
着物の、「格」のようわからんアイテムが好き
この数カ月、着物のときに手放せないほど愛用しているもの。
それは「カラス表の千両下駄」だ。
平素は2000円で買った着物を着て喜んでいるような層なので、それはそれはもう奮発した。それほどその見た目に惚れ込んだ。
江戸っ子は髪と履物にはとことんこだわったと言うけど、今ならその気持ちがわかる。
見た目も履き心地も最高なのだが、その素性をあらためていくとまたニヤニヤできる。
畳表というのは格が高く、例外的に下駄であっても礼装まで幅広くカバーできるものらしい。むしろ、小紋や紬には不適当なくらいなのだとか。
畳表が礼装となった経緯は、江戸時代から続く老舗である丸屋履物店さんのチャンネルで勉強することができる。非常に興味深い…!
さらに、そのなかにあって烏表はおしゃれ向きなのだそうだ。
「烏表」とは畳表の色が渋い黒っぽく染められているもののこと。
ふだん着の着物向けの履き物である下駄。
その中で畳表なら例外的に礼装となり、さらに例外の例外として礼装向けとならないのが烏表の下駄である。
なんのこっちゃ。
着物は、「格」がややこしいとされる。上記のように履物から着物、帯、その他小物に至るまで、フォーマルのときはこういうもんを着ろカジュアルのときはこういうもんを着ろと細かく決まっている、のだそうだ。
いつだれが決めたのか、詳しいことは誰もあまりよく知らない。
初心者にとっては決まりごとが多すぎてとっつきづらく、少しかじると何もかもが決まっていることで判断に困らずありがたいと思うシーンもある。
そして私はどうもこういう、「格」がぱっと見ではよくわからない、「どっちだ?」と見る人を悩ませるようなアイテムを好きになってしまう傾向があるかもしれない。
特にアンティーク。現代の定義だと小紋に当たりそうな柄づけなのにおくみだけ絵羽柄になっているもの、ギリギリ小紋であろうものなのに三つ紋が入っているもの。豪華な絵羽柄の紋付羽織、柄づけは色留袖なのに紋が一つもないものなど。わけがわからなさすぎて面白い。
向かいから歩いてくる美人の顔に、よくよく見ると目が4つついていたらギョッとすると思うのだが、そういう異形のモノ的なおもしろさかもしれない。お化けの着物。格がありそうでなさそうで、どっちなんだ?と惑わせてくる感じ。
杓子定規に決まりごとばかりを重んじる世界の列に行儀よく並んでいるようで、よくみるとびっくり仰天、ケケケ、どうだ驚いたかい?あたし綺麗?みたいな感じ。
結婚式や卒業式にデニム着物で行くみたいな、ルールブレイクすること自体を面白いと思っているわけではない。ルールにギリ則ったうえで、ルールそのものの来歴や正当性を一度再考させてくれる、その脱構築性。
「私って一体なんだと思う?」「あんたの知ってるそのルールより古くに私は作られ、その後も連綿と着用されてきた。私自身がファクトだよ。さて、”正解”は何でしょう?」「さあ、私をどうする?今、どう着る?」
古い着物は、豊かな背景と有無を言わせない美しさで問いかけてくる。
マイルドな例なら、紬の訪問着とかもこれに当たるのかもしれない。
ちなみに、義理の母もまた着物沼にどっぷり足をすべらせてしまった人間なのだが、七五三に着てきてくれた装いは古い三つ紋の黒羽織、ただし漆糸で全面に柄の入ったお召。中の着物は紬の訪問着。足元は白草履で一見フォーマル、でもよく見るとカレンブロッソ。
もはや「格」という概念にまとわりついてニタニタしている鵺みたいな装いである。実にすてきだ。
その羽織は婚家の母方の母方から伝わるもので、いずこの家のものとも知れない紋がついており、その時代にしてすでに「こんなものはおしゃれなマークだと思って着るがよい」と言われていたそうで、義母はそれに倣っているとか。
家紋について調べていると「女紋」という興味深い風習もあったりで、家父長制のガワの中で女たちは女たちの世界を生き続けてきたのかもしれない、ということにも思いをはせる。
2026年の今、ただフォーマルライクに着物を着たいというだけで前時代的に「イエ」を背負わなければならないなんてちょっと嫌だし、子供にも背負ってもらうつもりないな〜と思っていたところ、義母もそのまた義母も、はるか昔からまったく同じつもりでいてくれたようだ。
母から娘への気持ちとして、おしゃれなマークを贈るというのであればすごく素敵だ。そこに意味なんていらない。
むしろ「意味なんていらないんだよ」というメッセージを贈ることで次世代に自由を手渡していきたい、義理の母たちが連綿と続けてきたように。
格のようわからんアイテムたちは、今も昔も、自由と制度の境界からこちらを覗き込んでニヤニヤと笑っている。