
それでも、書く。読まれなくても、書く。
読まれたいのに、読まれない。
きっと多くの書き手が通る道。
「毎日noteを更新して、もうすぐ2年になります。けれどなかなか多くの人に読んでもらえません。読んでもらえるにはどうすればいいでしょうか」
ヤスさんの「土曜日のしらんけど」に、こんな切実な質問が届いていたようです。ペンネーム書きつばたさんより。
毎日、2年も。
それって本当にすごいことですよね。
でも、「読まれる工夫」をしても、数字は伸びない。
SNSもやってるのに、ちっともバズらない。
その気持ち、痛いほどわかるんです。
書いているとき、「誰に」向けて書いていましたか?
私は、かつて「noteの向こうにいる誰か」に向けて書こうとしていました。
でもね、その「誰か」は、とてもぼんやりしていたんです。
たとえば、「読書好きのワーママ」に届けたいと言いながら、
・読みたいと思ってもらえるタイトルにしてた?
・時間がない人でも読めるボリュームにしてた?
・共感してもらえる言葉で書いてた?
……たぶん、ぜんぶ曖昧でした。
「読まれたい」と「伝えたい」は、似て非なるもの。
「読まれたい」と思って書いた記事は、
どこかで、数字のことを気にしています。
「いいね、つくかな」
「シェアされるかな」
「スキ、増えるかな」
そうなると、いつのまにか「自分の言葉」が遠のいてしまうんですよね。
誰かの心に届くはずの言葉が、「届いてほしい!」という欲で包まれてしまう。
それが、読者に伝わってしまうのかもしれません。
じゃあ、どうするか。
私の答えは、ちょっと肩すかしかもしれません。
でも――
「それでも、書く。」です。
書くことが、「読まれる」ことに結びつかなくても。
それが、ただのつぶやきみたいになっても。
その積み重ねが、あるとき“誰かの目”に止まるときが来る。
その誰かが、未来の「書きつばたさんファン」かもしれないのだから。
文章は、種のようなもの。
蒔いたばかりでは芽は出ないし、芽が出てもすぐには花は咲かない。
でも、2年も続けてきた人の土壌は、もう十分に耕されているはず。
これから、きっと咲きます。
どんな花が咲くかは、書いている本人にもわからない。
それがまた、文章を書く面白さですよね。
誰よりもまず、自分自身の言葉に水をやってください。
わたしも、ときどき「枯れそうだな」と思いながら、書いています。
それでも、書くのです。読まれなくても、また、書くのです。
しらんけど。
喜木 拝