからです。
だからできるのは、
昔の記憶を、現在の自分の中にもう一度生かすこと
です。
これが作品の核心だと思います。
昔のみおちゃんと同じ人ではない。
昔の主人公と同じ人でもない。
でも、
昔の二人が持っていた「一緒にいると楽しい」という気持ちは、今にも残っている。
だから二人は笑うことができます。
8.「俺」の声が嫌い、という部分が面白い
主人公には、
「己の声が、憎たらしかった」
という場面があります。
これはかなり重要です。
なぜ主人公は自分の声を嫌うのでしょう。
それは、自分の声を聞くことで、
「自分がもう子どもではない」
ことを実感してしまうからです。
子どものころの「坊ちゃん」の声ではありません。
21歳の青年の声です。
つまり自分の声が、
「時間が進んでしまった証拠」
になっている。
だから嫌なのです。
これは単なる「声が嫌い」という話ではありません。
主人公は、
「大人になってしまった自分」
に戸惑っているのです。
9.みおちゃんの「お国訛り」も同じ
主人公は、みおちゃんのお国訛りが好きです。
なぜでしょう。
それは、その言葉を聞くと、
「昔のみおちゃん」が戻ってくる
からです。
今のみおちゃんは、なるべくお国訛りを隠しています。
つまり彼女も、
「大人らしくしなければ」
と思っているのでしょう。
でも、ときどき昔の言葉が出てしまう。
主人公はそこに安心します。
だから、
主人公の「声」と、みおちゃんの「言葉」
は対になっています。
主人公は自分の声を嫌う。
一方で、みおちゃんの昔の言葉を愛おしく思う。
どちらも、
「変わってしまった自分」と「残っている昔の自分」
を表しています。
10.「鶺鴒」は何を意味している?
冒頭から、
鶺鴒(せきれい)
が出てきます。
鶺鴒は鳥です。
主人公は、その鳥を「道先案内」に仕立てます。
つまり鳥を見つけて、
「こっちへ行こう」
という感じで走り始めるわけです。
ところが最後には、
「鶺鴒の鳴き声かね」
と主人公が言うと、
みおちゃんが、
「いんや、ありゃあ椋鳥だ」
と答えます。
ここが楽しいところです。
主人公は鳥の種類を間違えています。
でも、そんなことはどうでもいい。
二人は昔のような調子で会話しています。
つまり鳥の名前そのものより、
二人が昔のように軽口を言い合えること
が大切なのです。
11.「福寿草」は春の花
そして二人がたどり着くのが、
福寿草
です。
福寿草は春を告げる花として知られています。
この作品で福寿草が登場するのは、とても似合っています。
なぜなら、
「冬のようだった二人の関係に、春が戻ってくる」
ように読めるからです。
昔の二人の時間は終わってしまった。
でも、完全に消えたわけではない。
福寿草をきっかけに二人は笑います。
つまり、
新しい季節が始まる
ようにも感じられます。
12.二人が「笑う」ことが最大の答え
この作品では、難しい説明をして、
「私たちは昔を取り戻しました」
とは言いません。
そんな説明はありません。
ただ二人が笑います。
これが重要です。
昔の二人も笑っていた。
今の二人も笑っている。
つまり、
昔と今をつなぐものが、笑いなのです。
人は昔の出来事を完全に再現することはできません。
でも、
「昔、一緒に笑った人と、今もう一度笑う」
ことはできます。
そこに、この作品の希望があります。
13.最後に「お腹が鳴る」のがすごくいい
最後にみおちゃんのお腹が鳴ります。
主人公は、それを鳥の声だと勘違いしたふりをします。
そして、すぐ先には茶屋があります。
これは物語として非常にうまい終わり方です。
なぜなら、二人の関係が、
過去の思い出だけで終わっていない
からです。
「昔は楽しかったね」
で終わらない。
二人は今、一緒に茶屋へ向かっています。
つまり、
過去を思い出すことが、現在の楽しさにつながっている
のです。
14.実は「恋愛」だけでは説明できない
この作品を、
「主人公とみおちゃんは好き同士なんだね」
だけで説明するのは少し浅い読み方です。
もちろん、二人の間には特別な感情があります。
しかし、それ以上に描かれているのは、
「一緒に過ごした時間そのものへの愛着」
です。
好きなのは相手だけではありません。
相手と一緒にいたときの、
泥だらけの時間
追いかけっこ
笑い声
言葉
匂い
春の花
鳥の声
そういうもの全部が大切なのです。
だからこの作品は、
「人を好きになること」と「思い出を大切にすること」
が重なっています。
15.この小説で描かれている「成長」は、単純なものではない
普通、物語では、
子ども → 成長 → 大人
となると、「大人になってよかった」という方向に進みがちです。
しかし、この作品では少し違います。
大人になることで、
強くなる
背が高くなる
社会を知る
自分で判断できる
というものを得ます。
一方で、
無邪気さ
自由さ
素直さ
何も気にせず遊ぶこと
を失ってしまう。
つまり成長には、
得るものと失うものの両方がある
のです。
この「両方ある」という見方が、この作品を大人っぽくしています。
16.では、この作品は「昔に戻るべきだ」と言っているのか?
それも違います。
主人公だって、もう21歳です。
昔のままでは生きられません。
だから大切なのは、
子どもに戻ることではありません。
大人になった自分の中に、
子どものころの純粋な部分を残しておくこと
です。
これは読者にとってもかなり大切なテーマです。
大人になるにつれて、
「もっとしっかりしなさい」
「そんな子どもみたいなことをするな」
と言われる場面も増えていきます。
でも、
好奇心や遊び心まで全部捨てる必要はありません。
この作品は、
「大人になっても、昔の自分を完全に捨てなくていい」
という読み方もできます。
17.この作品を一文で言うなら
私なら、この小説をこうまとめます。
大人になってしまった二人が、もう戻れない子どもの時間を、ほんの一瞬だけ現在の中によみがえらせる物語。
そして、その「ほんの一瞬」を作るのが、
走ること。
笑うこと。
昔の言葉を聞くこと。
一緒にいること。
最後には、
茶屋で一緒に何かを食べること。
ものすごく大きな事件が起きる物語ではありません。
でも、
「人生の中で、本当に大切な時間って、案外こういう小さな時間なのかもしれない」
というところに、この作品の深さがあります。
最後に――知りたがりの読者なら、ここを考えて読むと面白い
この小説をもう一度読むなら、次の5つを意識するとかなり面白くなります。
① 「坊ちゃん」という呼び方は、なぜ主人公を喜ばせるのか?
→ 昔の自分に戻れるから。
② なぜ主人公は自分の声を嫌ったのか?
→ 自分が大人になったことを思い知らされるから。
③ なぜ主人公は、みおちゃんのお国訛りを好きなのか?
→ 昔のみおちゃんがまだ残っている証拠だから。
④ なぜ二人は「走る」のか?
→ 昔の自由な時間を、現在の中でもう一度味わうため。
⑤ なぜ最後を「茶屋」で終わらせたのか?
→ 過去を思い出して終わるのではなく、二人の「これからの時間」へ進んでいくため。
だからタイトルの
「いつかの少女、あの日の坊」
は、単に「昔のみおちゃんと昔の主人公」という意味ではありません。
そこには、
「人は大人になっても、心の中に昔の自分を残している」
という、この作品全体のメッセージが込められているのだと思います。