
アルロンさんの本棚へ、名著を一冊。|伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』
おしえてちょ、と言われたので、おしえます。
アルロンさんが、こんな企画を始めてくださいました。
「ワイはこの本が好きや!」とおすすめしてほしいなと思いました。
好きな本なら、たくさんある。
何度も読み返している本。
苦しいときに助けてもらった本。
私の考え方を変えた本。
天国まで持っていきたい本。
けれど、「名著」と聞いて真っ先に浮かんだのは、少し不思議な一冊だった。
私は、読んだ本をよく忘れる。
登場人物の名前も、物語の細部も、結末さえ曖昧になることがある。本を愛する者として、それでいいのかと思わなくもない。
それでも、忘れることは、もう一度はじめて読めるということでもある。
だから私は、ときどき忘れっぽい自分を、得した気分で受け入れている。
けれど、忘れたいのに、どうしても忘れられない本がある。
伊坂幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』だ。
知らないまま、読んでほしい
大学進学を機に、一人暮らしを始めた青年。
彼は引っ越したばかりのアパートで、少し風変わりな隣人と出会う。そして、奇妙な計画へ誘われる。
私から説明できるのは、ここまでである。
本当はもっと、この物語のおもしろさを伝えたい。
けれど、何かを語るたびに、これから読む人の楽しみをひとつずつ奪ってしまう気がする。
できることなら、あらすじも感想も調べずに読んでほしい。
タイトルの意味も、登場人物たちがどこへ向かうのかも、知らないままで。
『模倣犯』では、上巻でわかってしまったのに
私は、ミステリーの仕掛けに、いつも簡単にだまされる読者ではない。
――などと言うと、少し格好をつけすぎかもしれない。
けれど、宮部みゆきさんの『模倣犯』を読んだときには、上巻の段階で「この人が犯人ではないかか」と気づいてしまった。
もちろん、犯人がわかったからといって、『模倣犯』のおもしろさが失われたわけではない。
誰が犯人なのかだけではなく、なぜ事件が起きたのか。犯罪によって、周囲の人々の人生がどのように変わってしまうのか。
人間の心や社会まで描かれているからこそ、あれほど読み応えのある作品なのだと思う。
それでも、一度「もしかして」と気づくと、読みながら答え合わせを始めてしまう自分がいる。
そんな私が、『アヒルと鴨のコインロッカー』では気づけなかった。
見ていたはずなのに、見えていなかった。
読んでいたはずなのに、その言葉の本当の意味をわかっていなかった。
読み終えた瞬間、書かれている文章は何ひとつ変わっていないのに、それまで見ていた物語が、まったく違う顔を見せた。
悔しいというより、うれしかった。
こんなふうに物語に驚かされるために、私は本を読んでいるのかもしれないと思った。
驚かされるだけなら、名著とは呼ばない
けれど、驚きだけが、私がこの作品を名著だと思う理由ではない。
仕掛けを知ったあと、もう一度読み返したくなる。
最初に読んだときには何気なく通り過ぎた言葉が、二度目には違う響きをもって胸へ届く。同じ場面を読んでいるはずなのに、そこに見える景色まで変わってしまう。
物語の仕掛けが、読者を驚かせるためだけに置かれているのではない。
登場人物の孤独や願いを、私たちへ届けるためにある。
読み終えたとき、頭の中でパズルのピースがはまる。
それと同時に、心の中には、きれいに片づけられない何かが残る。
その両方があるから、私はこの本を忘れられないのだと思う。
ミステリーに憧れるアルロンさんへ
アルロンさんは、少し前の記事で、こう綴っていた。
ミステリー小説、読むだけでなく書くのにも挑戦してみたい。
コナンや謎解き、古畑任三郎がお好きだというアルロンさんなら、この物語がどのように組み立てられているのか、きっと楽しんでくださると思う。
ただ、『アヒルと鴨のコインロッカー』は、探偵が鮮やかに謎を解く、いわゆる王道の推理小説とは少し違う。
おかしな会話に笑い、不器用な人たちを放っておけなくなり、気づけば、その人生の一部を見届けている。
ミステリーの入口から入ったはずなのに、その奥で待っているのは、人と人が出会ってしまったことの切なさだ。
一生懸命なのに、なぜかうまくいかない。
冗談を言っているのに、その向こう側に寂しさが見える。
失敗や不器用さを笑いへ変えながら、痛みまで笑い飛ばしてしまわない。
アルロンさんが綴る「不憫男子」の文章と、この作品の人物たちには、どこか通じるものがある気がしている。
また、動物をめぐる胸の痛む描写もある。
動物好きのアルロンさんには、つらく感じられる部分があるかもしれない。それでも、動物と人間のあいだにあるものも含めて、心に残る物語だと思う。
私はもうできない読み方を、あなたへ
アルロンさんは、紹介された本を読むかどうか、買うかどうかは確約できない、と企画記事に書いている。
もちろん、無理に読んでほしいわけではない。
私は司書らしく、この本をおすすめの棚へ、そっと差しておくことにする。
もし、いつか手を伸ばしてくださるなら。
どうか、できるだけ何も知らないまま、最初のページを開いてほしい。
私はもう、この本と初めて出会うことができない。
けれど、アルロンさんは、これから出会える。
そのことが、少しうらやましい。
私にとって名著とは、読み終えたあと、出会う前の自分には戻れなくなる本なのかもしれない。
『アヒルと鴨のコインロッカー』は、私にとって、忘れたいほど忘れられない一冊である。
喜木 拝