メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byt0m0y0

整ってしまうわたしの、本音の置き場所

    読んだ人から「なんだか行儀がいい」と言われてしまう。
    そんなお悩みが、放課後ライティング俱楽部に届いていて。

    わたしも、文章が整ってしまいがちな人間です。

    本音を書いているつもりなのです。
    けっこう恥ずかしいことも書いている。
    情けなかったことも、うまくできなかったことも、子育てで余裕をなくしたことも、弱さも迷いも、それなりに出しているつもりではある。

    なのに、どこかで言われる。

    「まだ整っている」
    「もっと出してもいい」
    「本音は、もう少し奥にあるんじゃない?」

    そう言われると、ちょっと困ってしまいます。

    いや、こちらとしては、もう見せているつもりなのです。
    むしろ、これ以上どこを見せればいいのだろう、と。

    けれど、ヤスシさんの記事を読んでいて、少しだけ思いました。

    もしかすると、わたしが見せているのは「傷」そのものではなく、手当てをしたあとの傷なのかもしれない、と。

    血が出ているところをそのまま見せるのではなく、洗って、消毒して、絆創膏を貼って、
    「もう大丈夫です」
    と言える状態にしてから、ようやく文章にしている。

    だから、嘘を書いているわけではない。
    本音ではある。
    でも、読んだ人からすると、どこか“処置済み”に見えるのかもしれません。

    私はたぶん、書きながら整えてしまうタイプです。

    ぐちゃぐちゃの気持ちがあったとしても、文章にする過程で、意味をつけたくなる。
    つらかったことには学びを。
    情けなかったことには笑いを。
    迷っていたことには、仮でもいいから結論を。

    それは、悪いことではないと思っています。

    書くことで、自分を少し救っている。
    書くことで、荒れていた心に輪郭を与えている。
    書くことで、出来事を「ただつらかったこと」のまま終わらせずに済んでいる。

    だから、整ってしまう文章も、わたしにとっては必要なものなのです。

    ただ、読者が「もっと読みたい」と感じるのは、たぶん結論の美しさだけではないのでしょう。

    迷っている途中の足音。
    まだうまく言えない沈黙。
    本当は言いたくないけれど、少しだけ漏れてしまった一言。
    きれいにまとめる前の、体温のようなもの。

    そこに、人は「ああ、この人も同じだ」と感じるのかもしれません。

    では、どうしたらいいのか。

    全部をさらけ出す必要は、ないと思います。
    文章を書くたびに、心の引き出しを全部開けなくてもいい。
    無理に生々しくしようとして、自分を削る必要もない。

    ただ、整える前の一文を、少しだけ残してみる。

    たとえば、

    「今はもう笑って書けるけれど、本当はそのとき、かなり傷ついていた」

    とか。

    「ここまで書いておいてなんだけれど、まだ納得できていない」

    とか。

    「きれいな話にしたい私がいる。でも、そうできない私もいる」

    とか。

    そういう、文章の端っこに残る小さな揺れ。
    それだけで、たぶん十分なのではないでしょうか。

    本音とは、必ずしも激しい言葉のことではない。
    泣き叫ぶことでも、誰かを責めることでも、自分の全部をさらすことでもない。

    むしろ、静かに整えた文章の中に、ぽつんと残る違和感のほうが、本音に近いこともある。

    「もう大丈夫です」と書いたあとに、
    「でも、ほんとうは、まだ少しだけ痛い」
    と添えること。

    「わかりました」と書いたあとに、
    「でも、心はそんなにすぐには追いつきませんでした」
    と置いてみること。

    そういう小さな余白に、本音は宿るのかもしれません。

    私は、行儀のいい文章が嫌いではありません。

    読みやすく整えること。
    相手に届くように言葉を選ぶこと。
    誰かを傷つけないように、一度立ち止まること。

    それは、逃げではなく、祈りに近い場合もある。

    でも、その行儀のよさの奥に、ほんの少しだけ「まだ片づいていない私」を残しておく。

    それが、わたしにできる「本音の出し方」なのかもしれません。

    全部見せなくてもいい。
    けれど、全部きれいに片づけなくてもいい。

    整ってしまう私たちは、たぶんそのあいだで書いている。

    肌色の下着みたいに、見せているようで、ちゃんと守っている。
    それでいいのだと思います。

    ただ、ときどき、袖口から本当の体温が少しだけ見える。
    そのくらいが、わたしにはちょうどいい。

    しらんけど。

    喜木 拝

    #土曜日のしらんけど
    #放課後ライティング倶楽部


    追伸:あなたからの質問、お待ちしております!


    この記事が参加している募集

     
     
    本が好きなのに、今は読めないあなたへ。 本とことばで、忙しい毎日に小さな余白を届けます。 図書館司書/4歳娘の母/ブックシェアコーディネーター。 メンバーシップ「凛のことのはライブラリー」運営中。

    あなたへのおすすめ