
よかったとは、今も言えない。
病気をしてよかった。
そんなふうには、今でも言えない。
できることなら、しないほうがよかったと思う。
失った時間もあるし、できなくなったこともあった。
それでも。
あの遠回りは、私にとって必要だったのかもしれない、と今は思う。
大学では心理学を専攻していた。
人の心について学んでいるつもりだった。
性格検査を受ければ、結果はD+。
「やっぱり私は外向的なんだな」
そんなふうに、わりと軽やかに自分を理解したつもりになっていた。
人の心について勉強しているのだから、自分のことだって、それなりにわかっている。
どこかで、そんなふうに思っていたのかもしれない。
まさか、自分が統合失調症になるなんて、考えたこともなかった。
心理学を学んでいることと、自分の心を知っていることは、まったく別だった。
自分は大丈夫。
私はこういう人間。
そうやって貼っていたラベルが、いっぺんにはがれた。
振り返れば、私はずいぶん傲慢だったと思う。
でも、傲慢だったから病気になったわけではない。
そこは、混ぜたくない。
ただ、もし何も起きずに、そのまま進んでいたら。
私はもっと、自分のものさしだけで人を見ていたかもしれない。
「どうしてできないんだろう」
「頑張ればいいのに」
そんな言葉を、今より簡単に口にしていたかもしれない。
できないことがある。
頑張りたいのに、頑張れないことがある。
昨日まで当たり前にできていたことが、突然できなくなることもある。
それを私は、知識ではなく、自分の身体で知った。
人の内側は、外から見えるほど単純ではない。
そして、自分の内側だって、自分が思っているほど簡単ではなかった。
あの頃の私は、自分をよく知っているつもりだった。
今はむしろ、自分のことなんて、まだまだわからないと思っている。
そのほうが、少しだけ人にも自分にも、やさしくいられる気がする。
遠回りだった。
できれば通りたくなかった道だった。
だから、「あの経験があってよかった」とは、やっぱり言えない。
でも、
あの道を通ってきた今の私が、嫌いではない。
何も失わずにまっすぐ進んでいた自分より、
立ち止まったり、できなくなったり、人に助けてもらったりしながら歩いてきた今の自分のほうが、
世界を少し複雑なまま見られるようになった。
必要だった、というのは、
あの出来事を正当化したいからではない。
起きてしまったことを、無駄だったことにしたくないからでもない。
ただ、
あの遠回りを抱えたまま、私はここまで来た。
そして今なら、
わからないものを、わからないまま大切にすることもできる。
それはきっと、まっすぐな道だけを歩いていた私には、まだ知らなかったこと。
喜木 拝
#66週ライラン
「遠回りだったけど必要なこと」
