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運命を感じた一本。わたしと『インターステラー』の話

    夜更けのダイニングテーブルで、
    食器を片づけ終わったあとに残る、
    水滴の跡みたいな静けさが好きです。

    お湯をわかして、
    マグカップをふたりぶん用意して、
    いつもの席に、夫と並んで座る。

    湯気の向こうで、
    「今日は何観る?」なんて他愛ない相談をして、
    リモコンを手に、テレビの電源を入れる。

    あのとき、『インターステラー』を再生したのも、
    そんな「一日の終わり」の時間でした。


    地球の環境が悪くなり、人類の未来が危ぶまれている、少し先の世界。
    かつて宇宙飛行士だった父親と、その娘。

    ごく簡単に言えば、この映画は
    「人類の未来を探しに宇宙へ飛び立つ物語」です。

    でも、私の胸をいちばん強く掴んだのは、
    壮大な宇宙の映像でも、難しい科学の話でもなくて。

    台所のテーブルに残る、
    あの小さな「生活の匂い」みたいなシーンでした。
    (ネタバレになってしまうので、細かい描写は飲み込みますが)

    宇宙のはじっこまで話が飛んでいくのに、
    心はずっと、ひとつの家の、ひとつの部屋に、
    置き去りにされたままな気がするのです。


    スクリーンの中の父と娘を見ているはずなのに、
    胸の奥ではずっと、自分と父との時間が再生されていました。

    仕事に出かけていく背中。
    私の学校行事だけは、必ず見に来てくれたこと。
    上手に言葉にはしてくれないけれど、
    不器用な優しさが、ところどころににじんでいる人でした。

    物語の中で、父が娘のために下す決断や、
    どうしようもなく不器用な愛情表現を目にするたびに、
    気がついたら、頬を伝う涙を指でぬぐっていました。

    「この父は、なんて勝手なんだろう」
    「でも、なんてまっすぐなんだろう」

    スクリーンの中の父の姿に、
    自分の父を重ねずにはいられなくて。
    説明のつかない涙が、静かに溢れて止まりませんでした。

    横を見ると、隣には夫。
    同じ映画を観ているはずなのに、
    きっと彼は「いつか父になるかもしれない自分」を重ねているのかな、
    そんなことをぼんやり考えていました。


    そして、母になった今、
    あの夜のことを思い返しながらこの映画をなぞると、
    もうひとつ別の輪郭が浮かび上がってきます。

    朝の保育園で、
    泣きそうな娘に「いってきます」を言うたびに、
    少しだけ、胸の奥がきゅっとすること。

    「今この瞬間のわたし」は、
    この子のそばにいたい。

    でも、「何年か先のわたし」は、
    仕事も、書くことも、あきらめたくない。

    あっちも大事で、こっちも大事で、
    どちらかを簡単に選べるほど、
    人生は親切にできていない。

    『インターステラー』の登場人物たちも、
    そんな「どうしたって両方ほしい」もののあいだで、
    何度も何度も、心を引き裂かれるような選択をしていきます。

    父の側の痛みも、娘の側の痛みも。
    母になった今だからこそ、
    あのときよりも少しだけ、
    立場を行ったり来たりしながら観てしまう自分がいます。


    この映画を思い返していると、
    「時間」というものが、ただの数字ではなくて、
    触れたら壊れてしまいそうなガラスみたいに思えてきます。

    子どもと手をつないで歩く帰り道も、
    寝る前に読む一冊の絵本も、
    残業で会えなかった夜の分だけ減っていくハグの回数も。

    そういう全部が、
    目には見えない「砂時計」の中を、
    さらさらと落ちていく砂のようで。

    宇宙のどこかで時間が伸びたり縮んだりしている、
    そんなとんでもない話をしている映画なのに、
    一番刺さるのは、
    「今ここにいる人と過ごす一分一秒って、
     こんなにも尊いんだ」という事実なんです。


    『インターステラー』には、
    論理や計算を超えてしまう「選ぶ理由」が何度も出てきます。

    数字でいえば、こっちが正しい。
    確率でいえば、あっちが安全。

    それでも――
    「どうしても、この人を信じたい」
    「どうしても、この約束を守りたい」

    そうやって、
    誰かの顔を思い浮かべながら選んでしまう瞬間がある。

    その姿を思い出すたびに、
    自分の毎日もまた、
    小さな「決断」の積み重ねでできていることを、
    思い知らされます。

    少し無理をしてでも仕事を続けるか、
    あえてブレーキを踏んで家族との時間を増やすか。

    書くことに時間を使うか、
    眠りに時間を渡すか。

    わたしたちはきっと、
    そんな選択を、誰にも気づかれないまま、
    一日に何十回も繰り返しているのだと思います。


    画面の向こうで揺れているのは、
    銀河の渦や、見たこともない星だけではありません。

    「どうしようもなく不器用な愛」と、
    「間に合わなかった後悔」と、
    「それでも信じるしかない希望」が、
    ぐちゃぐちゃに混ざり合って、
    時間そのものを泣かせている。

    エンドロールの文字が流れはじめても、
    すぐには立ち上がれなくて、
    暗い部屋の中で、
    自分の心のどこが震えているのか、
    しばらく確かめてしまいました。

    あの夜、わたしの中で揺れていたのは、
    スクリーンの向こうの親子だけではなくて、
    「父の娘としてのわたし」と、
    「これから誰かの親になるかもしれないわたし」
    両方の時間だったのかもしれません。


    きっとわたしは、
    「宇宙の映画」としての『インターステラー』よりも、
    「愛」を描いた作品として、
    この映画に運命を感じているのだと思います。

    壮大な宇宙の物語なのに、
    観おわったあとに、いちばん抱きしめたくなるのは、
    目の前にいる「たったひとり」なんです。


    もし、あなたにも
    「遠く離れても、つながっていたい誰か」がいるなら――

    『インターステラー』はきっと、
    ただのSF映画を飛び越えて、

    「あなたの時間の物語」として
    胸に残る一本になるはずです。


    ここまで、できるだけネタバレを避けて書いてきましたが、
    ネタバレありで綴った感想記事がこちらです。

    ▶『インターステラー』ネタバレ感想

    まだ映画を観ていない方は、ぜひ本編を楽しんでから。
    観たあと、余韻がさめないうちに読んでいただけたら、
    同じ作品をめぐって、
    静かに「時間のおしゃべり」ができるような気がしています。


    あらためて振り返ってみると、
    この一本は、わたしに「時間の重さ」と「家族のかたち」を
    何度も問い直させてくれる作品でした。

    娘として父を思い出す時間と、
    母としてこれからの家族を思い描く時間。
    そのあいだを、何度も行き来しながら観るたびに、
    自分の中の「大切にしたいもの」の輪郭が、
    少しずつくっきりしていく気がします。

    そして、このエッセイは、
    書く部の「#30日書けるプログラム」お題
    「Day4:これだー!って運命感じちゃった本、映画」にこたえて綴ったものでもあります。

    運命を感じた一本を言葉にしてみたら、
    そこには映画そのものの魅力だけでなく、
    父への想い、夫と並んで観た夜、
    そして今ここにいる家族の時間まで、
    ぜんぶゆるやかにつながっていました。

    あの夜、テレビの前でこぼれた涙ごと、
    この文章にそっとたたんでおきたいと思います。

    喜木 拝


     
     
    本が好きなのに、今は読めないあなたへ。 本とことばで、忙しい毎日に小さな余白を届けます。 図書館司書/4歳娘の母/ブックシェアコーディネーター。 メンバーシップ「凛のことのはライブラリー」運営中。

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