
いま、距離をおきたいもの
いま距離をおきたいものがある。
夫、ではない。
夫のことは、ちゃんと好きだ。
好きだからこそ、気になってしまう。
気になるからこそ、つい口を出してしまう。
そして、そのたびに、少し疲れてしまう。
いま夫は、転職のことでばたばたしている。
考えることも多いのだろうし、決めなければならないことも、きっと山ほどある。
帰ってきた顔が疲れている日もあるし、言葉数の少ない夜もある。
そんな姿を見ていると、私はどうしても落ち着かなくなる。
大丈夫かな。
ちゃんと眠れているのかな。
今の選び方でいいのかな。
こっちのほうがいいんじゃないかな。
そんなふうに、心の中で思うだけでは済まなくて、つい言葉にしてしまう。
聞かれてもいないのに、意見を言ってしまう。
求められてもいないのに、先回りして心配してしまう。
私は昔から、少しお節介焼きなのだと思う。
誰かが困っている気配がすると、放っておけない。
疲れている顔を見ると、何かしなければいけない気がする。
でも、それはやさしさだけではなくて、たぶん自分の不安を静めたい気持ちでもあるのだろう。
何もできずに見ているのが、苦手だ。
黙って見守る、というのは、思っているより難しい。
何か言えば少し楽になる気がするし、何かしたほうが自分の役目を果たしているような気もする。
けれど本当は、相手が自分で考えている途中に、こちらの言葉を重ねすぎることが、かえって負担になることもあるのかもしれない。
夫は大人だ。
自分で考え、自分で選び、自分で進んでいく人だ。
わかっている。
わかっているのに、私はときどき、その人の“考える時間”にまで入り込もうとしてしまう。
好きだから。
心配だから。
力になりたいから。
その気持ちは本当だ。
でも、ほんとうに相手のためになる距離感は、いつも同じではないのだと思う。
近くにいることと、踏み込みすぎることは、少し違う。
支えることと、抱え込むことも、きっと違う。
私はその境目が、まだあまり上手ではない。
疲れた顔を見ると、気になってしまう。
気になって、何か言いたくなる。
でもそのたびに、言ったあとで少し反省する。
今のひとこと、必要だったかな。
ただ自分が安心したかっただけじゃないかな。
そんなふうに思う夜がある。
いま距離を置きたいのは、夫そのものではなくて、夫の問題にすぐ手を伸ばしたくなる自分なのかもしれない。
静かに見守ること。
すぐに答えを差し出さないこと。
疲れた顔を見ても、まずはその人の力を信じて待つこと。
それは冷たさではなくて、信頼なのかもしれない。
あなたなら大丈夫、と言葉にしなくても思っていること。
必要なときにはそばにいるけれど、必要ではないところまでは入り込まないこと。
大人と大人として、一緒に暮らしていくための、やわらかい距離。
私はたぶん、まだその距離を練習している途中なのだと思う。
好きだからこそ、少し離れる。
心配だからこそ、黙っている。
その加減は難しいけれど、今の私にはたぶん、それが必要だ。
いま距離を置きたいもの。
それは、夫ではなく、夫を見てすぐに「何とかしなきゃ」と思ってしまう私の焦り。
その焦りから少し離れて、もう少し静かな気持ちで隣にいられたら。
きっと今より、やさしく支えられる気がしている。
喜木 拝
#66週ライラン
「いま距離を置きたいもの」
