
【掌編小説】海の猫
海の猫
海の猫は、たいてい朝の干潮に現れる。
岩場と砂浜のあいだ、潮の引いた磯に、ぽつんと座っているのだ。毛並みは濡れてもふんわりとしていて、背中には海藻のような模様がある。近づこうとすると、にゃあと鳴いて、波の向こうに消えてしまう。
最初にその猫を見たのは、父がいなくなった次の日だった。
母は「仕事で遠くへ行った」と言ったけれど、小さな私は知っていた。父の釣り道具は全部置いたままだし、いつも朝早くに帰ってくる船も、その日は帰ってこなかった。
私は浜辺に座って、ぼんやりと波を見ていた。すると、向こうから、猫が歩いてきた。足跡がつかないのに、ちゃんとこちらに向かってきた。
「お父さん、しらない?」
そう聞くと、猫はひとつ瞬きをして、私の前に魚の骨を落とした。まるで、お土産のように。
その日から、私は毎朝、猫に会いに行った。猫はときどき、銀色の貝や、濡れたページの本の切れ端、ちいさな青い瓶をくれた。全部、波がさらった記憶みたいだった。
ある朝、猫がいなくなった。
何日たっても、岩のうえは空っぽで、砂には何の跡もない。私は寂しくなって、泣いた。もう、父も猫も帰ってこないんだと思った。
けれどある夜、夢のなかに海の猫が出てきた。
静かな波の音の中で、猫は父の帽子をかぶっていた。そして、しっぽで私の涙をぬぐって、にゃあと鳴いた。
目が覚めると、枕元に、小さな貝が落ちていた。父がよく持って帰ってきていた、白くて丸い、小さな海の音。
いまでも私は、時々、海に行く。
猫にはもう会えないけれど、風のにおい、波の音、砂の感触に、ふとあのしっぽを思い出す。
もしかすると、海の猫は、帰ってこない人の記憶を届けるために、世界のどこかを歩いているのかもしれない。
誰かの涙を、ひとつずつ、そっと波にとかしながら。
あとがき
#シロクマ文芸部 さんのお題で綴りました。
「海の猫」というお題からして不思議な感じがしました。
その不思議な感覚のまま形にしてみました。
お読みいただき、ありがとうございます。
喜木 拝