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反応のなさを通して、“読まれる”の意味を知った話


    私は長いこと、SNSの「♥ボタン」を返事のようなものだと思っていた。
    面白かった。よかった。読んだ。
    そういう単純な反応の形だろうと。

    でも、創作大賞への応募を通して、ようやく気づいた。
    「スキ」は返事というより、強い感情による「行動」だ。


    noteのエッセイはもともと60歳の自分へのタイムカプセルだった。
    自分の記憶力を全く信用していないし、脳による改ざんもあると思っている。
    覚書でも良かったが、投稿時に
    「これジャンル何だ?」となって、エッセイを知った。
    少しだけ書き方を学び、とりあえず文章の形にはなった。


    途中まで書いて、2年ほど間が空いた。
    読み返してみると、意外と面白かった。
    「これ、需要あるのでは?」と一瞬勘違いが発生し、続きを書いた。


    まあ、それにしても全く反応がない。
    他のSNSでもここまで反応がないのは珍しい。
    最悪、嫌われているのでは!?と思うほどだった。

    そこで目に留まったのが「創作大賞・エッセイ部門」。
    せめて賞に応募すれば、審査員の人数ぶんくらいは読んでもらえるだろう。
    そう思って、賞に出すためのエッセイを書くことにした。


    まずは受賞者のエッセイを見て回り、読みやすさを意識した。
    バラバラな思考を一本に通し、文章を短く切り、最後はAIにも添削してもらった。
    「ひとつづつ」や漢字をひらがなにするだとか、意外と細かく見てくれた。
    ついでに、
    「あなたの文章、乾いてますね~!」と感想もくれた。
    これには少し、笑ってしまった。

    そうして生まれて初めて「賞」というものに応募してみた。


    それはそれはもう…見事に反応が、無かった。

    そこで私はもう一度、エッセイを見て回った。
    そして、やっと、気づいた。
    「スキ」とは感情による「行動」だと。

    改めて自分のエッセイを読み返してみた。
    文章は整っている。オリジナリティもある。
    でも、
    「これ、感情ミリも動かないわ」
    と気づいた。


    これからも60歳の自分へのプレゼントとして書くのか、エッセイとして洗練させていくのか。
    今はまだわからない。

    でも、応募したことで「読まれる」とは何かを初めて考えた。
    整っていても、人の感情が動かなければ、エッセイでは何も起きない。
    そう思うと、私が書いていたのは、まだ覚書に近いものだったのかもしれない。
    そこが見えただけでも、応募した価値はあった。

     
     

    るり

     
     
    普通になりたかったのに、少しズレたまま大人になりました。 家族、貧困、就職、結婚を通して身についた自分なりの視点で、違和感から拾い集めた私の「世界の見え方」を書いています。

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