
完成していない私を、見せられるようになった。
この一年で手に入れたもの。
それは、失敗する過程も見せる勇気かもしれない。
以前の私は、できあがってから人に見せたかった。
文章なら、できるだけ整えてから。
何かを始めるなら、ちゃんと形にしてから。
「これなら大丈夫」と、自分で思えるところまで持っていってから。
だって、途中を見せるのは恥ずかしい。
迷っているところも。
間違えているところも。
やってみたけれど、うまくいかなかったところも。
できれば、誰にも見られたくなかった。
私はたぶん、失敗することより、
失敗している私を見られることが怖かった。
石橋を叩いて、叩いて。
安全だと確信してから渡ろうとして、
ときには渡る前に、自分で橋を壊してしまう。
そんな私だった。
でも、この一年。
書いたものを人に読んでもらったり、
考えている途中のことを話したり、
「ここ、どう思いますか」と誰かに差し出したりすることが増えた。
すると当然、
「こっちのほうがいいかも」
と言われることもある。
自分では気づかなかった穴を見つけてもらうこともある。
やってみたものの、
「あ、違った」
と思うことだってある。
恥ずかしい。
やっぱり、恥ずかしいものは恥ずかしい。
でも、不思議なことに。
見せてしまったあとには、
思っていたほど大変なことは起きなかった。
むしろ、
一人で完成させようとしていたときより、ずっと遠くまで行けることがあった。
誰かの言葉で、自分では思いつかなかった道が見える。
失敗したからこそ、
「じゃあ、次はこうしてみよう」
と思える。
完成するまで隠していたころには得られなかったものが、そこにはあった。
そういえば私は、
「失敗しない勇気」が欲しかったわけではないのかもしれない。
欲しかったのは、
失敗しても、
格好悪くても、
「まだ途中です」
と言える勇気だった。
この一年で、失敗しなくなったわけではない。
むしろ、挑戦するほど失敗は増えた気もする。
それでも、
うまくいかなかった自分ごと、人に見せられるようになってきた。
完成品だけではなく、
迷って、間違えて、やり直している途中も、
ちゃんと私なのだと思えるようになった。
石橋は、まだ叩く。
たぶん、これからもたくさん叩く。
でも今は、
少しくらい揺れていても、
壊れる前に渡ってみようと思える。
この一年で手に入れたのは、
成功する自信ではなく、
失敗しながら進んでいる自分を、隠さなくてもいいと思える勇気なのかもしれない。
喜木 拝
#66週ライラン
「この一年で手に入れたもの」
