
全部、無駄だとは思いたくない。
世の中は、理不尽である。
頑張ったからといって、報われるとは限らない。
正しい人が得をするとも限らない。
どうしてこんなことが起きるのだろう、と思うこともある。
そんなとき、ふと思い出す高校時代の古文の先生がいる。
先生について覚えていることは、二つ。
ひとつは、
「むず、むず、ましじ、しむ、まほじ」
という、助動詞の活用を覚えるための替え歌。
もうひとつは、授業中に聞いた、こんな話。
「世の中には無駄なことしかないと思うか、無駄なことはひとつもないと思うか。極端に言えば、そのどちらかしかない」
たしか、そんな話だった。
無駄なことがあると思い始めたら、結局、人はいつか死ぬのだから、全部が無駄になってしまう。
だったら、
「無駄なことは、ひとつもない」
と思っていたほうがいい。
高校生だった私が、どこまで理解していたのかはわからない。
それでも、その言葉だけはずっと残った。
私はたぶん、全部を無駄だとは思いたくないのだ。
失敗したことにも。
遠回りしたことにも。
傷ついたことにも。
うまくいかなかった時間にも。
あとから何かひとつ、意味を見つけたくなる。
「あれがあったから、今がある」
と、つい言いたくなる。
もちろん、本当は意味なんてない出来事もあるのかもしれない。
理不尽なものを、無理やり「必要だった」と美化したいわけでもない。
ただ、どうせ同じ一日を生きるなら。
全部無駄だった、と世界を眺めるより、
「これにも何かあるかもしれない」
と思いながら歩いていたい。
どうせなら、ごきげんでいたい。
本を読んで、言葉を知って、知らなかった世界を知る。
昨日まで見えなかったものが、ひとつ見えるようになる。
それだけで、世界は少し豊かになる。
少し面白くなる。
世の中は、たぶんこれからも理不尽だ。
それでも私は、その中から意味を拾いながら生きていきたい。
全部、無駄だとは思いたくない。
どうせ生きるなら、
この世界を少しでも豊かに、面白がっていたいのだ。
喜木 拝
#66週ライラン
「本当はずっと言いたかったこと」
