
迷子になった記憶は、親にしかない。
娘が初めて迷子になったのは、一歳九か月のときだった。
本人は、きっと何も覚えていない。
覚えているのは、顔面蒼白になった親ふたりだけである。
その日、家族でアンパンマンミュージアムへ行った。
大好きなアンパンマンの世界をたっぷり堪能したあと、私たちはお土産屋さんに立ち寄った。
店内には、自由に遊べる見本のおもちゃが置かれていた。
娘は「アンパンマンの農園」のおもちゃに夢中になり、小さな手を忙しそうに動かしていた。
そろそろ帰ろうか。
娘をおもちゃから引き離し、出口へ向かう。
ところが、その出口付近には、アンパンマンのバスボムがずらりと並んでいた。
どれにしようか。
娘は喜ぶかな。
そんなことを考えながら、夫とふたりで商品に釘付けになった。
そして、ふと顔を上げると。
娘がいなかった。
さっきまで、すぐそばにいたはずなのに。
名前を呼んでも、返事はない。
夫が「出口を見ている」と言い、私は店の中を探しはじめた。
棚の向こう。
人と人のあいだ。
小さな子どもの姿を見つけるたびに、目で追う。
けれど、娘ではない。
店から出ていないのなら、必ずどこかにいる。
頭ではそう思っているのに、心臓が変な音を立てはじめた。
もし、もう外へ出ていたら。
もし、誰かについていってしまったら。
よくない想像ばかりが、次々と膨らんでいく。
ほんのわずかな時間だったと思う。
それでも、娘のいないお土産屋さんは、急に知らない場所になった。
そのとき、ふと思い出した。
娘がさっきまで遊んでいた、あのおもちゃ。
まさかと思いながら戻ってみると、娘はそこにいた。
アンパンマンの農園のおもちゃの前で、何事もなかったかのように、嬉しそうに遊んでいた。
娘は、自分が迷子になったとは思っていなかったのだろう。
行きたい場所へ戻り、好きなおもちゃで遊んでいただけ。
親がいないことに気づいていたのかどうかさえ、わからない。
迷子になったのは、娘だったのだろうか。
娘の姿を見失い、出口と店内を右往左往していた私たちのほうが、よほど迷子だったのかもしれない。
あれから、アンパンマンのバスボムと農園のおもちゃを見ると、胸の奥が少しだけざわつく。
どちらにも罪はない。
もちろん、アンパンマンにも罪はない。
悪いのは、そろってバスボムに夢中になった親ふたりである。
あのとき一歳九か月だった娘は、今、四歳になった。
幸い、あれ以来、一度も迷子にはなっていない。
できることなら、後にも先にも、あれを最後の迷子にしたい。
娘には残っていない、小さな迷子の記憶。
親ふたりの胸には、今も苦いバスボムの香りとともに、しっかり残っている。
喜木 拝
あとがき
三條凛花さんの「#ビンゴエッセイ 」に参加しています。
今回選んだお題は「迷子」。
今だから書ける、娘が一歳九か月だったころの思い出です。
見つけた瞬間の安堵よりも、姿が見えなかった時間の恐ろしさのほうが、今も妙に鮮明です。
あれを最初で最後の迷子にできますように。

お題『待ちぼうけ』はこちら👇