
絵本を読む声は、まだ拙くて
3歳の娘はまだ文字が読めない。
それなのに、お気に入りの絵本をひらくと、誇らしげに「読んであげるね」と言う。
ページをめくり、絵を見ながら、覚えている言葉や自分でつくった言葉を並べていく。
「りんごです」と書かれたページを指差して、なぜか「ばなな」と言ってみたり。
『しろくまちゃんのほっとけーき』をめくっては、「じゅうじゅう、じゅわ〜」と、声色を変えて真似してみたり。
それは「読み聞かせ」でも「音読」でもない。
彼女にしかできない、世界でひとつの物語。
小さな指で押さえたページが、ぱらりと揺れる。
声に合わせて眉を動かしたり、フライパンを振るまねをしたり。
私は横で笑いながら聞いているのに、ふと胸が熱くなる。
拙い声でつむがれる物語が、絵本の作者の言葉と、娘の声と、私の記憶とを溶け合わせていくから。
いつか本当に文字が読めるようになったら、この自由な語りは消えてしまうのだろう。
だからこそ、今この瞬間がいっそう愛おしいのだ。
純粋に絵本を楽しめるのは、この時期だけなのかもしれない。
文字を知らないからこそ、絵の色や形が直接心に飛び込んでくる。
物語は固定されたものではなく、毎回生まれる即興の冒険。
娘の目には、ページが無限の可能性を秘めたキャンバスのように映っているのだろう。
私自身、子供の頃に感じたあの無垢な喜びを、娘を通じて思い出す。
あの頃は、文字の制約なく、想像力が自由に羽ばたけていた。
成長とともに文字を学び、物語を「正しく」読むようになると、純粋な楽しみが少しずつ薄れていくのかもしれない。
そんな切ない予感が胸をよぎる。
「ママ、どう? じょうずでしょ?」
読み終えた娘が顔をあげる。
ページの内容とは全然ちがう物語だったけれど、私は心から頷く。
「うん、世界一すてきだったよ」
そう言って腕を広げると、娘は絵本を抱えたまま勢いよく飛びこんできた。
小さな体が胸にあたり、くすぐったい笑い声がはじける。
私はその頭をそっと撫でながら、喜びと切なさが入り混じる感情に包まれていく。
一冊の絵本は、私たちの間で幾度も生まれ変わる。
その一瞬に、言葉では届かない感動が満ちていく。
やがて娘はまたページをめくり、新たな物語をつむぐのだろう。
拙い声で、世界にたったひとつの物語を。
喜木 拝