
初恋の人を、譲られた。
私の初恋は、天沢聖司くんである。
そう。スタジオジブリの映画『耳をすませば』に出てくる、あの天沢聖司くん。
現実世界の話じゃなくて、すみません。
でも、本の虫だった私にとって、あれはかなり理想的な初恋だった。
図書館で借りた本の図書カードを見たら、いつも同じ名前がある。
「天沢聖司」
自分より先に、この本を読んでいる人がいる。
しかも、何冊も、何冊も。
そんな出会い方、ずるくないですか。
映画を観た私は、当然のように妄想した。
図書館で同じ本に手を伸ばして、
「あっ」
「あ……」
なんて、偶然ふたりの指が触れてしまうやつ。
少女漫画で何度見たかわからないやつである。
本棚の向こう側に、まだ知らない誰かがいる。
同じ本を好きな人と出会って、いつの間にか恋が始まる。
そんなことが、いつか私にも起こるのではないか。
わりと本気で思っていた。
しかし、現実の私は、恋愛というものにとんでもなく疎かった。
国語の教科書に『赤い実はじけた』が載っていた。
恋をすると、胸のなかで赤い実がはじけるらしい。
ピンとこなかった。
赤い実。
はじける。
……何が?
くらいの感覚だった。
当然、同級生たちの「好きな男子」の話にも、まったくついていけない。
「あの子が好き」
「私は○○くん」
そんな話題になるたび、私は困った。
好きな男子なんて、いなかったからだ。
けれど、小学生の世界というのは、ときどき残酷である。
「好きな人はいない」
という回答を、なかなか許してくれない。
誰かいるでしょ。
絶対いるでしょ。
教えてよ。
秘密にするから。
その圧に負けた。
ある日、私はひとりの友人に、幼なじみの男の子の名前を言った。
好きだったからではない。
家が近くて、よく一緒にゲームをしていた。
ただ、それだけ。
強いて男子の名前をひとり挙げるなら、この子かな。
その程度だった。
「絶対、秘密にしてね」
念を押した。
友人も、
「うん、絶対言わない」
と言った。
翌日。
別の女の子が、私のところへやってきた。
そして言った。
「○○くん、譲ってあげる」
…………。
何を?
一瞬、本気でわからなかった。
どうやらその子は、幼なじみの男の子の「自称彼女」だったらしい。
そして私は、その彼を好きだということになっていた。
昨日まで存在していなかった恋が、たった1日で三角関係になっている。
しかも、私はその恋から相手を譲ってもらったらしい。
展開が早すぎる。
しかし、私がショックだったのは、
「いや、別に好きじゃないんだけど」
ということではなかった。
その名前を知っていたのは、たったひとり。
「絶対、秘密にする」
そう言った友人だけだった。
ああ。
言ったんだ。
子どもながらに、それがわかった。
赤い実ははじけなかったけれど、何か別のものが胸のなかで、ぱちん、と割れた気がした。
恋を知るより先に、私は「秘密を破られる」ということを知った。
なんとも色気のない話である。
結局、小学生の私が本当に胸をときめかせていたのは、現実の男子ではなかった。
図書館の貸出カードに何度も名前を残し、ヴァイオリン職人を目指していた天沢聖司くんだった。
現実では好きでもない男子を勝手に好きなことにされ、勝手に三角関係になり、勝手に「譲ってあげる」と言われていたころ。
私はたぶん、図書館の本棚の前で、
いつか同じ本に手を伸ばす誰かが現れないかな、
なんて考えていた。
残念ながら、その後も図書館で同じ本に手を伸ばして恋が始まったことは、一度もない。
赤い実も、そう都合よくはじけてくれなかった。
それでも、初恋をさらせと言われて最初に浮かぶ名前は、今でも変わらない。
天沢聖司くん。
私の初恋は、架空の人物でした。
そして現実世界で初めて味わった恋愛らしき事件は、
好きでもない幼なじみを、
知らないうちに、
自称彼女から譲られたことでした。
……初恋の話をしていたはずなんですけどね。
#なんのはなしですか
喜木 拝
あとがき
書く部の部会には参加できなかったのですが、あとから皆さんの投稿を眺めていたら、どうしても書きたくなってしまいました。
ということで、遅ればせながら「#はつこいをさらせ」に参加します。
そして、コニシさん。
また書く部のお題と「#なんのはなしですか」を合わせてしまって、すみません💦
初恋をさらすはずが、なぜか「好きでもない幼なじみを自称彼女から譲られた話」までさらすことになりました。
これも初恋の話……で、いいのでしょうか。
#なんのはなしですか