
春の匂いと文庫本【読書さんぽ】
冬のコートを着て出たはずなのに、今日は少しだけ暑かった。
風はまだ冷たいのに、空気の奥に、たしかに春の気配がまじっている。
道ばたの草の匂い。
土がゆるんだような匂い。
洗いたての洗濯物みたいな、乾いた日差しの匂い。
春は、目で見つけるより先に、鼻が見つける季節なのかもしれない。
そんなことを思いながら、鞄の中の文庫本に手をやる。
大きな本じゃなくて、今日は文庫本がちょうどよかった。
軽くて、片手で持てて、少しの待ち時間にも開ける。
ページの端がやわらかくなっていて、何度も読まれた跡がある。
文庫本には、ちゃんと“持ち歩かれた時間”が残っている気がする。
春の読書は、机の前だけじゃ終わらない。
ベンチに座ったり、信号待ちの合間に開いたり、子どもが立ち止まったすきに数行だけ読んだり。
まとまった時間がなくても、本は少しずつ心に入ってくる。
たくさん読める日ばかりじゃない。
むしろ最近は、細切れの時間に、細切れの言葉を受け取るような読み方ばかりだ。
それでも不思議と、文庫本はそういう日々に似合う。
「少しだけでも、どうぞ」と言ってくれるような顔をしているから。
今日のさんぽでも、何ページも読めたわけじゃない。
ほんの数ページ。
けれど、その数ページが、歩いている時間の色を変えてくれた。
ただ通り過ぎるだけだった道が、
少しだけ物語の続きみたいに見えた。
春の匂いと文庫本。
どちらも、強く主張しない。
でも、気づいた人の心の中に、そっと残る。
そんなものに支えられている日が、私は好きだ。
ここから先は、
春の読書が今のわたしにしっくりくる理由と、
“たくさん読めない日々”のなかで、それでも本を手放さずにいることについて、もう少し書いてみます。